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文章を書くと、何がいいのか

最高気温が30度を超えるといっても、9月になると夜は意外に涼しい。いよいよ夏も終わりだなあ、というのが肌で感じる季節になると、今でもトラウマとして蘇ってくるのが 夏休みの宿題の読書感想文である。

あの小さなマス目に文字を入れていく作業が苦痛で仕方なかった。1枚を超えたあたりからネタが尽きて急に苦しくなる。それを3枚目の半分を超えるまで、延々と途方も無い作業を繰り返す。あれはいったい何の意味があったのか。


そんなことを思っていたのがこないだまでで、ここ数年、ネットで文章を書き続けてきた。今では当たり前のように2,000〜3,000字、原稿用紙にすると5枚以上を数時間もあれば書ききることができるようになっている。文字を書くというのが自分の生活に必須なものとなってしまった。

なぜここまで書くことを継続できたのか。それは想像以上にいいことがたくさんあることに気づいたからである。いったい全体 何がうれしくてそんなに書いているのか、というところを紹介してみたいと思う。


頭の中のメモリを拡張できる

「メモリ」とか「拡張」とかカッコよく言ってみたけど、要はモヤモヤしていることを書き出すと整理できて、もう二度と考えなくてすむということである。

寝る前に考えすぎて頭の中がぐるぐるしてしまう人って けっこういると思う。ぼくもそのタイプの人間でかなりの時間をムダにしてきた自覚がある。とくにそういう人に書くことをオススメしたい。ぼくはそういうのをあんまり信じてこなかったほうだけど、実際にやってみたら本当に効果があった。

気になっていることを書き留めるということは、頭の中のモヤモヤを外に取り出して、冷凍庫の中に保存しておくということだ。そのモヤモヤを あとからまた思い出したときに、「ああ、そういえば冷凍庫に保存してあったんだった」と再度同じことを考える手間を減らせる。

つまり、考え続けてきたことを、そろそろ終わりにしよう、という覚悟のために書いている。


自身のトークを客観視できる

「すべらない話」で有名な兵動さんが昔、自分のネタは必ず書いて、必要なところを削っているという話をしていた。自分のしゃべりを客観的に見るためには書く必要があるといったエピソードを、ああ、確かにそうだなと思いながら聞いていた。

インターネットで文章を書くということは、それなりに誰かに見られるということだ。ということはある程度はちゃんとした日本語で整った体裁で書かなくてはならない。

そのためには言葉の使い方が間違ってないかとか、相手が読みやすいかどうかとかを少しは気にする。その反復作業によって、自分自身に語彙が増えるし 文章の構成を考えるようになるので、相手に伝える能力が身に付く。

個人的にラインとかメールを送ることがあまり得意でない。それでも客観的に自分の文章を見ることが増えると、あとから読み返したときに、自身の伝え方のクセがあることに気づく。これは書くだけでなく、しゃべるときにも効果があるようだ。昔より2割程度は言葉を絞って簡潔に伝えることができるようになったのではないかと思う。


楽しい

そして、何より楽しい。

すごい映像や音楽、美術、景色を見たときに、計り知れない高揚感や感動を得られることがあると思う。それに比べて文章は地味だ。せいぜい文字の色や大きさを変えたりすることしかできない。しかしそれでも文章はそれらと同じくらい感情を揺さ振ることができる。なんだこの文章、すげーな!ってのとたまに出会う。だから奥が深くて楽しい。

ときどき今日は我ながらとてつもなくすばらしい文章を書いたなーと思うことがあって、そのときに一つの大きな仕事を終えたような不思議な幸福感がある。書くのはやっぱり楽しい。

そしてそういった文章に限って あとから読み返すと、すげーテンション上がる。いい文章だな! ってなる。自己満でもいい。ただ、そういった文章ほど、一部の人に深く共感してもらえたりもする。やっぱり書いてよかったとなって、また次も書こう、という気持ちになる。


そんなわけで

一言でまとめると、文章を書いたら頭が良くなるうえに楽しいです! オススメです!

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