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執筆の一助(第4回 書き始め当初の色々な悩み)


〇目次
 1、はじめに
 2、漢字が読めない事件の葛藤
 3、学校は必要?
 4、まとめ

〇はじめに

 誰かに届けこの想い!――的な連載ですが、少し『執筆時の悩み』の部分を割愛しすぎたので、ここで初期段階での悩みを列挙していこうかなと思います。

( ' v ' ){おそくない?)
おそくない!(必死)

1、漢字が読めない事件の葛藤


 まず本当に衝撃的だった事件がこれです。
〈漢字が読めない〉事件。

 日本で公募されている小説というのは、基本的に日本語で書かれたものが選考対象だと思います。(違うものもあるのかもしれませんが)
 つまり大前提として日本語を読み書きできなければなりません。

( ' v ' ){あたりまえではないのですか)
いや、これ冷静に考えると凄くないですか。
難しいとはいえ、日本語が書ければ良いのです。
もちろん小泉八雲という作家のような例もあります。

( ' v ' ){面白ければ誰でもなれる職業……?)
そういうことになりますね。

( ' v ' ){面白ければ誰でもいい……?)
え? あ、はい。

( ' v ' ){面白ければ……面白くなければ……?)
そこだったかあ!(天を仰ぐ)

 母国語っていうのは不思議ですよね。意図せず使っている方も多いと思います。
 日本語、読めますか? 書けますか? と聞かれれば特に考えることもなく「はい」と答えることでしょう。
 しかし十代の私は「はい」と答えられなくなってしまった。

 なぜか。

 それは〈蠱惑的〉――これが読めなかったからです。

 衝撃的でしたね。今でも忘れません。
 たしかあれは夏だったか。いや、冬だったかな。

( ' v ' ){忘れてるだろ!)
春だったか!?

 私は作家になるための訓練を何個も考えていましたが、一番単純なこと――〈出版されている小説を書き写して、文章を体感で覚えよう〉と思いました。

 で、意気揚々と初めて見て数分でした。

 蠱惑的――読めないんです。
(蠱惑的=こわくてき。意味は調べてくださいね! ちなみに江戸川乱歩作品に使われていました)

 人生で一度だけ心から作家を諦めようと落ち込んだ時があったんですが、まさにこの時でした。

( ' v ' ){はやくない?)
豆腐メンタル☆

 でも考えてみてください。だって、日本語が読めないんです。
 日本語を駆使して創作世界に飛び出そうとした矢先です。言葉を生み出さねばならない作家として致命的だと思ったのです。

 とにかく落ち込みましたね、心から落ち込みました。
 自分の学のなさを本当に悲しみました。

 ただ!
 ご安心ください。
 次の章で述べますが、まあ、読めなくても読めないなりにやり方はありますし、読めないなら調べりゃいいのです。
 もちろんもっと簡単な方法もありますよ。
 それは〈分からない漢字や表現は無理して使わなくてもいい〉なのですが、これはまた説明が必要なことなので、こちらでは割愛します。

( ' v ' ){創作論になっちゃうもんね?)
か、監視されている!(ブルブル)

2、学校は必要?

 さて、漢字の読めない斎藤ニコ(若)は、この笑えるようで全く笑えない事実を前に折れかけていました。
 作家を目指し始めてまだ一か月ほどだった気がします。
 プロの作品から何かを学ぼうと、模写しようとした結果、そもそも模写が出来なかったという事実です。
 とにかく自分の知識のなさを恨みましたね。

( ' v ' ){自業自得では)
はい!(潔さ)

 やはり作家っていうのは、ラノベだろうがなんだろうが高学歴の人間――中学も高校も大学も良いところへ行かないと書けないのだな、俺には資格がないのだな……なんて本気で悩みました。

 でも、心の片隅でまだ諦めきれなかった私は、そのころ好きだった作家のことを調べました。
 結果をどうぞ。

●川端康成――東京帝国大学国文科卒(WIKIより)
●ダニエルキイス――大学の名誉教授(WIKIより)
●谷崎潤一郎――東京帝国大学中退(WIKIより)

 ハイ! なんかスゴイ!

