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物語のタネ その九『吸血鬼尾神高志の場合#30』

ヴァンパイアの正統派3点セット「マントにシルクハットにステッキ」に身を包んだ100名を超えるヴァンパイアが揃った姿はなかなかのものだ。
いよいよこの後、ハロウィンの街に繰り出してゾンビたちとの戦いが始まる。

その前に僕にはやらねばならないことがある。
緊張と興奮が混じり合った空気が充満するホールを出る。
向かうのはブラキュラ商事の研究室。
そこにいるのは、村田さん。
僕の脳裏に先ほどホールの片隅での尾神さんとの会話が甦る・・・。

「勇利、この戦いに出る前に、一つやっておかないといけないことがあるよな」
「あ・・・」
「そう、それ、お前に頼む」
「・・・」
「これが俺たちヴァンパイアの宿命だ」
「・・・そうですね」
「頼んだぞ」
「・・・」
ボーイたちの作戦は、サブマリンのように密かに多くの人間にゾンビの血を仕込み、ある時に一気にゾンビ化させるというものだ。
今のところはボーイに血を注入された者でゾンビになった人はいない。
それゆえに、噛まれた人を密かに探し出し、ブラキュラ商事の社員ヴァンパイアが吸血することが出来る。
そして、あと1人吸血できていない人がいる。

今回の戦いに参加している科学警察研究所生物第5研究室・村田エリ。

ゾンビたちの増殖の謎を明かすため、自らの体にゾンビの血を注入した村田さん。
彼女の勇気のおかげで、人類はそしてヴァンパイアはこの戦いに臨めているのだ。
そんな彼女をゾンビにするわけにはいかない。
ゾンビ化のスイッチを握っているのはゾンビのヘッド、ボーイ。
全面戦争への突入が秒読み段階となった今、いつ彼がそのスイッチを押すかわからない。
一刻も早く村田さんの体からゾンビの血を吸い出さねば・・・。

だが、彼女から吸血した途端に、彼女と僕たちの絆は切れる。
ヴァンパイアがその人間の血を吸ったら、その人間の頭からヴァンパイアとの記憶が消えるのだ。
どんなに素晴らしい思い出も消えてしまう、出会いの時からそれまでの全てが。

研究室に向かう廊下、村田さんとの思い出が甦る。
警視総監室に入って来て初めて村田さんに会った時、自分の体にゾンビの血を入れてくれと言った時、撮影所に行った時、ゾンビのアジトに潜入した時・・・。
その時々の村田さんの顔が思い浮かぶ。
緊張、決意、そして時に少しわくわくしているような顔。
そんな村田さんの顔を近くで見るうちに、僕は・・・。

研究室の扉の前に着いた。
僕は扉を開ける。
そこには、簡易ベッドに腰掛けた村田さん。

「終わりましたか?」
「はい、無事。戦闘準備完了です」
「そうですか。いよいよですね」
「はい」
会話が途切れる。
村田さんは足を少しだけぶらぶらさせながら研究室の壁や床や天井にゆっくりと視線を巡らせる。
僕は入口の近くから一歩村田さんに近づいた。

「村田さん・・。」

「残念です」

「え」
「折角仲良くなれたのに」
「・・・」
「なんとかならないものなんですか。血だけ吸って貰って記憶は残るって」
「・・・」
「勇利さんたちとの記憶が」
「村田さん」
「はい」

「僕は必ず、あなたとの新しい思い出を作ることを約束します」

「え?」

「いや、作らせて下さい」

「・・・」

「今度会う時は、もっとしっかりと伝えます」

「・・・」

「だから、これは練習です」

「・・・はい」

「村田さん、あなたのことが好きです」

僕は村田さんを抱き寄せるとそっと首筋に歯を当てる。
村田さんの血が彼女の思い出と共に僕の体の中に入ってくる。
村田さん、僕は忘れません、あなたとの時間を。
そして、戦いが終わったら、もう一度思い出作りを始めさせて下さい・・・。

村田さんの首筋に当てていた歯をそっと離す。
一歩村田さんから離れる。
村田さんが閉じていた目を開ける。

「あの、ここは?」
「ブラキュラ商事の研究室です」
「あ、そうでした。で、あなたは?」
「ブラキュラ商事社員の勇利タケルと申します」
「勇利さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ」

さあ、いよいよ決戦だ。



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