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[連載小説]アイス・スチール;チョコミント 二章 4話 ホントとウソと本心と

4話 ホントとウソと本心と

 マンション集合住宅というより複合ビルになっている<美園マンション>には、多くのゲストハウスが入っていた。
 低価格が基本で、部屋の広さに応じて一般ホテルのバジェットクラスから、その半額以下の部屋まで幅がある。上層階ほど宿泊料金は高く、下の階にいくほど料金控えめ、黒いGの出現率も比例して増えた。
 いちばん安い部屋なら、夕食を外食した程度の価格で宿泊できる。トイレやシャワーが共同で、部屋に窓がなく、ムシも挨拶にあらわれるという部屋であっても、結構な数の利用客がいた。
 アイスが利用している<ゲストハウス・ファースト>は、上階寄りにある。美園基準でなら、ややハイクラスの部屋。
 最上級でも一般的なエコノミークラスに届かない料金だから、財布の負担は軽い。料金だけでなく、最低限のものがあれば充分というアイスの生活スタイルが、このレベルの部屋の愛好者にさせていた。
 質素な部屋は、スペースのほとんどをセミダブルのベッドが占めている。
 もっとも、ベッドの下にはスーツケースが楽に入る収納スペースがあるから、荷物がじゃまで歩けないなんてことはなかった。
 冷蔵庫や魔法瓶ポッド、ブラウン管テレビがあり、天井には扇風機——ただし、どれも古くて小さい——もついている。シーツや枕カバーも定期的にかえてくれるから快適だ。窓を開けると室外機の音がうるさいが、エアコンがある。よって、これも問題なかった。
 アイスがこだわるのは、部屋の鍵が頑丈で、金庫を備えていること。仕事上、必須だった。
 診療所から部屋に戻ってきたアイスは、ベッドに倒れ込みたい衝動をおさえて金庫を確認した。異状なし。
 ミオが戻ってくるまで起きていようとしたが、鎮痛剤の眠気に抗えない。身体が求めるままブランケットに手を伸ばしたところで、内線電話のコール音に阻まれた。
 フロントに来訪者がくることを告げてあった。アイスの部屋にもすぐ知らせるようチップを渡してあり、さっそく務めを果たしてくれている。待たせて余計な事をされないうちに応えないといけない。タイミングが良いんだか、悪いんだか。
 ただ、気心の知れたフロントが、部屋案内という普段はやらないサービスをしたのは想定外だった。


 食事のほかに、アイスに差し入れる甘蔗汁ガンジャジュー(サトウキビジュース)を手に、ミオはエレベーターを降りた。先導するグウィンについて歩く。
 グウィンの体調は回復したようで、足取りはしっかりしていた。さきほどのことが嘘のように歩いていく。
 歩くうち、マンションに入るまえに迷子を注意された訳がわかった。
 テナントのスペースが不均等なのか、わずかな距離のあいだに狭い廊下を右に左に折れる。なるほど、これを巨大な<美園マンション>の中でやっていれば、初めて歩く分には方向を見失いそうだ。
 そんなことを思いながら廊下の角を折れたとき、ミオはぎょっとなった。これまで聞いた幽霊話が頭の中で再生される。
 止まった足に、すぐ気づいたグウィンが振り返った。
「どうかした?」
「これ……」
 ミオは足元の壁に向けた視線を動かせずにいた。
「赤褐色の液体が乾いた跡があって……」この色はまるで——
「ああ、ビンロウを噛んだあとだよ」
「聞いたことある……なんだっけ?」
「柔らかい新芽は台湾料理で使われたりするんだけど、噛みタバコみたいにして使うほうがメジャーかな。それを噛んでると、口の中で反応をおこして、赤茶色にそまった唾液がいっぱい出るの。飲み込むと身体に悪いから、吐き捨てちゃうわけ」
「それだ!」
 マナーが悪いだけのことでよかった……ですませたくないが、怪談話ではなかったことで胸をなでおろした。
「『怪異、浮き上がる血痕!』みたいのだと思った?」
「笑い事じゃないよ。こういう話は苦手なの」
「ごめん、ごめん。でもリアルの人間への用心も忘れないで。ゲストハウスのフロントに入るまえに、非常階段の場所もおしえとく。使う使わない関係なしに……あ、階段といえば注意してほしいことがある」
「使ったらダメっていうのは、さっき聞いたよ?」
「もうひとつ。階段そばの廊下に窓があるんだけど、開けたままにして閉めないでね」
「わかった。けど……なんで?」
「アイスに呼ばれて、いくつかのゲストハウスに出入りしてるんだけど、どこのスタッフも、そこの窓が開いてるか気にかけてる。貼り紙してても寒い季節とかは宿泊客が閉めちゃうことがあるから」
「閉めると、よくないことが起こるとか?」
「らしいね」
「え……⁉︎」
 冗談で言ったのに。グウィンの答えにミオの表情が強張った。
「このあたり、昔は刑場だったって聞いたことある? まっちゃ松屋……少し離れた場所にある牢屋敷で斬首された首を運んできて、ここの刑場で晒してたんだって。自由を失ったまま亡くなった罪人の霊が、閉じ込められる空間をきらうから、窓を閉めると不可解なことが起きるとか言ってた」
「具体的な場所を言わないでいてくれて、ありがと……」
 最初の一文字二文字で、なんとなくわかってしまったが。
「でも、閉じ込められるのがイヤなら、牢屋があった場所の建物の窓のほうが関係深いように思うけど、そっちはどうなの?」
「さあ……」
「けっこうアバウト?」
「あたしは変な音や気配を感じたことがないから、本当にあるのかわからない。ただ、ここで働いている人たちが気にしてるなら協力しようと思って。験担ぎだったとしても、窓開けとくだけで安心できるなら、それでいいじゃない」
「そだね」
 とめていた足を再び動かす。
 グウィンは店舗フロアにいたときより、ずっと速い歩調だった。しかも、白杖をほとんど使っていない。
 まわりが静かになって気づいた。まただ。かすかなクリック音吸着音が、ミオの耳に入ってくる。
 グウィンの口元からだった。
 鼻歌みたいな癖なのかもしれない。軽快なテンポの小さな破裂音を聞きながら、ミオは足をリズミカルに動かした。
 


