なでと君むなしき空に消えにけん 3-3 美夜子

私は中学二年生になっていた。
度重なる演技で、私の心はぼろぼろだった。さらに、自ら抱いた疑念のせいで、何の罪もないヘレナさんの優しさをうまく受け入れることができず、私の心から、再び平穏が失われつつあった。
私は周りから変わってしまったねと、思われるようになった。
お母さんのことがあるから、みんな口にこそ出さないものの、彼らから向けられる視線は、明らかに変わってしまった私への戸惑いを感じさせるものだった。
それもそのはず、拠り所を失いつつあった私は、それでも演技をやめることをしなかった。努めて明るく、お母さんの死なんて、なかったことのように。
私は、おかしくなっていた。
突然変な冗談を口走っては、友人が笑わないと泣き出してしまうような奇行を日々繰り返していた。
お父さんとは口を利くことすらなくなってしまったというのに、私は毎日のように、昨日はお父さんにどこどこへ連れて行ってもらったなんて吹聴していた。
それどころか、私の演技の中には、お母さんすら登場するようになっていた。
当時の私の中で、お母さんはただ仕事で遠くへ出張しているだけで、まれに帰ってきては、お父さんと私と三人で、夜のドライブに行って家族三人の団欒を楽しんでいることになっていた。
そしてあろうことか、私はそれをみんなに口走ってしまったのだ。
どうしていいかわからず、ただ黙って私の顔を見つめる友人や近所の人たちに、私は三人で行ったドライブの話を必死に言って聞かせた。
少しでも相手の表情に疑いの色や同情の色が浮かべば、私はそれが真実であることを実証するように、さらに作り話をまくしたてた。
自分のやっていることがおかしいこととは、思っていなかった。
けれど一方で、ヘレナさんに対して演技することは一切なかった。お母さんとの話をヘレナさんにしたら、ヘレナさんは自分のことを心配して、それまでの関係に変化がしょうじてしまうかもしれない。無意識のうちに、私はそう考えていたのだと思う。
ヘレナさんは、演技をせずに無条件に私を受け止め、平穏を与えてくれる人として、私の中に固定されてしまっていた。ヘレナさんに今の自分の状態を知られたら、彼女は私を心配して、それまでの関係を変えてしまうかもしれないと、そう考えていたのだと思う。
そんなだから、クラスメイト達も近所の人たちも、次第に私を避けるようになった。不気味にそうに私を見る彼らの変化に、私は恐怖を覚え、虚言はさらに度を超えたものになっていった。
次に何か変化が起きれば、今度こそお父さんの笑顔が戻らなくなる。お母さんが戻らなくなる。
そんな恐怖で、私の人格は滅茶苦茶になっていった。
そんなある日のことだった。

深夜子に似てきたなあ。

家に帰り、一人夕食を食べていると、帰ってきたお父さんが突然、悲し気な声でそう呟いたのだった。

本当に、そっくりだなあ。

泣きそうな声で、ぼそぼそと、お父さんはつぶやいた。
その時、私はこれから訪れる未来を、なんとなく予感していたように思う。けれど不思議と、恐怖は抱かなかった。


ことは、それから数日後に起こった。
心地よい秋の風が吹く、真夜中のことだった。
気づくと、お父さんが私の上にまたがっていた。
深夜子、深夜子お。
お父さんは、お母さんの名前をつぶやきながら、私の唇をむさぼっていた。
私が目を覚ましたことに気づいても、お父さんはやめなかった。
なんで、どうして。
そんな疑問は、浮かばなかった。不快感も、恐怖も抱かなかったように思う。ただ、体だけはひどく震えていたのを覚えている。
されるがままになっている私の唇をしばらくむさぼっていたお父さんが、ついに私の下着を脱がした。
私は抵抗しなかった。
股が広げられたかと思うと、下腹部にひりひりする痛みが走った。あまりの痛みに声を上げそうになるのを必死にこらえたのを覚えている。ここで声を上げたら、お父さんが正気に戻ってしまうと思ったから。
けれど痛みはなかなか治まらなかった。私のそこは、全く濡れていなかったのだと思う。
お父さんが何度も自分のものに向かって涎を垂らすのを、私はただぼーっと見つめていた。
しばらくして痛みが弱まると、それと同じくして、お父さんが腰を等間隔で私に打ち付け始めた。私の体に覆いかぶさり、きつく抱きしめながら、耳元で何度も何度もお母さんの名前をつぶやいていた。
どれくらい続いたかは覚えていない。
私はただひたすら、天井を眺めていた。何も考えていなかったように思う。
開け放った窓から、時々秋の心地よい夜風が吹いては、額の髪をさらさらとなでた。
お父さんは私の中で一度果てたようだったけれど、衰えることなく、その後もひたすら同じ動きを繰り返していた。
そのうち、痛みどころか入れられている感覚までなくなって、ただ腰から伝わる振動だけが残り、それが波に揺られているときのようで、頭の中がぼーとして、いつしか夢うつつになっていた。
その時だった。
夜風と一緒に、部屋の中に黒い影が舞い込んできたのだ。
大きな、真っ黒の蝶だった。
蝶は私の上を、ひらひらと優雅に舞っていた。
私は、昔お父さんが言っていたことを思い出していた。そして、歓喜に震えていた。
ああ、私のやっていることは間違っていなかったんだって。
お父さんを受け入れるという決断をした私に、もう一度神様が舞い降りてきてくれた。これはきっと、吉兆なんだと。
私は、ひらひらと舞う蝶を見つめながら、お父さんの肩に、自ら腕を回した。心なしか、お父さんの動きも激しくなったように思えた。
その夜私は、意識が果てるまで、ひたすらに蝶を眺めていた。