 とにかく頭がよさそうだ。中退がむしろ強そうに見える……。
 もちろん好きな作家さんは好きな作家さんであり、私自身、高尚な作品を書く気などありませんでしたが、それでも打ちのめされました。学歴はここでも俺を押しつぶしてくるのか……。

( ' v ' ){比較対象が偉大過ぎるのでは……)
若気の至りだったんですよね(魔法の言葉)

 さあ、というわけで私は知識の壁みたいなものにぶつかった『つもり』だったのですが、実際はどうなのでしょうか。

 これに対する答え(のようなもの)は、社会に出てみると自然と理解するかもしれませんね。

 人間の力とは過去に見ることもできますが、未来を切り開くことにも見ることができるのです。
 ようするに、今まで何をしてきたか、ということは大事ですが、これから何をするのか、ということは同じくらい大事であるということです。
 今までやってこなかったのなら、今からやればいいだけのこと――ただ、未知の事に触れようとすると、どうしても「過去」に法則を求めようとしてしまいます。
 でもそれでは解決しません。
 なぜって? だって「未知」とは今まで知らなかったことという意味。それに挑戦しようとしているのに、過去にその解決方法を求めても答えがあるわけがないのです。

 しかし、思考のドツボにはまると、人間というものを測るスケール(定規)を限定的に使用してしまい、学歴とか経歴だけに『作家になるべき要因』みたいなものを求めてしまうのでしょう。

 で――万が一同じ悩みにぶつかっているかたがいらっしゃる可能性を考慮し、持論を展開します。

( ' v ' ){考え方は色々なので、一概には言えませんよ!)
もはやテンプレです。

 まず私が考えたこと〈小説家になるには大学進学(学業)が必要だろうか〉――これはイエスでありノーであります。

 まず、ノーである理由。
 そもそも、良い高校や大学へ行くから頭がよくなるわけではないという事実を理解しましょう!
 頭が良い奴は、学校行ってなくてもなんかすごい頭いいです、ほんと。

( ' v ' ){え……?)
そう考えるしかないこともある(遠い目)

 大学に行っているから頭が良いのではなく、頭が良いからこそ大学等の設定した〈基準を超える〉ことができるわけです。
 学校へ行ったって勉強をしなければ意味がないです。逆を言えば学校へ行かなくても勉強をすればいいのです。
 学歴という話になれば別ですが、学歴さえ無視すれば、図書館の本を全部読んで覚えるとか、聴講生(授業を聞く生徒)になって万物の知識を得るなどすれば執筆は十分できるのだということです。

 結局、学校へ行こうが行くまいが〈小説を書くための知識〉の〈基準を超えていればいい〉ということです。

 そして〈基準を超えなければならない〉という状況を〈貴方は知っていますね?〉

 そうです。
〈新人賞〉です。

 日本語を書ければいいのです。
 面白い作品を執筆できれば受賞できるのです。
 さらに言ってしまえば、面白い作品を執筆できれば受賞しなくたって、今の時代はチャンスに巡り合えると考えます。

 二行の閑話休題。

 よって、〈新人賞という基準を超える方〉は、別に学校に行ったからその基準を手に入れるわけではないのです。
 基準を超えられるような方だからこそ、そのステージへ行けるのです。
 ですからご安心ください。
 学歴がないから受賞レベルの作品は書けない――これはあり得ません。
 ラノベに限らず様々な賞の受賞者の経歴を見ても明白です。現に私は色々と不安定な生活でしたし、前述したように漢字が読めませんでした。

 それでも、漢字検定から始まり日本語文章検定~それこそ外国の方向けの日本語試験といった様々な資格の一級取得を目指し、とにかく勉強しました。校正の資格を取ったり、とにかく学校に行かなくても小説を書くための練習を繰り返しました。

 たしかに時間はかかりましたし、他人から見ると無駄な道も多かったかもしれません。というか小説執筆としての努力は無駄そのものになりつつありました。(社会では役に立ちましたが)
 ですが、何の因果かこの度受賞することができましたから、とにかく学校=受賞ではないことの証明にはなります。

 結論。
 学校に行かなくても、無い知識は独自に習得すればいい。
 作家にはなれる。
 しかし遠回り感は否めず、落ち込む事星の数。

 ( ' v ' ){どや顔で言えるほど、知的な作品書いてましたっけ…?)
 やめてえええええええええええ(泣)

 ( ' v ' ){ご、ごめんなさい)
 みんな人生、がんばってるんだい(涙)

 

 では気を取り直して、次へ。

 といいますか、ここまで書いておいてなんですが、学校が必要である(YESである)という理由をさらりとクリティカルに述べます。
 ダメージでかいですから(主に斎藤ニコのHPが0になる)、こちらは箇条書きにします。

・学校は基礎学力があがる。通っているだけで受動的にあがる可能性大。入学テスト時にも自然と身につく可能性大。(本人努力)

・学校では仲間や伝手ができる。正直、学校によってはものすごい伝手が手に入るらしい。らしい……ゴクリ。(本人努力)

・学校には先生がいる。質問ができる。わからないことは聞くことができる。先生、どうしたら作家になれますか……→先生「卒業生に作家がいたなあ」→幸せの連鎖の可能性(本人努力)

・学校には効率的なプログラムが存在する。能動的に調べなくても情報が入る。(本人努力!)

