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117. 歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡 【映画】

岩波ホール最後の上映作品、「歩いて見た世界」を見てきました。
(ちなみに一個前の上映作品はこれ↓)

今回の作品は、作家ブルース・チャトウィンの盟友、ヴェルナー・ヘルツォーク監督が、チャトウィンについて撮ったものですが、決して伝記映画ではありません。

確かに、チャトウィンがどんな作品を書き、どんな生活を送っていたかというようなことが、インタビューされる友人や関係者たちの口から断片的に語られます。ヘルツォーク監督自身もチャトウィンとの思い出話をあれこれ語ります。
でもこの映画の中にはヘルツォーク監督の過去作が多く引用されたり、チャトウィンが旅したオーストラリアや南米の古来の生活の様子が映し出されたり、監督の(そして恐らくチャトウィンの)世界観・人生観がまざまざと現れています。つまりこれは、二人が共有してきた人生に対する考え方を辿り、それぞれが見てきたものを振り返り、また新たな旅に出るような、そういう映画なのです。

ある種とても個人的な映像作品なのに、わたしは何と二人について全く知らないままで観に行ってしまったのでした。チャトウィンの代表作である紀行文学「パタゴニア」は辛うじてタイトルくらいは知っていたけれど未読でしたし、ヘルツォークに至っては初耳の監督。(ニュー・ジャーマン・シネマの旗手だそうです)

だから、二人のファンの人が観て受ける印象と、無知なわたしが得た感想では立脚点が大分違うのだろうと思います。
ストーリーがあるわけではないですし、出てくる人々・ものものが知らないことばかりなので、印象がひどく断片的です。一つの発言に捉われて考えている間に語りが進んでいて、今何の話をしていたのか分からない、なんてこともしばしば。
それでも語られるエピソードの興味深さ、人類学的な映像の底知れない魅力、未知の光景といったものはわたしの心を確実に掴み、この映画に釘付けにしたのでした。


そんなわけでブルース・チャトウィンについてもヴェルナー・ヘルツォークについても何も語れないので、心を揺さぶられた事物についてまとめておこうと思います。

様々なシーンが映し出される度に思ったのが、旅に出たいということ。
なにせ旅の映画なので。
イギリスのシルベリーヒル(新石器時代の遺跡)とラントニー修道院ホテル(修道院に泊まれるなんて! 建築も荘厳で素敵)、チリの洞窟(乾燥ゆえに古代生物の毛皮がかなり良い状態で保存されていたらしい)、アルゼンチンのクエバ・デ・ラス・マノスの壁画(手形がぎっしりついている古代の壁画で、狂気を感じるけれど、本物を見てみたい)などなど……惹かれる場所が次から次へと出てくるのです。
見終わってすぐ、UAEで延々と連なっているのを見た岩山とか、トルコのハットゥシャ遺跡とか飛鳥の草原の中の礎石とかを眺めに行きたくてたまらなくなりました。(とは言えすぐさま行ける距離ではなかったので近場の古墳と川で我慢しました。せめて飛鳥の亀石くらいには行きたかった)

それから、断片的に引用されることもあってちゃんと通しで観たいなあと、ヘルツォーク監督の他の作品にも興味が湧きました。
特に気になったのが、男たちが化粧をして美を競うという西サハラの遊牧民の祭典を撮ったドキュメンタリー「ウォダベ 太陽の牧夫たち」と、とても人間業とは思えない(というかきっと我々がなくしてしまった身体能力によって)絶壁を登るクライマーを捉え、55時間雪の中で救助を待つ羽目になったという「彼方へ」です。
無論、チャトウィンの小説も気になり始めました。読みにくいらしいですが、とりあえず「パタゴニア」には近々手をつけられたらと思っています。

あとアボリジニの、「大地が歌で覆われている」という考え方は、言葉から受ける感じが綺麗で何となく素敵なものに思えるけれど、実際どういう世界観なのだろうと考えています。アボリジニだけでなく、世界の神話を紐解いて、人類共通の価値観・土地ごとに固有の物語について造詣を深めたいです。


映画で繰り返し問われた「定住」と「放浪」については、わたしもこれまでたまに思いを馳せることがありました。今の社会システムでは放浪のみで生きていくことは困難だけれど、それだからこそ憧れ夢見てしまうのです。
でも、生きるために移動するのではないのに、なぜわたしは旅に出たいと思うのだろう。身の回りのささやかな刺激だけで満足してその場で生きていかれないのはなぜだろう。

パンフレットに寄せられた坂本大三郎氏のエッセイに、思想家オルテガの言葉が引用されていました。

流動性(どこにでも移動できるグローバリズムのこと)の中で伝統と切り離され、古くから続いてきた慣習や価値観の根拠を失った私たちの社会を「生ける死者がいない」と表現した。

伝統から切り離されて根無し草のわたしたち。”信じるべき世界観”というのは暮らしていく中で自分なりに作り上げていくことになるので(何か一つの宗教に改宗しなければ)、代々受け継がれてきた土着の信仰があってそれを皆が無理なく信じて守っていけるコミュニティというものに強く惹かれます。人類学、民俗学に興味がある所以はそういうところにあります。
特定の部族の中へ入り込んで仲間のように振る舞うことに憧れも抱くけれど、一方で元々のルーツがそこにないのに仲間内に入ろうとするのはエゴだとも思います。旅人の視点で一時的に関わって、すぐ離れる、そういう付き合い方をしたいのかなあ。
放浪と旅も違いますし。よく分からない。頭の片隅に残しておきたい疑問です。


何はともあれ、わたしのように二人のことを知らなくても、旅好き・人類学に興味のある方などは、きっと面白く観られる作品かと思います。また岩波ホールではヘルツォーク監督作品の特別上映も予定されています。合わせて行かれてみてはいかがでしょう。
(「ウォダベ」が上映されるとのことなのでわたしも行く予定なのです。)

ではまた。

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