私はしばらく、その夜のことを夢だと思っていた。ことが終わった後のことを、全く覚えていなかったからだ。
けれど、それから一週間とたたないうちに、再びお父さんが私の部屋に来て、あれが夢なんかじゃなかったことを理解した。
けれど私は、抵抗しなかった。来る日も来る日も、お父さんを受け入れ続けた。
最初のころ、お父さんは私が寝たのを確認してから部屋へ来ていた。途中で私はいつもお父さんの肩に腕を回していたから、私が寝ていないことも、お父さんのことを受け入れていることも、わかっていたはずだ。けれどやはり、やましいことをしているという自責の念があったのだろう。
でもそんな建前もすぐになくなった。
私がお風呂に入り部屋に戻ると、すぐにお父さんが入ってくるようになった。
私も、自分から服を脱ぐようになった。ただ、ことに及んでいる最中も、その前後も、私たちは終始無言だった。まるで、今起きていることは現実のことではないと言わんばかりだった。実際、事の最中に会話を交わしてしまえば、何かが一気に壊れてしまう気がしていたから。
ただ、お父さんは事の最中にお母さんの名前を呼び続けることだけは、やめなかった。
そんな生活がしばらく続いたある日だった。
いつもの無言の夕食の最中、お父さんが笑ったのだった。
テレビで芸人が言った何気ない一言にツッコミをいれ、ひとり、笑ったのだった。
あまりの驚きに私がお父さんに視線を向けた時、目が合った。
お父さんは、少し困ったように、微笑んだ。
その顔を見たとき、私は喜びのあまり涙を流しながら笑った。笑って笑って笑い続けた。
それからというもの、私の家には笑顔が戻ってきた。朝食の際も、夕食の際も、お父さんは昔のように冗談を言い、それを私がからかった。
それだけじゃない。お父さんは昔のように、私をドライブに連れて行ってくれるようになった。あの公園へ行き、二人で星を見る日々が、再び戻ってきたのだった。
まるで、小さい頃に戻ったような気分だった。
ただ、お父さんとの関係だけは変わらず続けた。そうして、事の最中だけは、二人とも口裏を合わせたかのように無言だった。
けれど、やめるつもりはなかった。
お父さんとのそれが、快感になっていたからじゃない。お父さんを受け入れ続ければ、私の人生はいつしか完全に元通りになると思ったからだった。
私はあの黒い蝶に感謝し続けた。
お父さんを受け入れるという私の選択を後押ししてくれた、あの小さな神様に。
お父さんを受け入れて以来、私の生活に訪れた好転は、それだけではなかった。
颯という、可愛い弟分までできた。
近所に住んでいた楓は、当時まだ四歳だった。
私の過去を全く知らない楓は、私の話すお父さんとの話を目を輝かせて聞いてくれた。
颯の両親はこの町出身の人間だった。だから、私についての噂も色々知っていただろう。
自分で言うのもなんだが、正気の親なら、私なんかに自分の子供を近づかせるわけがなかった。
けれど、楓の両親はネグレクト気味だった。
それがまた、私にとって都合がよかった。
颯は私に起きたことを知らず、無条件で私を慕ってくれる存在だった。
私は、楓にお社の場所を教えた。
私が小さい頃、たまたま近所の流山(ながれやま)という山の奥で見つけた、小さな小さなお社だった。見つけた当初は、その朽ちかけた寂し気な様子が怖くて仕方なく、泣きそうになりながらその場から走って逃げたのを覚えている。
ただ、楓という存在にであった私には、都合のよい場所に思えた。
事が好転し始めたとはいえ、未だに町の人たちが私に向ける視線はいいものではなかった。そんな疎ましいものから逃れ、颯に目いっぱいお父さんとお母さんの話を聞かせるのに、お社はもってこいの場所だったからだ。
誰がいつ立てたものかわからないが、私が見つけたころには朽ちかけていて、手入れされている様子はなかった。
お社、というよりは、高床式の小さな小屋のようなそこは、戸が外れ、六畳ほどの畳の間が風にさらされ痛み切っていた。そんな社の中に、いつの時代に何のために置かれたのか、大量の日本人形が放置してあった。
ただでさえ不気味な様相をしているのに、悪いことに、そこは『ササメサマの禍イ話』に出てくるお社にどことなく似ていたのだ。
この町出身の子供たちは、みんな親や近所の人たちから『ササメサマの禍イ話』を聞かされ、夜中にトイレに行けなくなるなんて経験をするもので、楓もご多分に漏れず、最初のころ、お社へ行くのを怖がった。
真正のビビりである颯は、お菓子なんかじゃ簡単に釣れなかった。
だから私は、泣き落としをしてみせた。颯のお母さんが鬱気味だったのは、よく知っていた。だから、私が目の前で颯のお母さんのようにヒステリーを起こせば、私から捨てられる恐怖からついて来てくれると思ったのだった。
結果、颯はいやいやながらもお社へついて来てくれた。
そんなことを何度も繰り返しているうちに、颯はお社への恐怖心を克服したらしく、いつの間にか私が何もせずともついて来てくれるようになった。
それからは、颯と事あるごとにお社に来ては、お父さんとお母さんの話を聞かせる日々が続いた。
私の後ろにぴったりくっついて、おぼつかない足取りで山道を進み、私の話を何の疑いもなく目を輝かせて聞いてくれる颯の姿に、私は言い知れぬ快感を覚えていた。
颯が誰よりも慕うこの女は、母親の死を受け入れられずイカれてしまったと近所の人たちから気味悪がられ、挙句、実の父親と毎晩のように情事に耽っている。君が質朴なまなざしで見つめる大好きなお姉さんは、そんな人間なんだよ。
私は楓にそう言ってみたい衝動に何度もかられた。そして、それを聞いた楓がどんな態度をとるかを想像して、さらに恍惚としていた。
楓は私がそういったところで、次の日も変わらず私の後にぴったりくっついて歩いては、私の話を目を輝かせて聞いてくれることだろう。
そう思うと、楓が可愛いくて仕方がなかった。


