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私たちが何のために生きるのか、そんなことは考えなくていいんだ、と思った1週間。

同時に二つの場所で ぼくらの存在は成立しない
無数の空席はあるけれど 同じ時間の中で
だれもがひとりぼっちだ
中略
おおかたは栄光の時も悲運の時も
えてしてぼくらの概念をかけめぐる主観にすぎない

神へ捧げる七十七のソネット#18より

今日も、少し、父の詩集をまとめながら、私なりに解釈したことを綴ってみたいと思います。

今週は午後になると急に真っ黒な雲が立ち込めて、雷が轟き、豪雨そして大粒のひょうが降る、嵐のような日がありました。
大きな音を立てて断続的に降る白い雨や稲妻を見ていると、人間は本当に無力だと思います。
そんな地球上で起こるすべての事象は、神が作ったシナリオ通りのことだと亡父の詩は言います。

では、私たちに一体何ができるというのでしょう。

先日、心理学の学びの中で、「生き物は何のために生きているのかなどは考えない。ひたすら現在を懸命に生きることが、生きる感謝の表現なのだ」という話を聞きました。
「同時に二つの場所で ぼくらの存在は成立しない」
この言葉も、まさに私たち人間は「いまある場所で、一所懸命に生きるしかない生き物だ」と語っています。私たちが生きる事とはなにかを、最後まで見つめて、父は詩に託したのだと思います。

そして「おおかたは栄光の時も 悲運の時も えてしてぼくらの概念をかけめぐる主観にすぎない」という言葉。
人生は嬉しい時も悲しい時も、見方を変えることで表裏が入れ替わるものだと言うのです。一連の詩は、神様が作ったこの世界を私たちは受け入れ、自ら楽しむ事しかできない存在であり、そう生きなさいと、教えてくれているように思いました。


7月7日七夕🎋の日、私は、今日も美味しいご飯を食べられて、健康に働けてありがとうの、感謝の言葉を短冊に書きました✨
来週も皆さんにとって素敵な1週間でありますように。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました😊

昭和の文学青年だった亡父の詩集を、電子書籍出版しました。
もしご興味がありましたら、のぞいてみてください🙂

亡父の詩集を改めて本にしてあげたいと思って色々やっています。楽しみながら、でも、私の活動が誰かの役に立つものでありたいと願って日々、奮闘しています。