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遠くの有名作家より近くの

常識とは何だろう。英語のコモンセンスを訳した語であるらしい。つまり共通感覚。

人類に共通の感覚。まず、思いつくのは酸素を吸うことだ。みんな、酸素を吸っている。それ以外の違いなんて大したことない。

血が赤い。混血できるのだ。同じ血である証し。国籍・人種・宗教より重要なはず。同じ血を流し合う必要などないのだ。

体温が同じ範囲。住む環境では変わらない。職場で検温するたび、改めて気づく。肌のぬくもりが同じならわかり合えるものだ。

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私はこのような【常識】以外を大したことに捉えない。だから、ノーベル文学賞とnoteのトロフィーに質的な差を感じない。

賞金のあるなしが違うだけ。名誉と言えば同程度に名誉。だから何と思えばその程度。

プロ作家の小説やエッセイと身近なnoterの記事は同列で読む。学歴や肩書で人を見ない。総理大臣と砂場の園児は同じに見える。

遠くの有名作家より近くのnoter

SNSだけのライトなお付き合い。とはいえ、作家と直にやり取りできる。なんと贅沢。

やり取りできてこその感動がある。コメントも楽しめて。自己実現の交歓ではないか!

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初めにご紹介する小説。離婚した女性が、離れて暮らす息子からメールをもらう話。

ビスコさんの作品でなければ、おそらく純粋なフィクションとして読んだはずである。

構成が見事だなぁ。きびきびした表現がスタイリッシュ。小気味いいフレーズだね。

でも、彼女を知っている。もちろん、SNSだけのお付き合いだが、間違いなく感じ方に影響した。込み上げるものがある。

小説を読み慣れてしまった。塾の教材や模擬試験を作っていたこともある。プロ作家の小説だったら、涙が滲むことはない。

冷静な分析を始めてしまうのだ。

この小説は、私にとって、ビスコさんが書いたからこそ感動できた作品なのである。

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初めて読んだ時、ドキッとした。

あれ、ゆり葉さんってこんな人だっけ・・滑らかな筆運びと起伏豊かな筋立てに、てっきり彼女の実話と思い込んでいた。

面白い実話にはプロ作家の小説も敵わない。だから、作家はなんとかして、リアルライフっぽく見せようと、あれこれスキルを使う。

ゆり葉さんを知ってるつもりの私だから、展開にドキッとした。新鮮な驚き。コメントを読み、ますます迷って楽しい。

私たちは贅沢なツールを手にしている。作家と直にやり取りできるのだ。

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マリアさんともやり取りがある。

彼女の自伝小説は驚きの連続。

今のマリアさんが、とてもハッピーにお暮しと存知上げているにも関わらず、この主人公どうなるとハラハラドキドキした。

プロでも書けないと感心したのは、主人公がいない場面での会話。セリフに顕われる思考プロセスが、個性豊かに違っているのだ。

さすが易占いのエキスパートで霊能者さん。

そんな彼女が、ASDの息子さんを守る姿に、心打たれた方も多い。

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改めて気づく。

では、プロ作家の作品と、いったい何が違うのだろう。ああそうか。私と彼女たちの交流が行間に響いているのだ。

仕事場へ向かう道すがら、毎日のように書店で見掛ける小説やエッセイ。noteを読むようになって気持ちが向かなくなった。

お馴染みのnoterは健在か否かの方が気になってしまう。心に響くなら、プロの作品である必要などない。そんな時代が加速する。


ではまた!



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