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自己啓発 ~叱るより褒める~

・はじめに

「叱るより褒める」自己啓発本を読んでいると良く出てくる言葉ですが、このことについて考えたいと思います。
私は、他人に思想を説けるほどの者ではないことは自覚していますので、ここで解釈を文に起こして自分の頭の中を整理できればと考えています。


・褒められた世代

「Z世代は承認欲求が強いため、褒めて育てる」とよく言われているし、どこかの研修で私も教わった。
でもその世代に限って、人間の本質が変わったとは思わない。今も昔もみな承認欲求は一定量あって、その気持ちを表現やすい世の中になっただけではないか。
今はSNS等で見ず知らずの多くの人に対して、さまざま感情を表現することが可能で、多くの同じ考えの人たちから共感を得ること、すなわち承認欲求を満たすことができる。
また、ネット上であらゆるライフスタイルの選択肢を知ることができ、現状に縛られる必要もなくなる。
Z世代は、インターネットと身近な環境で育ち、あらゆる合理的で有益な情報に触れ、昔の人達よりも明らかにスマート、賢い人達だと思う。

・叱られた世代

「不適切にもほどがある」というドラマが話題になっており、私も少しだけ見たが、いま考えるとハラスメントが日常で、確かにこんな感じだったなと懐かしい思いで見ていたが、あの時代を体験してきた人たちの話で、「自分が若いころは叱られて育てられた」、「最近の若いもんは甘やかされすぎだ」などと、ありきたりの言葉だが、よく耳にする。今だから体良く「叱る」と表現されるが、正しくは「怒る」だったであろう。
自分の頃は当たり前のように「厳しく叱られ、時にはど突かれ、その中を耐え抜いてここまで来た」と誇らしく語る人もいる。
ただ昔は、それが自分が生きている狭いコミュニティーの中での常識であり、叱られ続けても逃げ道がなかった。いや、逃げ道を知らなかった。
日本人特有の美学と捉えられていたのかもしれないが、辛い、苦しいなどのネガティブな感情を他人人打ち明けることが恥ずかしい、みっともない、情けない等の考えがあった気がする。

・私の褒め方

少なくとも私は叱られたおかげで育ったとは思ってなく、褒めてくれた人もいたし、その褒めてくれる人のお陰で育てられたと思っている。
だからと言って、何が何でも褒め続ければいいのかと言ったら違うと思うし、褒められるだけだと慢心して努力しなくなってしまう人もいるだろう。しかしそれは褒め方の問題で、良く出来たことを褒めると元々出来が良い人のほうが褒められる頻度が必然的に高くなるわけで、そうではなく前よりも良く出来るようになったこと、成長したことを褒める。良く出来たことに対しては素直に感謝を伝えれば良い。(この考えでやってみよう!)

・最後に

今も昔も人は変わらない、取り巻く環境が変わって、新しい環境に適応できる人と適応できていない人がいるだけではないか。
アドラーの教えにもあるように、過去の出来事によって規定される「原因論」ではなく、今をより良くする「目的論」で変化を恐れず向き合える、自分になりたい。

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