運命論は最強という話
17歳で哲学と出逢った。以来、運命論と格闘している。形勢は不利なままだ。
今のところ勝てそうもない。
☆ ☆ ☆
運命は変えられる。希望を見出して生きろ。意志あるところ道が拓けていく。努力次第でどんな人間だってなれるのだ──
もしかしたら、哲学と出逢うまでの私は、そんな人生訓を信じていたかもしれない。
いったい誰の運命論か。
☆ ☆ ☆
奇妙に思えるだろうが、特定の著作はない。誰のどんな本を読んだから、運命論と格闘が始まった、というわけではないのだ。
もちろん今は、便利な世の中である。運命論とググれば、すぐ情報を得られてしまう。
しかしながら、私が書いているのは誰の運命論でもない。私の運命論である。
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哲学や宗教について書かれた本を読んだら、なぜか私の中から湧き出てきた。何もかもあらゆることは、全て決まっているのだと。
いやいやいや。そんなはずないだろう。これって偶然じゃねえの。運が悪いだけ。
だって、これが運命で決まっていたなんて、あまりに悲惨でやり切れない。意志や努力で変えられるんじゃないかな……
このようにバトルは始まった。
☆ ☆ ☆
この世のすべて、本当にあることか。何もかも幻想だ。オレって何。名前。体。原子。波動。神も仏もただの言葉に過ぎない。
GODを逆に並べたらDOGだぜ。
我思う、故に我在り──オレの存在を疑うオレさえ映像に過ぎないのさ。バーチャル世界で右往左往するキャラなんだよ。
オレって本当にいるのか❓
あはは~その問いも決まっているのさ❣
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17歳の頃から、私の中で二人の自分は格闘し続けている。かれこれ半世紀近い。
正確に言えば格闘でもない。
例えば、誰かが金メダルを取ったとしよう。スゴイな。素晴らしい。感動だ。込み上げてくるものさえある。
すると、運命論がつぶやく。
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決まっているのさ。決まっていることが決まっている通り展開しただけ。シナリオ。大したことない。軽くいなされてしまう。
ことごとくこの調子である。驚き喜び悲しみ憤り嘆く、そのたびに運命論はつぶやく。決まっているのさ。変えられないんだ。
そのままでいいよ──
☆ ☆ ☆
17歳❓
いや。待てよ。もしかしたら、もっと前からかもしれない。そんな気がしてきた。
いずれにしても運命論の優勢は変わらない。ウイルス騒動にも、勢いが増すばかり。
決まっているのさ。
変えることはできないんだ。このままでいいよ。安心して任せておけ。心配いらない。
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もちろん人は変わる。
塾講師として、生徒の成長を見てきた。私が腰を屈め話を聞いていた小学生は、今や見上げるばかりの高校生となる。
もちろん、体だけではない。声が低くなり、口調は滑らか、話す内容も大人びてくる。
人は変わるのだ。
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変わることが決まっているのさ。決まっているように変わるだけ。運命論はつぶやく。
やれやれ。
☆ ☆ ☆
今こうしてあなたに読んで頂けることも決まっていた。あなたが何を思いどう感じるか。スキを押すか黙って立ち去るのかも。
変えられない。
驚くべき奇跡。こうしてあなたと巡り合う。どこの誰ともわからないというのに。
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スキやフォローって贈り物だろうか。世に贈与論がある。調べたら面白い。贈与とは、税金や生前という言葉しか浮かばなかった。
贈与ねえ──
ふと足が向く。書店で平積みの本が目についた。なんとなく手を出す。買おうかな。著者を調べたらnoteで見つかった。
これは偶然だろうか。
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