 トゲトゲした葉っぱの観葉植物を通りすぎたところで、グウィンの足がとまった。
 そばのドアには、アイスが利用している<ゲストハウス・ファースト>のプレート。受付部屋に入った。
 受付カウンターのほかに、ちょっとしたラウンジスペースが用意されていた。壁際にトースターやケトルがあり、簡単な調理ができるようになっている。
 飲み物は自由らしく、カップとお茶パックが、それぞれどっさり置いてあった。
 ミオが意外に感じたのは、カップが使い捨ての紙ではないこと。業務用の安そうな無地カップとはいえ、磁器だった。
 グウィンと話していたスタッフがミオの方に目をむけた。
「サトーさんから聞いてる。そのお嬢さんが遠縁の子?」
「今度の夏休み、友だちと四泊の旅行計画があって、このあたりでホテルを探してる。美園も候補のひとつだけど、ここってコワイ噂も多いじゃない?」
「またもう……。グウィンさんも言ってやってよ。よくない連中が出入りしてたのは昔の話だって」
「だよね。手っ取り早くわかってもらうには、実際に泊まってみるのが一番かなって」
 いつの間にそんな設定が。話を早くすすめるために、ミオもあわせた。
「美園は安く泊まれるのが魅力なんですけど、安全面がどんなものか不安で」
「うちなら大丈夫だよ!」
 フロント担当が広報に変身する。おおげさに両手を広げてみせた。
「下の階のほうがもっと安いけど、鍵がチープであぶない。その点こっちは電動ドリルでも持ってこなきゃ開けられない鍵だし、部屋も清潔だよ。二人部屋だってある」
 カウンターの内側から広告入りポケットティッシュを出した。
「ここの番号にかけてくれたら、『魔女の時間Wiching hour(丑三つ時)』以外なら、いつでも電話を取り次ぐよ。友だちが賛成してくれたら電話して」
 ミオは礼とともに、ティッシュをポケットに入れた。
 たいした嘘ではないけれど、少しだけ気まずい。フロントスタッフの期待の視線を背中に感じながら、ラウンジ奥のドアをとおった。
 客室が並んだ廊下を歩きながら訊いた。
「泊まってなくても部屋の鍵を貸してもらえるえるの?」
 グウィンのポケットには、フロントから受けとった番号付きの鍵が入っていた。
「これはさっきの受付部屋のドアの鍵。出入りの常連になったら貸してもらえるようになった。スタッフがいない深夜は施錠されるからね。これで宿泊客以外が勝手にフロアに入ってこれないようにしてる。返す時はスタッフか、ドア横のセキュリティボックスに入れとく」
「ほかのゲストハウスもそうなの?」
「安い部屋になると、外から宿泊部屋までストレートに出入りするとこが多いかな。受付も共同だったりするし」
「アイスは普段から、ここに泊まってるの? 家はないのかな」
「そういえば聞いたことなかった。住所不定だったりして。訪問施術に呼ばれるのは、いつも<美園マンション>に泊まってるときなんだけど、利用するゲストハウスはいくつかある。随時部屋を変えてるみたい」
「気分を変えてるのかな」
「宿泊料金によって部屋のグレードが多少変わるぐらいで、どのゲストハウスも似たようなつくりだよ。たぶん、安全に念を入れてる習慣だと思う。どこにいるか特定されないように」
「もっといいホテルにいけばいいのに。セキュリティもしっかりしてそうだけど」
 法にふれていることはともかく、危険な仕事をしているなら、それなりの報酬があるはず。いくら屈強な警備員がいても、こんな大きなビルでは充分にカバーしてもらえない。
「狭いほうが落ち着くタイプなのかも。あと<美園マンション>なら建物の外に出ないまま、たいていのことが間に合って便利だし。身の回りの買い物はもちろん、クリーニング屋もある。地階に通院しなきゃいけない人間には楽だよね」
 廊下の角にあるウォーターサーバー水の自動販売機を通り過ぎた二つ目の部屋でグウィンが足をとめた。ドアを三回、一回、二回のリズムでノックする。
「合言葉みたい」
「うん、符牒だよ」
 ジョークが、また当たった。
 そこまで用心を怠らないアイスに護られている緊迫感をミオはじんわり実感する。


