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6冊目-『仕事なんか生きがいにするな』

友人に借りた本。

お互いに「マーカー可」のルールのもと本を貸し借りできる大変ありがたい存在なのだけど、これもビシビシ線を引いたうえ、たぶん保管用に自分でも購入するだろうと思われる。

だったら人のもの汚さなくてもよかったじゃないかという話ではあるのだけれど。

大変ありがたい存在である。。


『仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える』泉谷閑示,2017,幻冬舎新書

まず初めに、この本はタイトルでかなり損をしていて。

新書でもあり、一見すると「忙しく生きるビジネスマンへ、仕事に縛られない身軽なライフスタイルとリフレッシュ法をご提案!」のような内容が想像されるのだけれども、ところがどっこい、軽い気持ちで手に取った読者は「思ってたんと違う!」と身悶えしそうなほど重厚で、扱うテーマも幅広い。


精神科医らしく「自我」の問題や、

初めから「好き」が出てくるわけではなくて、「嫌い」、つまり「ノー」を表明することから始まるようになっているのです。

「本当の自分」についての問題、

「本当の自分」になる経験が起こると、必ずや一定期間の後に、「自分」への執着が消えるという新たな段階に入っていきます。(中略)「自分」という「一人称」への執着が消えた「超越的0人称」の境地を表しているのです。

さらに愛と欲望、

愛とは、相手(対象)が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ちである。欲望とは、相手(対象)がこちらの思い通りになることを強要する気持ちである。

道徳、

道徳とは、われわれが個人的に嫌いな者にたいして採る態度にすぎない。(『オスカー・ワイルド全集』第3巻「箴言」より 西村孝次訳)

芸術、

真実に生きようとする自覚が深ければ、人は屹度(きっと)芸術にまで行きます。(『愛、理性及び勇気』「真実の力」より 与謝野晶子著)

と、その射程はあまりに広大。それは著者自身あとがきで「いろいろと風呂敷を広げすぎた感もあります」と認めるほど。


労働教

そのなかでも本書の肝になっていると思われるのは、「労働教」についての問題で。

それは、このテーマの中で中心的に言及されるのが社会学の巨人の1人であるマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』であり、私自身が大学で社会学専攻だったことも影響しているし、その内容がこれまでの働き方/生き方について、かなり身につまされる思いのするようなものであったという、個人的な事情もあるのだけれど。

学生時代に古典として読まされた同書が「利潤追求を旨とする資本主義の精神が、何とも逆説的なことに、最も禁欲的精神を求めていたはずのプロテスタントの宗教観から生じたものだという、かなりセンセーショナルな内容」であったという認識はあったものの、自分の生活にこれほど深く染み入っていたとは思っていなくて。

少し長く引用。

カトリックにおいては修道院内での禁欲的な生活が最高の道徳的な在り方とされていたところを、ルッターは「世俗内禁欲」として、世俗内で「天職」を遂行することこそが最も神の意思に沿う道徳的な行いである、としたのです。(中略)キリスト教国でない国に暮らす私たちにとっても、もはやすっかりおなじみになっているあの「働かざるもの食うべからず」という言葉は、こんなところに起源を持っていたとは、何とも驚くべきことです。(中略)わが国には、資本主義が輸入されたと同時に、知らず知らずのうちに、「労働」に禁欲的に従事すべしという「資本主義の精神のエートス」までもが輸入されていたのです。

キリスト教的な禁欲主義に端を発し、「天職」という概念の登場によって「働くこと」が人生の最重要課題として絞り込まれ、それが転倒して金を稼ぐことが賛美されて資本主義が登場し、いつしか浅薄な欲望を刺激し拡大再生産するこのモンスターが、われわれの神となったのです。これに奉仕することを「召命」として人々に求めるもの、これが「労働教」の正体です。

「天職に転職」という人材業界の広告コピーはもはや目新しくもなく、つまり標準的なものになったように思うけれども、それは多くの人々が「天職」に就きたいと思うからこそ。

従事する仕事や職業について、いかに「本当の自分」と紐づけて、いかに生活を捧げられるか、働くことに関するそんな考えは、十数年前に就職活動を始めて以来の私自身のものでもあったりして。


ではどうしたらよいか

「幸い」、昨年少し体調を崩したことで「労働教」からいくらか足を洗うことができ、「一個の人間は一つの職業に包摂されるほど小さくはない、と私は考えます」という氏の言葉にも激しく同意することができるようになったけれども、では、そうだとして、はたして私たちはどうしたらよいのか。

「生きる意味を再び考える」というサブタイトルはそのような文脈からつけられていて、私自身はその後さまざまな本の言葉や友人に助けられて深く思い悩むことはなくなったのだけれども、本書の言葉もまたそのリストに並べられることになりそうで。
曰く、