・学校では〈あの〉楽しい学生生活が手に入る。大人にはない許された空間……夏休みの執筆……ウラヤマシクナイ……。(でも本人が努力しないと!)

・学校は〈経験の一つ〉になりうる。作家は想像も大事ですが、経験も大事。欲しい時には既に手に入らないのが経験。(でも本人の努力次第!)

 いかがでしょうか。
 一つ一つにコメントはできませんので、なんとなく悟っていただければなと思います。学校というコミュニティに参加するだけで、これだけのメリットが思いつきます。

 忘れてはいけないのは、そういはいっても〈本人の努力次第〉という点ですが、努力に乗算されるような〈目に見えない要素〉みたいなものは桁違いなんじゃないかなーと妄想しています。

 そうです。あと一つ忘れちゃいけないことがありますね。
 これはあくまで〈妄想〉でしかないので、実際は分かりません。

 よって答えを一つにまとめるならば〈行けるのならば、行っておいて損はない(社会的にみたら学歴は尚更必須)〉ということです。

( ' v ' ){社会、厳しいですもんね)
2025年には少子高齢化社会が極まります。
働くということの意味・価値もどんどん変わっていくでしょう。

( ' v ' ){なぜいきなり真面目)
知的な作品を書いている作家像どおりじゃないですか(嘘)

 話に聞くところによりますと、大抵の人は作家だけでは食べていけないそうです。
 兼業作家さんもかなり多いと聞きます。執筆環境を整えるためには、まず私生活を整える必要がありますから、人生プランは大事だと思います。
 そして、良くも悪くも経験が必要でしょう。様々な経験が作家としての色を作るのではないでしょうか。

 何が正しいとされる人生であるか――それは個人によりけりですので私にはわかりません。
 しかし一つ分かることは〈経験〉しない限り、その選択肢の成否はあなたの人生では定まりません。

 今まさに〈経験ほしいなあ!〉と思っても、タイムマシンが無い限りは過去は変わりませんから、少なくとも今すぐ手に入ることはないのです。
 ですから学校に行くことができるなら行ったほうが良いでしょう。
 とはいえ〈学校へ行けない何か別の理由があるのなら〉それは潔く諦めましょう。

( ' v ' ){諦めるの?)
何かを諦めるということは、何か他を選ぶということです。
どうしても難しい事情というのは各家庭にあるもので、それは本当にどうしようもないのでしょう。

 他人から見ると〈甘えている〉と思われようが、無理なもんは無理!――固執するくらいなら〈あなたが選ぶ次なる経験〉の選別に入りましょう。
 きっとそれも〈経験〉になります。
 そう考えると、大事なことは〈いつだって自分は選択肢の中にいる〉ことを意識し〈その選択肢の中で何かを掴むんだ〉という姿勢を忘れないことが一番大事かもしれませんね。

( ' v ' ){偉そう)
えっへん。

 結局、なんだか変な話になってしまいましたが、書き始めた頃の回顧録ということにさせてください。

( ' v ' ){もはや誰も信じていない)
――(耳をふさぐ)

 とにかく最初は分からないことの連続でした。この時点では小説投稿はまだ先の事。
 具体的な挑戦をしていませんので、失敗談というよりかは、迷走記録といった感じですが、いかがでしたでしょうか。
 とくに学校関連は、作家に限らず色々な方が悩まれているのではないかなと思います。

 読み手にとっての唯一無二の答えを提示することはできませんが、参考になっていれば幸いです。

 さて、次回は「プロットってどこまで書けばいいの?」という身もふたもない話になります。

〇まとめ

 作家は学校の有無で成功が決まるわけではない。
 しかし人生の難易度は学校で決まる可能性が高い。
 人生とは非常に厳しいのである。

 ( ' v ' ){身もふたもない)
 ですね

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