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[連載小説]アイス・スチール;チョコミント 三章 3話 本は表紙で判断できない

3話  本は表紙で判断できない

 ミオはグウィンをベンチに誘導した。
「気休め程度だけど、杖の汚れ拭いとくね」
 雨上がりの公園に転がった白杖に土汚れがついていた。
「いいよ。どうせ、あたしの手も汚れてる。帰ってからきれいにするよ」
「ううん、わたしがしたい……ごめん。ポケットティッシュ落としたみたい」
 こういうときのために<ゲストハウス・ファースト>の広告が大きく入ったティッシュでもとっておいたのに。浅い飾りポケットでは役割を果たしてくれなかった。
「ミオ」
 グウィンの手が、ミオの肩へとのばされた。が、汚れているのを思い出したように途中で引っ込んだ。
「自分本位なことして危ない目に遭わせたから……とか思ってない?」
 イエスだった。
「子どものうちは頑張ってもできないことがたくさんある。だから、まわりの大人に頼ればいい。いまの大人だって、そうやって大きくなってきたんだから。ミオにはミオの事情があったと思うけど、甘えるのも子どものうちにやるべき経験だよ」
「甘えろ」と言われたのは初めてだった。
「でも、勝手に飛び出したのは……」
「アイスやあたしに相談できる雰囲気があったと思ってない。ミオのせいだけじゃない」
「ふたりともケガはない?」
 離れた木立で誰かと話していたアイスが戻ってくる。ミオは身を硬くした。
「怒ったりしないから怯えないで。あたしのほうが罪悪感が大きくなる」
「アイスまで、なんで……」
「責めないかって? ミオなら言わなくたって後悔してるだろうから」
「……考えてるのであってると思う」
「怜佳さんのことだけど無事だったよ。ただ会うのは、もう少し待って」
「無事……」ほっとしたのも一瞬で、
「でも、怪我は?」
「ワセリン塗っておけばすむ程度じゃないかな」
 無責任に聞こえる答えでも、今度こそ安堵で膝から力が抜けそうになった。
 正直、もう駄目かもしれないという気持ちがあった。あの火事のなかをどうやって助かったのかわからないが、とにかくよかった。
「安否は少し前からわかってたんんだけど、事情があって伏せてた」
「いま会えないのも事情のうち? 訊いても、おしえてもらえないよね」
「怜佳さんに断りなく話すことはできない」
「わかった……」
「怜佳さんは後見人を放棄したわけじゃない。ミオの様子も訊かれたし、伝言もあずかった。『大変だろうけどヤケを起こしたりしないで、自分を大事にして』って」
「ひとりじゃないってわかったから、ちょっと楽な気分。アイスには見放されたと思ってたし」
「遅刻してきた言い訳は歩きながら話すのでいい?」
 左肘をグウィンにつかませた。
「いったん美園に戻ろう。これからの準備もあるし」
「でもそっちは……どこかに寄り道するの?」
 駅にいく方向からずれていた。
「タクシーで帰る。三人で乗ったら元がとれるでしょ」
 こういった感覚だけは、ディスカウントに並ぶおばさんと変わらない。

