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【短編小説】師走


おっさんの声

 12月になると街はクリスマス気分になってあちこちから思い出したようにジョンの声が聞こえてくるというような感じの歌をかつて、とあるおっさんが唄っててそれを気に入ってヤタラメッタラに聴きまくっていた時期があり、それ以来この12月になると俺の頭の中にはジョンの声も達郎の声も聴こえては来ずいやもはや、ジングルベルさえ聴こえては来ないし、サイレントナイトホーリーナイトなんてたかだかジーザス生誕祭をあまりにも崇高に歌い上げる声はむしろ邪魔、ただただそのおっさんの嗄れた声だけが鳴り響くようになってしまった恒例の師走。
 もう何年経ったのか、あのおっさんは元気だろうか、つか生きてんのだろうか。そんな12月。

 師走である。
 師が走るほど忙しい時期なのだ。
 師とは誰ぞや?ということになるとこれは坊主で法事のために坊さんも走り回らなければならないというような意味で師走。

 しかし、師というのは現代でごく一般的、ごく庶民的な解釈をすれば先生ということになって、俺は坊主を先生だとは思っていないのでここで、師カテゴリから坊主を削除、イメージ的には白髪交じりの七三分けで黒縁または茶斑の四角い眼鏡をかけたジャージ姿の人がショルダーバッグを閃かせつつ、ジョンの声を、達郎の声を、ジングルベルをサイレント・ナイトを次々に脳内再生させながらネオン瞬く綺羅びやかな繁華街を疾駆、担当生徒の家を巡り走るという事になっている。俺の中では先生といえば「ガッコのセンセ」という以外にありえないのである。

師走

 師走である。
 ご多分に漏れず俺は忙しく疾駆している。ちなみに俺はガッコのセンセではなく無職である。選択的無職なので世間的にはニートあるいはプー太郎、人によってはプーと呼ばれる存在であるから「おまえが多忙で疾駆しても師走とは言わねぇんだよ、プー」と俺を侮蔑する低脳共、いいかよく聴け、どこの誰が多忙疾駆しても、年末の事は師走と言うことになってんだよこの国では。
 貧民の溢れるこの国では。

 貧民の溢れるこの国にもクリスマスも大晦日も正月も、強制的にやってくるのだ、そりゃそうだ。

ランニングマン

 師走である。
 どこの誰がなんの用事で多忙疾駆していても師走は師走なのでありそんな俺もまた師走、さて。

 俺にとってはクリスマスも年末も正月もなく、それはのっぺりと流れる時間の中に埋没してしまって全くの平常。
 そして俺は走っている。別に今日に限ったことじゃなくて無職で時間が有り余っているために毎日走っているのだからまったくの平常。まぁあれだ、ランニングだ。「なんだ師走の話じゃねぇのか、プー」という声がどこからか俺の脳を震わせる。「うるせぇよ」俺は自分の声で脳を震わせる。俺が俺の意思で無職なのと同様に俺が俺の意思でテーマを師走からランニングに変えたんだよ、文句あるかどアホ。

 ランニングとは言ってもそれはゆるいとてつもなく、ゆるい。
 足の動きは緩慢、地を蹴り身が跳ね上がって着地するまでがまるで、月面を跳ねるアームストロングのようだ。
 走る際の擬音としてタッタッタッタッタッというのんがよく使われるわけだが、こちらの場合はぽーんぽーんぽーんぽーんというのんで行かせてもらいたいと思う。
 またどこか、ランニングマンというのはストイックな印象があって、走りながら四方八方に視線をやり、ギョロギョロと巨大な目玉を動かして、自らの走行ルートを邪魔するものがあろうものならそのギョロ目からビームを出して駆逐するような身勝手で厚かましい挙動を纏いながら走るというのが通常なのだろうけれど、こちらはうっすらと笑み、跳ぶたびに頬を膨らませ、着地のたびに気を抜くというようなだらしない、緊張の欠片もない挙動である。
 走るというよりも浮いているという方が正しいような気さえする。

のし餅と爺

 しかし時は今まさに師走。
 俺は無職。
 俺はランニングマン。
 多忙に疾駆しなければならない。
 ぽーんぽーん。

 眼前に餅を担いだ爺が登場。
 何だよおい、ずいぶんとでかい餅、のし餅かよ。どこでそんなでっかい一畳ほどもあるような餅作ってんだよ。それ随分と高額なんじゃねぇの?爺。貧しい年金ぐらしだろう、爺。散財かよ、爺。小分け真空パックの切り餅にしろよ、最近は餅に十字のスリットが切ってあってきれいに焼けるし分割にも便利だしそもそもそんなクソでけぇのし餅より遥かに安かろうに。俺はあんたより貧しいからそういう事はよく知ってんだよ、爺。俺は無職だよ選択的無職だよ、爺。つかそんなもん担いで歩道歩くなよ、俺は多忙に疾駆してんだよほらぽーんぽーん。

