治らない病気との付き合い方⑤病気になって感じること

ジタバタしても何もできない時がある。
その間、人に助けられ迷惑も掛けてしまうが、本当に何もできない時がある。

そんな時は、人に任せ、時間に任せ、ただ受け入れる。
それしかできない。
その先のことは、また後でじっくり考えようと思う。

病気になってわかったことはたくさんあるが・・・

「何も諦める必要はない」が「やり方を変える必要がある」

やり方を変えれば、発見がある。
発見があると、楽しい。
つまり、この発病は「楽しい」がある。ということだ。

便利なものが増えている。
便利なものに頼る。それも重要。

自分が難病になった意味?
そこに何かを感じ取るか?

おそらくはあるのだろう。と思う。
現に障害者の不都合さを知り、なにかを始めなければならないと思いプランを立てている。
しかし、出来事への出会いはみんなちょっとした事だったりするはず。
そういった意味では、私が難病になったのは「必然」。それ以外ない。

何が一番辛いか。

辛いことはない。自分を面白い人生だなと感じる。
痛みは嫌なものだが、不都合は誰にでもある。
割れたガラスの上を裸足で歩き、その足を焚き火に焚べ、更にはカッターでシャーシャー切られている様な痛み(ひでぇ・・・)そんな痛みごとき、大したことではない。

「しょうがない」という言葉が嫌い。
しょうがない事なんて、そうそう無いから。

「病気になった、しょうがない」「なってしまった以上はしょうがない」
すべては始まりなのに、ため息と同時に何かを諦めているように聞こえる。

まるで、自分の不甲斐なさに蓋をするような言葉。

必ず、学びはあるはずだから、しょうがないなどと言い切らずに、そのことについて考えたほうが良い。まったく違う世界を楽しめるかもしれないから。
人間は誰しも病に罹るし、いずれ死ぬ。
短かかった人、長い人、それぞれに尊厳がある。

だから、短くて可哀想だなんて失礼になる。
病気や事故で、体が欠損している方もいる。
寝たきりの方もいる。
心が病気になってしまった方もいる。

誰が辛いかなんて言えない。
原因なんて追求しても意味がない。(医学的観点は別)
その先、どう生きるか。それしか無い。

人に感謝して、技術の恩恵を受け、今日も明日も皆同じく生きていくだけ。

ちぇけら。


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