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永沢さんのジレンマ #習慣にしていること

大学生の頃に村上春樹の小説に出会い、中でも『ノルウェーの森』が好きでよく読んでいた。

『ノルウェーの森』が好き、というのは、なんとなく『ONE PIECE』が好きです、ジャイアンツのファンです、というのと同じような、真ん中であるが故の気恥ずかしさがともなうが、とにもかくにも好きだった。

その『ノルウェーの森』の中の登場人物に永沢さんという人がいる。

主人公のワタナベが暮らす学生寮の先輩で、実家が病院を経営していて金持ちの上に、風采もよく、苦もなく東大法学部に入り官僚になる予定で、名言を吐きまくるというスーパーマン。抱いた女は数知れず、飲み込んだナメクジは大3匹というカリスマだ。

バカな大学生の私は、変な超人願望があったため、この永沢さんに憧れていた。

そして、永沢さんの名言の中でも、次の言葉を特に気に入っていた。大変な読書家にも関わらず、死後30年を経過していない作家の本は手に取らないという永沢さんが言い放った言葉だ。

「現代文学を信用しないというわけじゃない。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い」

めちゃくちゃカッコ良い。カッコ良すぎ。

特にプリミティブなバカだった大学生の私には「時の洗礼」というワードが響きまくり、以後あらゆるシーンで「時の洗礼を受けているか否か」を判断基準にするのが私の習慣となった。

例えば私はカフェではキャラメルマキアートやエスプレッソアフォガードは頼まない。頼むのはブレンドコーヒーやバナナパフェである。

なぜなら、前者は時の洗練を受けていないが、後者は時の洗礼を受けているからである。

イタリアンに行けば、トマトとアンチョビ、レーズンのブカティーニなんて注文せず、ミートソースやカルボナーラを頼む。

もちろん、基準は時の洗礼を受けているか、そうでないかである。

ちなみにパスタで言うと、明太子やタラコのパスタが時の洗礼を受けているか否かは判断の分かれるところだが、私としては合格としたい。(なぜなら美味しいから)

このように、永沢さんに少しでも近づくために、日々時の洗礼を受けたものを選び取るようにしているのだが、奥さんからはしばしば「チョイスに面白味がない」といういわれのない批判を受けてしまう。

その際私は、

「時の洗礼を受けていないものを選んで失敗するのは嫌なんだ。人生は短い」

と憂いだ表情で嘯くのだが

「いや、アンタはただ保守的なだけ」

と返されてしまう。

鋭い。

私も薄々気付いてはいたのだが、私の生活のスケールで時の洗礼を受けたものを選ぼうとすると、それは単にちょっと昔からある定番のものを選んでいるだけになってしまうのだ。

確かに、ブレンドコーヒーばかり飲み、ミートソースばかり食べる男は、保守的と言われても仕方がない。

私が感銘を受けた時の洗礼の件のあと、永沢さんはこんなことも言っていた。

他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。

私は時の洗礼を受けたものを選ぼうとした結果、他人と同じものばかりを選ぶ習慣が身についてしまっていた。

永沢さんを目指し、日々努力すればするほど、永沢さんから遠ざかっていく。悲しい。

私はこれを「永沢さんのジレンマ」と名付けた。

もし同じジレンマにお悩み飲み方がいらっしゃれば、ぜひ友達になりましょう。

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