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生きる意味とは最期にならねば分からない。

最近また少しずつ調子が落ちてきている。
寝付きも悪くなり、朝になって蝉がうるさく鳴き始めてもベッドでごろごろと過ごす日が増えた。
眠りにつくのは気絶と同義である寝方が増えた。
そんな中でふと思う。

生きる意味が欲しい、と。

生きる意味。
生きている意味。
生まれてきた意味。
それが欲しい。

私が今何の為に誰の為に呼吸をしているのか、それに意味が欲しい。

もちろん、そんなものがない事はとっくに理解している。
未だ中学生の子供ではないのだ、生きる意味だの何だのは考えても答えがなく意味がない事であると知っている。
だがこうしてうつ病を患い職を失くした日々を過ごしていると「今自分は一体何の為に生きているのだろうか」と何度も思う。

人に尽くす事が好きな性分が故に人に依存しやすい。
依存していると「この為に生まれたんだ生きてるんだ」と希望を見出せる。
しかし歳を重ねた事で「意味を他人に委ねる事」がどれ程危険な事かも理解している。

それでも誰かに意味を委ねたい、問いかけたい、正解が欲しい。

意味とは人生の道標だと思う。

だが結局のところ生きる意味など、呼吸が止まって死ぬ最期の瞬間まで分からないものだとも思う。
死ぬ時に「生きてて良かったな」「まあ悪くない人生だったな」と思えるかどうかが、生きる意味があるかないかの判決時なのだろうと。

そうは分かっていても私は今、意味が欲しい。

自己肯定感が低いが故にこう考えるのだろうと思ってはいる。
だから自己肯定感を少しずつ上げようと努力はしている。
しかし自己肯定感の上げ幅よりも下げ幅の方が大きく、プラマイゼロどころかマイナスになる事が多い。

などとやいやい並べ立てたところで思考の整理はほんの少しにしかならない。
とりあえずは最近鳴き始めた鈴虫の声に耳を傾けて瞑想する時間を作ろうと思う。
あとこんな状態でないと生み出せないものもある。
創作に没頭してみるのもひとつの手。


ついでに言うと、パンダの尻尾が黒ではなく白だと最近知った。
私の描く熊猫は配色ミスをしていたが、面倒なのでこのままでいこうと思う。
尻尾が黒いパンダもどっかにおるやろ。知らんけど。

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