お父さんの笑顔が戻り、楓という可愛い弟がきでて、私の人生は元の幸せを取り戻しつつあったように思えた。
だから私は、町から遠く離れた高校への進学を決めた。渡呉からは電車で二時間近くかかる場所だったけれど、渡呉近辺で育った人間がいない空間で過ごす時間が、私には必要だった。
もちろん、町を出たわけじゃない。
お父さんとの関係を続けなければ、幸せは戻ってこないと思っていたから、家を出ようなんて考えなかった。
高校生活は、私にとって新しい救いになった。
誰も私を知らない環境の中で、私はお父さんとお母さんとの幸せな日々の話を友人たちに吹聴し続けた。話しているうちに、それは私の中で事実になっていった。
友人たちから、本当にいい家族だよね、なんていわれるのが、至福の時間だった。
だけど、意外なところから、私は再び大きな変化に見舞われることになった。
高校二年生の、夏だった。
お父さんの笑顔が戻ったことで、私はヘレナさんの前で堂々とお父さんの話ができるようになっていたのだ。
自分でも気づかない、自分自身の変化があったのかもしれない。ヘレナさんは、他人の感情に、とても敏感な人だったから。はたまた、私自身に隠す気がなかったのかもしれない。
ヘレナさんが事実に気づいていたわけではなかったと思うが、それでも、突然嬉々としてお父さんのことを語りだした私を、不審に思ったのだろう。
お父さんと、何かありました?
ヘレナさんの口調は、私とお父さんとの楽しい日々の詳細をもっと詳しく知りたい、なんて風ではなかった。もっと、何か深刻な問題が私たちの間にあるのではないか、そんなことを疑う雰囲気がにじみだしていた。
背筋に冷たいものが走った。
気づけば、私はヘレナさんに手をあげていた。髪をつかみ地面に引き倒し、馬乗りになって何度も平手打ちをした。
そんなことをしたら怪しまれるのは分かり切っていたのに、私は衝動を抑えることができなかった。
怖かったのだ。
せっかくお父さんに体を許してまで回復させた私の幸せが、ヘレナさんと関わることで、再び壊れてしまうように思えたから。
私は知っている限りの言葉で彼女を罵倒した。けれどヘレナさんは、自分の顔をかばうだけだった。
叫び疲れ、ヘレナさんから離れたところで、私はようやく我に返った。うずくまるヘレナさんを呆然と見つめていると、ヘレナさんはゆっくりと上体を起こし、今私に散々な目にあわされた人間とは思えないほど、私を気遣うような表情で、何かあったならはなしてくださいと、そういった。
それが、最後だった。
私はもう一度、ありったけの力でヘレナさんを罵倒し、そのまま教会を出ていった。それ以来、ヘレナさんと話したことはない。

その数日後、私は初めて人を殺した。




続くべ

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