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23歳起業 サーモンで生きていく

はじめて投稿します。
現在23歳、千葉産まれの若造がなぜ起業してまでサーモンに
惚れ込んだのかプロフィールの代わりにまとめます。

・魚、魚、魚の子供時代
・水族館の飼育員を目指し専門学校へ
・なぜサーモンなのか
・養殖場時代の出会い
・国産サーモン専門水産会社設立へ
・今、自分がやるべきこと

・魚、魚、魚の子供時代
千葉県船橋市に産まれ、自転車で行ける距離に海、川、池がありました。
どの生物よりも魚が近くにいたことが、魚好きに育った原因だと思います。自由研究、作文、絵日記…すべて魚で貫いた小学校時代、校長室に呼ばれて褒めてもらった成功体験もあり、水族館の飼育員が将来の夢になりました。

・水族館の飼育員を目指し専門学校へ
水族館を目指して入学したのは千葉にある動物専門学校でした。
夢は飼育員、二学年の一ヵ月研修では淡水魚専門水族館へ行き、水族館の
仕事を体験しました。ここから養殖場を目指すようになります。水族館は
魚を魅せるための場所、本当の意味で育てるのは養殖場しかない。

・なぜサーモンなのか
数ある魚の中でなぜサーモンなのか、万国共通で知ってるサーモン、
余計な飾りの無い"The魚"と言いたくなる形、臓器の構造は単純なのに
淡水でも育つ海水でも育つ順応性、一生かけても覚えきれないほど人との
歴史が深いサケ目という種類、尽きない興味の芽がサーモンにはあります。

・養殖場時代の出会い
一生サーモン養殖、淡水養殖量日本一の養殖場へ直談判し入社しました。
日々サーモンの姿を見て、同じ魚なのに一尾一尾の個性の豊かさに大満足、
楽しい養殖場生活でしたが、あるとき知人の紹介で10億円企業の社長に
会いました。私が熱くサーモンの話をすると、世界中へ安心安全な国産サーモンを届けよう!という大きな大きな目標を掲げてもらったのです。

・国産サーモン専門水産会社設立へ
起業なんて考えたこともありませんでしたが情熱に惚れてくださった社長に
経営者として育ててもらう覚悟を決めました。人間関係を変える、養殖場に
いたら絶対に会えない人、10億円企業の社長、柔道世界チャンピオン、
GAFAの人々、脳内の常識が焼けるほど刺激を受け、経営者という人間に
なるために愛する国産サーモン専門の水産加工会社を設立しました。

・今、自分がやるべきこと
日本中の食卓でお刺身の中にサーモンは欠かせません、しかし国内消費量の
98%は外国からの輸入です。MADE IN JAPANのサーモンはどうなっている
か、慢性的な人手不足、餌の価格高騰、それに伴うサーモンの値段の高騰、
どれだけ美味しくても手間暇かけてもモノには相応しい値段のラインがあります。「日本の職人が手作りして金箔をあしらった段ボールを販売!」でも
段ボールに1万円は払いません。最高に美味しくて、根拠のある安全を少しでも安い価格で国産サーモンをお届けすることが私のやるべきことです。

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