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「クッソ生きてやる」が歌えるようになった話。


メンヘラとは往々にしてメンヘラソングが好きである。
私自身もその例に漏れない。
未だにこの曲を聴くと涙が出る事がよくある。

こう言う曲で共感したり泣ける辺り、私の中で未だに思春期の部分や反抗期の部分と言った「幼稚な子供のままな部分」がしっかり残っている証拠だろう。
だがこの一曲ひとつを取っても、昔と今とでは変化もある。

サビの「クッソ生きてやる」が昔は歌えなかったのだ。

だって生きたくなかったし。
さっさと死にたかったし。
何なら消えたかったし。
長生きしたい人の気持ちなんて微塵も分からないし、生きていて楽しい人の気持ちも微塵も分からない。

だから単なる歌、単なる歌詞だとしても「生きる」と言った言葉は一切歌えなかった。
口にすらしたくなかったのだ。
口にしたら自分の死期が遠のく気がして。
今にして思えば馬鹿馬鹿しい思考だと思う。
だがそれ程までに、生きていたくなかったのだ。

それが今はようやく「クッソ生きてやる」と歌えるようになった。

何故私が死んでやらねばならないのか。
私を苦しめた奴の為に何故私が死んでやらねばならないのか。
何故私がいつまでもそんな奴らに縛られていなければいけないのか。

そう思うと「は?クッソ生きてクッソ幸せになってやるからお前ら覚悟してろ!震えて眠れ!」と思えるようになった。
自分の幸せを他人と比べる気はないが、私自身がクッソ幸せだと思って生きる事に何故誰かの許可が必要なのか。
私を幸せにするのは私自身である。

だが今でも死にたいと思う日はある。
ある日突然「もうダメだ。無理だ。生きてる意味も価値もない」と号泣して震えて眠る事もある。
時には本気で死のうとしていたあの頃に戻りたいとさえ思う日もある。
生きたいと死にたいの反復横跳びを繰り返しているのだ。

だが昔は死にたいに着地して三角座りをしていたのだから、立ち上がって反復横跳びが出来るようになっただけ大きな進歩である。

私はクッソ生きてやるぞ。
目標だってある、やりたい事だってある。
クッソ生きてクッソ幸せになってやる。
だから反復横跳びをしていても良いじゃない。
人間って単純そうで複雑で、複雑そうで単純なのだから。

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