     *

 グウィンとミオが店舗フロアにいる間、部屋にきていたのは怜佳だった。
 このときに怜佳から、密かに抱いていた計画を打ち明けられる。ミオを守るためだけに動いているわけではなかった。
「自分の手でディオゴを消すつもり」
 怜佳の本心を聞いても驚きはなかった。古い社屋とはいえ、<オーシロ運送>を赤リンで爆発炎上させることまでやっている。ミオを守るだけでなく、それぐらいの決心があるほうが自然に思えた。
 アイスは話の続きをうながす。やろうとしていることを言葉にさせ、怜佳に自覚させようとした。
「ディオゴへの遺恨は抱き続けているだけで、それ以上のことはできなかった。けど、今回のことで決心がついた。このマンションに入るとき、浅野の姿を見かけてる。爆発火災で退けてもまだ、ミオをあきらめていなかった。なら、こちらも確実な対抗措置をとるべきだって」
「社屋を吹き飛ばしたのは、逃げる時間稼ぎのためだけじゃないとは思ってた」
「さいわい会社の周囲には、空間的な余裕がある。脅しをかけるつもりで派手な仕掛けにしたの。手を出すなら、こちらも反撃するぞっていう。これであきらめてほっといてくれるなら、遺恨を忘れていいとも思ってた。
 期待した結果にはならなかったけど、燃やしたことは後悔してない。事務所のほうに押し入ってきた連中は、みんな銃をもってたから、佐藤さんがいても逃げるのは無理だったと思う。それが成功しただけでもよかった」
 一気に話した怜佳は息をついた。
「白湯しかないけど飲む?」
「そういう、佐藤さんはどうなの?」
 いらないらしい。
「長年の仕事の相棒を消し去ろうとしている、わたしのジャマはしないの?」
「思うところはあっても、あたしには向いてない分野をやってくれるパートナーだ。これからも一〇年二〇年ディオゴと仕事を続けるなら、怜佳さんをどうにかしたでしょうね」
 確信的な笑みを浮かべた怜佳に、アイスは感心するばかりだ。敵陣の副官を陣営に引き込んだのも、痩せていくディオゴとのつながりを見抜いたからこそだった。 
 しかし、賛同できない点もある。
「『消す』には技術的なことだけじゃ足りない。怜佳さんが予想する以上の精神的負担、実行した後のことで伴うリスクは半端なく大きい。ディオゴを殺す以外にも、遺産を守る方法や報復の手段はあるはず。あなたのその優秀な頭脳を使ってもっと考えて。
 あたしが言うのもおかしいけど、殺すという手段は勧められない。怜佳さんの人生をチャラにしても果たす価値はある?」
「問い直されても答えは変わらない」
「そんな相手と一緒になったのは、弱みを握られてたから?」
 訊いてしまうのはディオゴへの懐疑心だ。
 長年の相棒でも、プライベートに関しては無関心を貫いていた。今回の展開を招いたのは、その結果だ。見ないふりを続けるのは、もう無理だった。
「<オーシロ運送>は、父がトラック二台ではじめたの。顧客の開拓に喘ぎながらのギリギリ経営。それでも少しづつ商売をひろげて、父子家庭で家事もやりながら、わたしを大学にまでいかせてくれた。
 いきなりディオゴに求婚されたのは、勤め先も内定していた卒業間近。勉強の合間をぬって父を手伝っていたから、時々きていたディオゴの目にとまったのかもね。父から聞いた話では、新規の仕事の説得をされてたんだって。うちにとっては、ちっとも嬉しくない仕事の」