人が生きる「意味」を感じられるのは、決して「価値」あることをなすことによってではなく、「心=身体」がさまざまなことを「味わい」、喜ぶことによって実現されるのです。

少しわかりにくく、なんならほのかにスピリチュアルな香りすら漂ってきそうな気配もあるのだけれども、この、「頭」で測ることのできる「価値」や「意義」ではなく、自分自身の「心=身体」で「味わう」べしという主張が何度も繰り返される。

ただし、これが「まず快を求めよ」ということではないことは明確に述べらていて、それはナチス強制収容所を生き抜いた精神科医ヴィクトール・E・フランクルがフロイトの「快楽への意志」やアドラーの「権力への意志」を批判しながら説いた「意味への意志」という主張について、「まったく同感です」としていることからもわかる。

人間というものは、フロイトの言ったようにリビドーという性的エネルギーのみで説明できるほど浅薄なものでもないし、また、アドラーの論じたように権力や優越感を求めることが人間を動かす根源的な動機と考えるほど世俗的なものでもないからです。

では、いったい「心=身体」で「味わう」とはいかなる事態なのか。氏はさらに、フランクルの「意味への意志」概念の源泉となったニーチェの「力への意志」という概念について、『ツァラトゥストラ』を引きながら述べる。

そして服従して仕えるものの意志のなかにも、わたしは主人であろうとする意志を見いだしたのだ。(中略)およそ生があるところにだけ、意志もある。しかし、それは生への意志ではなくて――わたしは君に教える――力への意志である。(『ツァラトゥストラ』第二部「自己超克」より ニーチェ著 手塚富雄訳)

つまり、「生きること」そのものをわれわれの意識が対象化し、それを「人生」と名付け、そこに「意味を問う」というベクトルを向けること。これにより、自分が己の人生の主人であろうとすること。この一連の人間ならではの営みが、フランクルの言った「意味への意志」というものの本質なのです。

「己の人生の主人であろうとすること」。それは、為すことのすべてが自分自身の選択であること。誰かの指図や命令でもなく、欲望を刺激する資本主義のモンスターによって選ばされたものでもなく、「あなたのため」などと愛や正義を偽装したものでもない、ただ自分自身による自分自身のための選択。

それが楽しかったり、美味しかったりする喜びを「心=身体」で「味わう」ということ。

もちろん、完全に何者からも影響を受けないゼロ前提の自分などというものは存在しない、ということは但し書きを加えておく必要があるけれど、独立した自分の自由な意思による選択がもたらす喜び、それはもしかしたら他人には理解しがたいかもしれない、たとえばキャリアだとか、たとえば住む場所や家だとか、たとえば趣味だとか、たとえば着る服だとか、それを選択した人の「私が選んだんだからいいのっ」という言葉と笑顔がもつ「強さ」を、たぶん私たちは知っていて。


復権のキリギリス

氏は最後に「労働教」を、「アリとキリギリス」の「アリ信仰」とも言い換えていて、「禁欲的に労働して未来に備えることを過度に賛美し、その反作用として「今を生きる」「生きることを楽しむ」ことを良からぬこととして捉えるような、倒錯した価値観を生み出しました」と痛烈に批判している。

生きることを謳歌し、美に生きることが「労働」よりも下らないこととして扱われてしまうのだとしたら、それは人間性の大いなる堕落であり、虫レベル、つまり「アリ」のメンタリティが人間の人間らしさを嘲笑しているという、実に由々しき事態なのではないかと思うのです。

アリの哲学がいかに吝嗇(りんしょく)で、美に生きるキリギリス(セミ)を愚弄する卑しい心性によるものかを考えると、私たちはもう二度と、そのようなドグマに騙されて、貴重な「人間らしい生」を犠牲にしてはならないと思うのです。

このnoteで何度か言及したこともあるけれど、私は自称「ダメイスト(ダメで何が悪い!と声高に主張する人)」なので、これまでも完全にキリギリス側の人間であって、またそんなダメな自分を正当化する便利な言葉を見つけたとそんなふうに考えることもできるけれども、これはアリ側の人々にも一考を迫る主張ではないかと思ったりもして。

しかし他人の考えを変えてやろうなどという「欲望」は自分の生活には不要だということこそ、本書から学ぶべきことのはずであって、ただ「己の人生の主人であろうとすること」。

これまでもずいぶん勝手に生きてきたけれど、これからますますダメイストっぷりに磨きがかかりそうなのである。

#本 #推薦図書 #ヴェーバー #フランクル #ニーチェ #アリとキリギリス #人生


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