22/11/2020:『Reckoner』

今住んでいるマンションを契約したときに、

「あ、そうそう。倉庫もあるから、使ってね。」

と、家主さん鍵を渡してくれたから、僕はそこに普段から使わないものを仕舞っておいた。

大きいダンボール、使わない椅子、前の住人が置いていったキャットタワー。

そして、さっき取ってきたのはこのスーツケースだ。

エレベーターで部屋のあるフロアまで昇っている途中、スウェット姿の僕と腰くらいまであるこの赤い物体が鏡に映った。

ポンポン、と2回叩いた。

                 ・・・

「死体でも入りそうだね、それ。」

と、空港で彼女が言ったのを思い出した。

「私をその中に入れてでもいいから、連れて行って。」

くらいのことを言われるかと思っていたから、面食らったのを覚えている。

その時はまだ暑い季節で、空港の中まで日の光が押し寄せるようにして入ってきていたから、別れの雰囲気も爽やかさが大部分を支配していた。

「いやよ、そんなの。飛行機の倉庫って寒いんでしょ。凍えちゃうじゃない。それに、」

「それに?」

と、僕は聞いた。発券機でチケットを印刷しようとしたけど、うまくできなくて2人で並んでいたところだった。

「ちゃんと自分の力で会いに行くわよ。こんな棺桶みたいなスーツケースに入れられなくったって。」

僕は彼女の顔を見て、

「うん、頼もしいね。」

と、言った。

長いサーフボードをカートの頭からはみ出させながらカウンターに向かうグループがいた。そうやって世界中を旅して回っているんだろうか。季節の変わり目に合わせて、北へ南へ。大きな波を探して、西へ東へ。そういう時間の過ごし方は、本当に素敵だろうな、と思う。そして、実際、彼らは日に焼けた顔をくしゃっと笑顔で丸めながら、楽しそうに話していた。

僕はパスポートを開いで自分の顔写真を見た。

むすっと膨れた、いかにもつまらなそうな目をして、口を真一文字に閉じている。

「二日酔いだったんだ。」

と、言い聞かせた。

                 ・・・

部屋に帰ってスーツケースを開ける。被せる側のファスナーポケットに写真のようなものが何枚か入っていた。

「ん、なんだろ、これ。」

何年も前に行った町の、小さな美術館のパンフレット。

ホテル裏のバーでもらったフライヤー。

「こんなところも行ってたかしら。」

僕はそのまま床に胡座をかいて、少しずつ記憶を辿りながら、そんな半ピラの紙や6つ折の厚紙をめくった。

赤いスーツケースはもう10年以上も使っているから、傷も多いし、シミや汚れが目立っている。バンバンと空港で投げられたり、あるいは僕も乱暴に引いたり押したりしているからだ。

「うん、旅の匂いがする。」

そんな匂いするわけないけど、なんとなくそう感じた。

一年に一回しか開けないから、その空間に閉じ込められていた空気は一年前のもので、だからそんな風に感じたんだろう。

結局彼女はこの国に来ることなく、その代わりに僕の人生からは遠く離れていってしまった。あれほど長い間一緒に過ごしていたのに、やはり巷に幾千と溢れかえっている恋と同じように、あっけなく、あっさりと終わっていった。

「そうかそうか、結局人生そんなもんだよね。」

と、僕がもう1人の僕になれたとしたら、きっと今の僕にこうやって言うだろう。

僕はまたファスナーポケットにフライヤーとパンフレットを戻した。

こんなもの、取っておいたって何にもならない。

でも、別に入っていたって変わらないんだから、じゃ、時々こうして旅の匂いに包まれる時にまた広げるくらいいいじゃないか。

そして僕は立ち上がり、ふぅ、と一息ついた。

また新しく旅の匂いを詰めて行くための一息だった。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

Robert Glasperで『 Reckoner』。

 

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