<ABP倉庫>では、外部の運送業者も使っている。荷物は、まったくのシロから黒まじりのものまで、業者によって使い分けていた。そのときのオーシロは、後者の仕事を持ちかけられていたと思われる。
「わたしは恋愛に無関心だったから、ディオゴからプレゼント攻勢されてもいい迷惑だった。むしろディオゴの商売の中身を知ると、ますます厭になった」
「けど、ディオゴはあきらめなかった」
「優しくしてるつもりだったんでしょうね。『大卒資格なんか必要ない。誰かの下で働かなくても、おれと一緒にいれば贅沢な暮らしができる』とかいってね。わたしは仕事のためだけに大学いったんじゃないのに。
 で、断り続けていたら、今度は鞭をふるってくるようになった。オーシロの顧客を奪ったり、事故を仕掛けたり。証拠がないから警察に相談もできなかった」
 怜佳の目元に怒りが這う。
「父は望まない男と結婚する必要ないって言ってくれたけど、精神の均衡を失ってたんだと思う。倒産寸前に追い込まれて、発作的に自殺しようとした。助かったのは、古くからいた社員が気づいてくれたから。事務所にいた二谷さん、おぼえてる? あの人のおかげ。これまでディオゴと別れずにいたのは、<オーシロ運送>への圧力を防ぐためだけよ」
「そこにミオのことが重なって、ディオゴの始末って話になったんだよね。自分の手でやろうって心変わりしたのはなぜ?」
「結婚して間もなく、自分から銃の訓練を受けたから手段はもってた。<ABP倉庫>の身内になるということは、暴力に巻き込まれることがあるかもしれない。構成員の家族には手を出さないなんて掟、もうなくなってるでしょ? そんな阿呆なことで命を落とすのはゴメンだし、ディオゴに対抗するための力を手に入れたかったから」
「ディオゴを手にかけることは、その時から考えてたわけだ。ディオゴの妻っていう立場を利用すれば、裏仕事で出入りしている業者から、実銃を手に入れる事ができる。銃の訓練は、海外の実弾射撃ツアーってとこかな」
「さすがはよくわかってる」苦笑を浮かべた。
「ひとりでレクチャー受けに行くつもりでいたら、ディオゴがエスコートすると言い出した。実弾射撃アトラクションがついた旅行のつもりで。さすがに気まずかったけど、行っただけの収穫はあった。実際に銃を撃ってみると、現実的な問題が見えてきたから。
 銃は非力な者でも力を使える便利な道具だけど、レクチャーを受けたぐらいじゃ扱い方を覚えたに過ぎなかった。人間をかたどった紙の的ですら酷く緊張したことを思い出すと、ディオゴを本当に撃てるのか心許なくなった。だから最初は、佐藤さんに仕留めてもらうつもりで頼ったの」
「気持ちがかわったのは、銃にかわる実用的な方法を見つけた——とか?」
「ディオゴはわたしがやる。佐藤さんにはここから先、ミオを頼まれてほしい」
 肝心なところは答えようとしなかった。
「ミオがそばにいると気持ちがぐらつきそうだし、巻き込みたくない。距離をとっておきたいの」
 アイスは無言のまま目だけで問う。
 その視線を正面から受けて怜佳が告げた。
「佐藤さんへの報酬の額は変えないし、受けてもらえるつもりでミオに必要なものも整えてある。お願いできるのは佐藤さんだけなの」
 断りの言葉を出すつもりが、諦念がまじった重苦しい溜め息だけがでた。

