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「あわい」についておもう(4)

久々に毎週待ち遠しくなるドラマを観ました。

金曜10時からのドラマ「俺の家の話
(注意∶このリンク先は、思いっきりネタバレしています。)

ドラマをちゃんとみるのは久しぶりです。
(しかし、途中から観たという…)

人間国宝の能役者の父を持つ息子(長男)が、家を飛び出してプロレスラーになるのですが、25年ぶりくらいに家に戻ってくるお話。

なんだか、荒唐無稽な話だなあ、と思っていましたが、私は最近、能に興味を持ち始めていたので、観てみたらハマったパターン✨


上記のリンク先の筆者さまは、このドラマを大絶賛していて、主人公は境界を超えている(シームレス)、
とおっしゃる。

「能」舞台に「あわい」があるならば、
「プロレス」のリングにも「あわい」があるのだろうか?
(私にとってのプロレスは、キン肉マンです💪)


主人公は、別れた奥さんからも恋人からも

「自分が無い」

と言われるのですが、
(妖精みたい、とも言われていた🤣)

能役者も、
プロレスラーも、
観客の心を写す
「鏡」
であり、
「自分が無い」のかもしれません。

それが、良いことか、悪いことか、
をジャッジせず、

自分が「どうあるべきか」や
自分が「どうしたいか」を越えた先に、
「あわい(間)」が生まれるような気がしました。