 爺よろけました。
 一畳ほどもあろうかというのし餅を、肩から背中にかけて骨が浮いたような身体で担いで歩いた挙げ句によろけました。
 俺が軽やかに腕を振りぽーんと跳ねた瞬間に。

 爺よろけました。

 バランスを崩して俺の真正面にポジションをとった爺、軽やかな俺、軽やかに振り上げた俺の腕が最高のタイミングで爺の顎にヒット、のし餅は仰け反った爺の後方に飛びバランスを失った爺は歩道の段差から転落し真正面から高速走行してきた純白ベンツのボンネットで一旦くの字に曲がってから反動で逆くの字に反り返り血飛沫を撒き散らしながら吹き飛んでしまった。 
 純白のボンネットにまるで筆を振って絵の具を散らしたような爺の血液が飛散して現代アートの如し。
 俺は跳び、のし餅の上に着地。
 いやしかしこれは上等な餅だ、足が埋まって動かない。そんなことを思いながら餅に埋まった足を軸に俺の身体は為す術もなく前傾、45度あたりまで傾いた時にこれはやばいなと判断して手を出したのだけど無職で反射動作の鈍い俺の腕の動きは緩慢で結果、顔面から歩道のコンクリに落下激突した。 
 ああ、のし餅は足元じゃなくてここに落ちていればよかったのに、そうすればふかふかのクッションの如く俺の頭部を包みこの、激烈な衝撃からきっと、守ってくれただろうに。
 でも餅はそこになかった。
 餅のない歩道のコンクリは固く、俺の頭蓋は俺の顔面は真正面から瓦解した。

 けれども時は師走。
 瓦解したでは済まされない。
 多忙に疾駆しなければならない。
 膝を突き足をジタバタさせ、転がるようにのし餅を掴んで力任せに引き剥がした俺は瓦解した顔面を3度大きく振った。鼻が痛い。折れた。鼻の骨が折れた。
 師走だ。疾駆しなければ。
 俺はのし餅を担いだ。

折畳婆

 時は師走。
 ぽーんぽーんと俺は跳んだ。
 顔面瓦解のショックと鼻骨骨折の激痛とのし餅の重量で高度はやや低下していたが俺は跳び、多忙に疾駆した。
 のし餅が靴底に付着してねちゃにちゃになっていて飛びにくいので俺は、空中で大きく足を振り靴を飛ばした。
 どんな勢いがついてしまったのか偶々上昇気流にノッたのか俺の靴は空に消えた。
 ああ靴が、無職の俺の靴がと嘆きながら地面に着地したつもりで見知らぬ婆の脳天に着地、これが若い女なら骨もしっかりしていて脳天に俺を乗せたままくるくると回転し大道芸人よろしく拍手喝采を浴びていたのだろうけれど今、俺の素足が踏んでいるのは婆の脳天で骨が脆かった。というか俺が重かった、のかもしれない無職の。
 簡潔に言うと折りたたみ式望遠鏡のような仕組みで婆の頭は胴体に埋まり下半身は粉々に砕けて俺の素足の下でとてもとても小さく畳まれた。人間こんなに小さく畳むことができるのだなぁと感心しながらそれでも今は師走、多忙に疾駆しなければならない。

激突

 俺は跳んだ。
 と思ったら頭に猛烈な衝撃、瓦解した顔面を歪め、衝撃で半分潰れた脳が瞬時に判断した結果は、先程空高く舞い上がった俺の靴の上昇が終わり重力に従って落下、逆に俺自身は多忙に疾駆していたため頭上の安全確認を怠って力強く跳躍、両者が同一直線上で交差する瞬間、落下と上昇のエネルギーが衝突し、若干上回っていた落下エネルギーが俺の脳天の皮膚を突き破り脳天の骨を砕いて脳の大半を潰したということだった。
 要約すると正面衝突あるいはカウンター。

師走Revisited

 時は師走。
 多忙に疾駆しなければ。
 ぽーんぽーんと跳びながら。

 風を裂く音が聴こえる。
 どっちを向いているのかわからない。
 千切れる寸前の眼球が風になびきながら地上で小さくなった婆をロックオンし、ああ、俺は落下しているのだなぁと考えながら俺の砕けた脳天と婆の潰れた脳天がドッキングした今は師走。
 だれもが多忙に疾駆している。

 俺は無職。選択的無職。

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