3月 恵まれてる環境に鉄槌を

先日、バングラデシュ🇧🇩にいってまいりました。

ネパールにはもはや庭にいくような感覚なので
自分の知っていることや、覚えていることなどが沢山あり、
新しい刺激を受けるために、アジア最貧国のバングラデシュにいきました。

一言でいうと「”相当カオスな国”」でした。

とその前にTikTokを見てくれている視聴者さんに
機内で声をかけられ記念撮影。

日本で働くネパール人夫婦

日本に住んでいるネパール人への認知は非常に高い。
積み重ねていると、人生は少しずつだが確実に変わる。

そんなこんなでバングラデシュに到着。
3月にも関わらず気温は30℃超え、暑すぎるぜ。
空港を出ても市内までの行き方がわからない中、
ジブリに出てきそうな乗り物を発見。
市内まで40分、これに揺られます。

牢屋のような車内、案外落ち着く

市内に着いてホテルにチェックイン。

ここまででびっくりしたことは2つ。
・バングラデシュのほとんどの人は英語を話せない
・ホスピタリティの高さが国民性として根付いている

ネパール🇳🇵だと英語を話せる人の方が圧倒的に多い。
リキシャに乗っている人でもある程度の英語は通じる。
ただ、バングラ🇧🇩の場合はライトもレフトもあまり通じない。
教育が行き届いてないと、エレベーターの数字も読めない。
何階でおりたらいいのかわからないようだ。
これには驚いた。

ただ、ホテルマンの心遣いや気遣いは日本人と同じものを感じた。

必ず、最初か最後に「Sir(お客様)」と言ってくれる。
扉は開けてくれるし、挨拶も敬礼のポーズをとりながら毎回してくれる。
それも満面の笑みだ。マクドナルドでのスマイルはこれをデフォルトにした方がいい。

そんなに高いホテルではなかったが、バングラは接客が上手い人が多いんだと気づかせてくれた。

ちなみに、ここのホテルの朝食がうますぎて毎日欠かさず行っていた。
ホテルの名前は「Lakeshore Hotel」
ジムも併設されており、体を鍛えてから観光に出かけることもできる。
バングラに行ったらオススメだ。

そして、バングラにいて感じたことは貧富の差だ。

WESTINホテルのプールで泳いでいる5歳の女の子
その前で人の手を掴み物乞いをする5歳の女の子

このプールで泳いでいる
下には数多くの物乞いの人がいる


同じような顔立ちにも見えなくはないが
2人が背負っている人生には圧倒的な差がある。

「人生幸せも不幸せも自分次第でしょっ」と陽気に居酒屋で喋っている日本人をこの場所に連れてきたくなった。

みんなも薄々は感じているだろうが
この世界は平等なんかじゃない。

物乞いの親の子供はもちろん、教育を受けることもできないので物乞いとして生きていく。
そして子供を生んで、その子供を使って物乞いをする。

「この子のご飯代を恵んでくれないか」

パッと100タカ(日本円で130円ほど)を渡せばその人たちの笑顔を見れるだろうが、何の解決にもならない。
自分の慈善心を満たすためだけにお金を出すことを僕はしたくなかった。

やはり、貧困を解決できるのは「雇用」しかない。
ユニセフに募金したお金は確実にこの親子には届いていないだろう。
仕事として継続的にお金を稼がないとこの人たちの生活は変わらない。

魚をあげるのをやめて、魚を釣れる釣竿を渡すしか道はない。
そうしたら自分たちで生活を作っていくことができる。

ちなみにお金持ちのレベルはおそらく日本よりも上だろう。
ランクルやアルファードは関税で日本の10倍くらいの値段がする。
それに運転手をつけて、ひとときも地に足をつけずに移動する。
土地を持っていてホテルや施設を作る。

この国には富豪か貧困、その2種類の人間しかいない。

バングラデシュの人たちは少し日本人に似ている。
内気な性格で、東南アジア特有の陽気さもあまり見られない。

観光客が珍しいこの国は、歩いているだけで異様に見られる。
日本人からしたらストレスがかかるくらい見られる。
まさに注目の的になる。

そしてその中の10%くらいが勇気を振り絞り
「一緒に写真を撮ろう」と声をかけてくる。

こんな感じに

リキシャのドライバー

バングラデシュは3月半ばから1ヶ月、断食の儀式がある。
外のレストランはカーテンをかけて中が見えないように営業する。
水以外のものは摂取せず、ジュースを飲むことも、タバコも吸ってはいけない。
若者たちはひっそりとタバコを吸っていたりしたが、本当に大多数の人たちが食事を取っていない光景は異様だった。

お酒も飲めない宗教なので、僕たちもホテルの部屋以外では
お酒を飲むこともできなかった。
名物料理のビリヤニが美味しかった。

バングラ名物🇧🇩 ビリヤニ


バングラデシュは親日国ではなく敬日国と言われているほど日本人に優しい。
何でもバングラデシュが独立したときに先進国の中で最初に承認したのが我が国、日本らしい。
空港では長い列を抜かし優先で通してくれる。
もちろん、お金は求められる。笑

ベンガル語はネパール語に似ているので若干は聞き取れるが何を言っているかはさっぱりわからない。
英語も話せないからジェスチャーや指差しでコミュニケーションを取る。

会話ができないという状況は修行だ。自分の熱意が試される。

とはいえバングラデシュはこれから間違いなく発展していくだろう。
ネパールが置き去りにされることはほぼ明白だが・・

日本のメトロがバングラでは走っている。
日本の鉄道会社、建設会社が入っており、1本しか走っていない路線は5年後、5本に増設されるようだ。
Uverも近年入ってきたようで、移動も確実に便利になっている。

とまあ4日間しかいなかったものの、歩くだけで無数の情報が入ってくるバングラは非常に多くのことを学ばせてくれた。
日本人で生まれ、恵まれていることが当たり前になっている自分の意識に、強烈な鉄槌をお見舞いしてくれた。

やはり、定期的に海外は行ったほうがいい。

最後に、「ストーリーとしての競争戦略」作者の楠木さんの言葉を残して締めようと思う。

「景気が悪いというけれど、本当に景気が悪いときは犬を散歩させる人が一切いなくなる、犬が歩いているうちは日本は大丈夫だ」

それではまた4月!




もし1億円稼げるようになったらコンビニで100円のおにぎりじゃなくて200円のおにぎりが買いたい