 鍵がはずれる音がしてドアが薄く開く。
 部屋の中から流れてきた音楽に、ミオは目を見張った。部屋の主とイメージがあわない……というのは失礼だけれど。
 ミオとは反対に、目を細めたアイスの姿がドアの隙間からのぞく。半分寝そうになっていながらも訪問者を確かめ、ドアを大きく開けた。
「おかえり。グウィンもここで食べてく?」
「そのつもりで買ってきた」
「適当にすわって」
 うながされて入ってすぐ、正直な第一声がでてしまった。
「狭っ!」
 これで<ゲストハウス・ファースト第一級>とは。
「でも掃除は行き届いていて快適だよ」
 借り主が満足しているなら余計な口は挟めなかった。
 それにしても、適当にすわれと言われたが、すわれるスペースがすでにギリギリというか、
「イスがひとつしかないよ?」
「グウィンがイス。ミオとあたしがベッドにすわる」
 テーブルも小さいから、おのずとベッドがテーブルがわりになりそうだ。
「怪我人が不安定なベッドに座ってないで、イスとテーブルを使いなよ。甘蔗汁こぼすよ?」
「それって、サトウキビジュース?」
「ビタミン、ミネラルがあって免疫力が強くなるんだって」
 にわか仕込みの知識をミオはアピールする。食欲がなかったとしても、ジュースなら飲めるはず。
「甘いのはいらない。ふたりでジャンケンして勝った方にあげる」
「体力消耗してるんだから飲みなさい。ミオがえらんだんだよ? ほら、イス使って」
「……わかった」
 アイスがのそのそとテーブルのほうに移動する。ミオは、ベッドの方にグウィンと腰を落とした。
 あらためて流れている曲に耳を傾ける。クラシックだった。
 音源は枕元の棚にあるラジカセから。ダブルスピーカーでも、さすがに音質がいいとはいえない。曲が聴ければいいという程度だった。
「シューベルト聞くんだ。ピアノ三重奏曲第2番変ホ短調だよね?」
 父親に習わされたピアノで練習した曲だった。中学に入るなり忙しくなったと理由をこじつけてやめている。
「マイナーなのによく知ってる」
「クラシックは退屈だったけど、これは曲調に変化があってドラマティックだから、まだ覚えてる。アイスこそクラシックはよく聞くの?」
「人の声が入ってる曲がきらいで、なんとなく。あと睡眠薬のかわりになる」
 人に言えないアイスの本業を思いうかべた。
「気持ちを落ち着かせるのに効果ある?」
「たぶんね」
「『佐藤アインスレー』って偽名?」
「他人の余計な情報を入れないことも安全に過ごすコツだよ」
 話の流れで答えてくれるかと思ったが、はじかれた。
 グウィンが笑い声をあげる。
「アイスのガードは固いよ。あたしも知らないこと、まだたくさんある」
 単なる興味本位ではなく、護ってくれるアイスがどういう人なのか知っておきたかった。
 知らないままの相手と友だち付き合いができるものなのか。このふたりの関係がミオにはよくわからない。


