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カエル旅シリーズ

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長編小説『カエル男との旅』より抜粋したエピソードを取り揃えております。
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それからのこと

それからのこと

「どうだい? 未来の自分に逢った気分は」
カエル君はそう言ったが、まさか、それはない。
「あの人は偉大な作家だよ。ボクとは違う」
「どうしてそう思う?」
「昼間あの人の作品をいくつか読んだよ。あんな文章、とてもじゃないが、ボクには書けない」
 そう言うとカエル君はまたしてもフフフと意味あり気な含み笑いをした。
「それに名前が違うよ。なんだかとても難しそうな名前だった」
「……臥龍覆水」
「えっ?」

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丘の上の山荘

丘の上の山荘

 カエル君の運転する車はとんでもないスピードで夜の国道を疾走した。瞬く間に都会を離れ街の灯りはどんどん遠去かった。走る程に薄墨かかっていた空が綺麗な藍色に変わり、それまでぼんやりと光っていた星々が次第にくっきりとその輪郭を浮き立たせた。それから暫く後にはその周囲に撒き散らしたような小さな星がいくつも瞬き始めた。こんなもの街中では見られるはずがない。空気が澄んでいる証拠だ。
 急に時間の感覚が失われ

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終わりの始まり

終わりの始まり

 ドアを開け、多少の驚きの表情を示したまま、両者は無言のまま互いを観察した。
 ややあって先に言葉を発したのは相手の方だった。「入りなさい」掠れたようなくぐもった声が聞こえた。思ったより歳を取っている、物腰からそう判断した。
 山荘の中は意外に広く玄関から奥に向かって廊下が続いていた。靴を脱ぐのかどうか戸惑っていたら老人は振り返って、そのままでと促した。
 丸太小屋に見えた山荘はやはり丸太を積み重

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夜鷹の灯り

夜鷹の灯り

 なんて言うか、この頃、すっかりバカになってしまいまして……、
「馬鹿?」
 あ、いや、関西風に言うとアホですか、なんやこう上手く言われへんけど、考えがまとまらんし、気力もないんですわ。
「そうですか」
 特に長編なんか書くのにはすごく体力使うでしょ。
 妙な沈黙。 
 耐えられない。
 暖炉の火があかあかと燃えている。
 言ってみれば、燃え殻みたいなもんですわ。
 老作家は不思議そうな顔をして、

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最終電車

最終電車

 遠くにポツンと灯りが見えた。
「来たよ」 何気なく彼は呟いた。ホームの端で黒っぽいコートにちらほら雪が舞っている。
「ああ、それからね……」
 老作家は背中を丸めながら、嗄れた声でこちらに顔を向け、笑ってみせた。皺だらけの顔にさらに深い溝が何本か刻まれる。ほつれた髪が額から目の端に曲線を描いてそれがまるで西洋絵画の人物を彷彿させた。
「君の作品……」
 それだけ言って暫く言葉を途切れさせる。

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