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人生の再起動の象徴としてのバイク

私の人生を振り返ってみると、「型」にはまることへの抗いだったような、そんな気がする今日この頃。50歳を超えると、いい意味でも悪い意味でも落ち着いてきて、色々なことを考えたりしてしまいます。(ある意味、暇なのか?とも思いますが。)

女性であること。
長女であること。
偏差値が高いことを目指すこと。
一流企業に就職すること。
会社が決めた時間軸と評価軸と貨幣軸の中で人生を送ること。
妻としての責務を全うすること。
子供を育てること。
社長であること、経営者であること。
経済成長の中に豊かさがあること。
などなど・・・。

そんなものは無視すりゃいいと言えばそれまでだけれど、
親や社会っていうのは結構なパワーとストレスで呪縛のように私を覆い、
こうやって向き合えるようになるのも一苦労だったような気がします。

そんなときに、孫子の兵法に「無形」という概念があるということを知り、
兵法はまったくもって勉強していませんが、なんとなく感じるところがあり、無形という概念で書き続けられる場所は一番noteが近いのではないのかな?と勝手に思ったわけです。ってことで、とにかく徒然にnoteに思うことを書いてみようと思います。

で、人生の再起動の象徴としてのバイクなのですが。

30年ほど前、初めてkawasakiのNinjaを見たときには衝撃が走って、そのカッコよさに一目惚れをしました。ちなみにトム・クルーズではありません。記憶にはないけれど別のタイプ。でも乗るならNinja。なぜかそう決めました。

でも、会社経営、家庭、暮らし、そんな日々の中で、自動二輪免許やバイクは私の人生とは縁がないものとして遠ざかり、いつしか封印されていました。だって、怪我して入院でもしようものなら、会社もうその日からヤバいし。(まぁ、それが私の経営者としての能力のなさだけれど)

そして今年、色々なことが重なって、社員や事業を手放して、一人会社になったときに、ふっと何を思ったかkawasakiのサイトを見に行ったら、
憧れの黒、ブラックNinjaが250ccで出ていることを知りました。
ちなみにkawasakiグリーンは好きではない、乗るなら黒。
これもずっと決めていたこと。

夫に、「バイク乗りたいと思ってたんだよね、昔。」とボソッと言ったら「乗るなら今だ!ラストチャンスかもしれない。乗ろう!」
とまさかの言葉に(危ないからと反対されるとばかり思っていました)
勢いのままバイクに乗ることに決めました。そこからは早かったです。

すぐ自動車学校に申し込みに行って、第一段階を終えるくらいの時には既にNinjaを注文して、バイク女子デビューをしました。入校からデビューまで、1か月弱でした。

そして私は、Kawasaki Ninjaの背にまたがった時、自分の再起動を再確認。
「私はこれからまた自由に新しい世界を見ることとなる。」
そう感じました。

そして、それから本当に新しい世界が少しずつ開けている感じがします。
まだ薄明かりだけれど、確実に何か見たことのない光が。
今後、そんな事も書いていこうと思います。

それにしても結婚して20年にもなろうかというのに、夫のことはちっとも分かっていませんね。バイクは反対されるどころか、背中をドンっと押してくれました。感謝です。夫の言葉がなかったら踏み切れなかったかも。
そして賛成してくれた夫のためにも、絶対に安全に事故なく乗り続けると決意しております。

女性がバイクで事故ったら
「だから言わんこっちゃない」って男性以上に言われるみたいですからね。
そして、間違いなく私の夫は「何故止めてくれなかったんだ」とmy両親から叱責されるのは目に見えていますからね。

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