 あまり、ゆっくりもしていられない。
 アイスは食休みもほどほどに、自室のシャワーにミオを案内した。
「入れるときに入っておいて」
「でも、ここトイレ……ん?」
 ミオの目線より高い位置にあるシャワーヘッドをさした。
「シャワー室と兼用。スペースがないから水回りをまとめてある」
「まとめすぎだよ、これ」
「トイレットペーパーを避難させておくのを忘れないで」
 そのままにしておくと、ペーパーもシャワーを浴びることになる。アイスは外したペーパーをドア横の小さな棚においてみせた。
 共有スペースにもシャワーがある。そちらのほうが広いのだが、目の届くところにミオをおいておきたかった。下の階よりセキュリティはいいが、あくまで比較でしかない。
 部屋にもどり、シャワーの音が聞こえてくるとグウィンが切り出した。
「あたしたちが買い物いってるあいだに、誰かきてた?」
「うん、ちょっとね」
 ぼかして答えるのが精一杯だった。ミオのものではない、煤のにおいが残っていたらしい。グウィンに気づかれたのは、空気の入れ替えを失念したせい。室外機の騒音をさけるために、窓を開けることがほとんどなかった。
 アイスにとって意に沿わない面会だった。どこに追っ手の目があるのかわからない。いきなり部屋に来るような接触は控えてほしかった。
 とはいえ、アイスにも手抜かりがある。他人を装って追い返し、別の場所で待ち合わせる手間を省いた。縫合したばかりの身体で動くのがつらく、部屋に入れる安易な方法をとってしまった。
「あたしには言えない?」
 あいまいに答えたことを突いてくる。
「知らない方がいい」
 グウィンを巻き込みたくなかった。話を切ってくれることに期待して黙ったが、焦れたグウィンのほうから身をのりだしてきた。
「どれだけ手伝えるかわからないけど、あたしに頼って。借りを返させて」
「貸した覚えはないし、施術料金以上のメンテナンスやってもらってる。もう充分」
「こんなの返したうちに入らない」
「あたしのやりたいようにやっただけ。だから、故障もあたしの責任」
 反論しようとするグウィンの肩に手をおいた。こちらの表情が見えないグウィンに、手のひらをとおして気持ちを伝えようとした。
「あたしの仕事はあたしが片付ける。グウィンはもう争い事なんかに関わらないで」
「そこまでやるのは昔と重なるから? 親を亡くして、まわりの大人の勝手に翻弄されるミオが他人事に——」
 はっとして言葉をとめた。
「ごめん。推測を押し付けてる」
「いや、勝手な思い入れをしてるのは、ほんとだから」
 公私混同するなど初めてのことだった。否定したかったが、追い詰まるのがわかっていながら首を突っ込んでしまったことは認めざるを得ない。
 少なくともミオへの憐れみではなかった。勝手に過去をだぶらせているほうが近い。保護者が必要な子どもの頃、誰も助けてくれなかった再現を見たくなかった。
 そしてグウィンも、アイスとは別の立場で無関係だと割り切ることができないのだ。できなかったことを後悔としていた。アイスから見れば、そこまでやる必要があるのかと思えることを。
 生半可な否定は、グウィンの思いを軽く考えているようでしたくない。アイスはごまかさずに言った。
「あたしはミオを連れ戻す指示に逆らった。かといって、このままミオの味方になるのもデメリットがちらついて決めかねてる。決断しないまま危険の海を泳いでいるところに、グウィンが飛び込んできてほしくない」
「あたしだって同じだよ? 助けられなかった人間を勝手にミオに投影させて自己満足のタネにしようとしてる。
 あたしの身の安全を心配してくれるアイスの気持ちは嬉しい。けど、命に関わるかもしれなくても、何もしないでいるほうが悪夢が酷くなりそうで、そっちのほうがずっと怖いんだよ。アイスのためでもミオのためでもない。自分が救われたいから加わりたいの」
 互いの主張に熱くなりすぎた。
「わたしが遺産なんていらないって言えば、全部解決する?」
 濡れた髪のミオが、押し問答するふたりを見下ろす。
 シャワーを浴びたのに、温度が感じられない声だった。


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