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00はじまりの前に

『00はじまりの前に』

0823文字で
おやすみなさいに繋がることを書こう。
特に理由はない。おもいつき。

きっと、追い込むことしかできないのだ。
なんとなく何かやってる気持ちになり、
自分自身をなんとか流しては、
歩みに変えたいのだ。
それを経ることに何かの意味があるかのように。

日々は流れていって、
それはもう元にもどることはないんだよなて言ってたのは
確か鴨長明だ。
浅い思考は止まる事もなく、
口をふとついてでた言葉も止まることはなく、
日々流されていく。

私たちは時に、記憶について語る。
仕事柄、認知症という病気についても語る。
認知する病気だから、認知症?
そうではないよね。
『認知できない病気だから、認知症』
ん?それもおかしいよな。
認知とはモノを感じる、知覚するということだ。
認知症と診断されている方々は、
過去の記憶から、今の事情、どうしても拭い去れない不安へなど…どんどんと情報を受け取り、
思考をすすめていく。

それは、健常者と表現される我々より
『認知』的に繊細/鋭敏だと思うんだよな。
結果的に『認知症』という言葉そのものが
指すところ自体、なんとなく不明瞭だなと感じる。

私たちは『記憶』や『認知症』という言葉すら、
はっきりは認識できていないわけで。
相手のことも、自分のことも、
病気のことも、障害というものも
さほど理解できてないんじゃないかなぁと 
思うわけね。

個人的な経験を言えば、20年近く前から
《介護福祉業界サーフィン》を始めて
魅力的!おもろい!と思ったり、
記憶に色濃く刻まれている相手は
圧倒的に高齢者であり、
記憶に難ありとされている方々でした。

それは変なことを言うからではなく、
逆にまとも過ぎるくらいまともな答えを
有り得ない方向から見せてくれるから。
溢れる知性や教養、そしてユーモアの数々。
あの人達との日々が停滞しがちな僕の時間を、
こうしてすすめてきたのだなぁと今、思う。

さぁ、しばし緩やかな思い出に向き合おうか。
明日は明日の流れ。

今日はもう、おやすみなさい。

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