     *

 ミオは、タクシーが拾える幹線道路にむかって先立って歩く。その途中、アイスとグウィンに顔だけ振りむけて訊いた。
「わたしがあの公園にいるって、どうやってわかったの?」
 夜のビジネス街に人通りはほとんどない。それでもアイスは視線を周囲に走らせながら答えた。
「バラ園が見える一等地に彩乃さんのオフィスがあったって言ってたでしょ? 市内で該当するのは二ヶ所だから、あたしは北区の方を探しにいってた。見通しがいいし、多少の夜目がきくあたしがいけば、確かめるのに時間がかからない。で、いなかったから、グウィンにいってもらった西区のこっちに引き返してきた」
「アイスは来てくれないと思ってた……」
「半分あたってる」
 そうなってもしょうがないと思っていたとはいえ、どきりとする。
「放っておこうとも思った。護衛はお守りってことじゃないから」
「同情で来てくれたの?」
 アイスに憐れまれたのかと複雑な気分になったが、
「同情……とは少し違うな。あんまり話したくない」
 本音で話してくれると、どんな答えでも安心できた。何も話してくれないまま逝ってしまった彩乃のことがある。嘘でとりつくろわれるより、ずっとよかった。
「はっきりしてるのは、あたしを動かしたのはグウィンだってこと。礼ならグウィンに言って」
「もう言ってもらった。お腹いっぱいだから、これ以上いらない」
「お礼とは別に、謝っておきたいことがあるの。グウィンに勝手なイメージつくってたから」
 アイスが先んじて言う。「謙虚、優しい、たおやか、とか? よくあるパターンだ」
「うっ……うん。健康に問題がある人は、控えめっていう思い込み」
 グウィンが笑った。
「本の表紙だけじゃ中身までわかんないってやつだね。たおやかには、ほど遠い」
「もしかして白杖を護身兼用にしたのって、アイスの提案とか?」
「思いつきを口にしただけだったんだけど、グウィンが本気になった」
「わたしみたいな先入観、アイスにはなかったんだ」 
「そんなたいそうなもんじゃない。グウィンの故郷にダブルスティックを使う武術があるのを思い出して、運動がてらな感じで言ってみたら、あっという間に使いこなすまでになっちゃって。元からセンスがあるんだよ」
 軽いとはいえないスチール製の白杖を使っていたのは、うっかり者に蹴とばされる用心だけではなかった。
 ミオがイメージでとらわれていたのはアイスに対してもだった。体格がいいわけでもないのに、銃やナイフといった武器を使わずに押さえてしまうから、意外性がさらに増す。
「スーツの人を倒したときは、何を持ってたの?」
「これのこと?」
 ポケットに挿していたものをとって見せられた。
「ボールペンだけど?」
<ゲストハウス・ファースト>のネーム入りボールペンだった。金属素材ではない、粗品でよくある安くて軽いプラスチック素材。
「え、それ⁉︎」
 部屋の備品を勝手に持ち出していいの? という問いはさておき気づく。アイスは相手の顎の下、見えにくい位置に押し当てていた。
「そっか。ペンを使って武器があるように騙したんだ」
「それもありだね」
 それ? よくわからない答えだった。
「ミオは武器とか持たなくていいけど、あとでセルフディフェンスのレクチャーさせて。相手につかまらないようにしたり、つかまっても逃げ出したりっていったコツを覚えといてほしい」
「護られているだけじゃ駄目ってことなんだ」
「護りきれないかもっていう弱音として聞いといてくれたら嬉しいよ」


 ボールペン本来の用途以外の使い方なんて知らなくていい。アイスは別の話題にすりかえて会話をおわらせた。
 ミオが<美園マンション>を飛び出した理由を訊こうとは思わなかった。はるか遠くになった一〇代を思い出すと、我ながら何を考えてたんだと思うような行動はいくらでもあった。
 力も経験もない子ども時代は、できることがあまりに少ない。もどかしくて苛々し、八つ当たりに出ることもある。理屈でなく感情で走ってしまうことが、ミオにあってもおかしくなかった。
 美園を出た先のことにしてもそうだ。ミオがこのバラ園にいたのは、無意識にでも見つけて欲しい気持ちがあったのかもしれない。
 大事な思い出の場所であるのは違いない。しかし本気で姿をくらますのなら、怜佳が口にした場所ではない、他の場所を選んだはずだ。本気で守る気があるのか、アイスを試したようにも思えた。
「タクシー見つけてくれる?」
「わかった」
 幹線道路まできたアイスは、ミオにタクシー探しを頼んだ。
「痛みが強いのは左足と脇腹、どっちのほう?」
 ミオが離れたタイミングで、グウィンが小声で訊いてきた。
「そんなに酷い?」
「この騒音の中でわかるほど、歩調と呼吸が乱れてる」
「うん。両方とも結構痛い」
 鎮痛剤では抑えきれなくなっていた。気を抜くと顔をしかめそうになる。
 アイスよりひとまわり以上若いグウィンの体力は回復したようだ。実戦から離れてずいぶん経つはずだが、基礎体力は健在だった。
 ミオのたくましさも、なかなかのものといえた。グウィンの過去の顔をかいま見たはずだが、動じたところがないようにみえる。興味本位で訊いてくることもない。
 取り乱すことのない肚のすわり具合は頼もしくあるが、これから起きるだろうトラブルに楽観してはいられなかった。


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