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父が脳出血で倒れた日③~今までとは違う父を受け入れられなかった私~

翌朝、一番の飛行機に乗って長崎から大阪に向かった。

初めて立ち入る、救命救急センター、そしてICUの待合室。

他にも私たちと同じように、不安や緊張感、悲しみなどいろんな感情や空気が漂う家族がたくさんいて、とても不安になり、早くこの場から去りたいと思った。

ICUにいる父の姿を見るのが怖かった。

泣きそうになりながら、消毒をしマスクを付けさせれられ、母と私、父方のおじいちゃん、おばさんとICUに入った、

お父さんの他にも、さまざまな状態の患者さんが苦しそうに呼吸器をつけていたが、同じように真ん中のベッドで呼吸器をつけ、薬の影響で顔がむくみ、苦しそうにしている父がいた。

意識は戻っていて、目は空けてくれたが、それ以上は何の反応もなかった。

とりあえず、意識があることにほっとしたが、その後の担当の医師からの説明で言葉を失った。

医師は、父の脳の写真を見せながら、丁寧にゆっくり説明してくれた。

父は、左の脳出血のため、右半身麻痺。また、両目の右側も見えていないかもしれない。そして、言葉もうまく話せない失語症、そして高次脳機能障害の後遺症もあるだろうと言われた。

今後、少しずつ回復し、リハビリをすれば、話すこと、個人差はあるが歩くことも少しずつようになると。

その医師は、泣きそうになっている私たちを見て、こう言ってくれた。

「悪いことの後には、必ず良いことがありますから。神様は、乗り越えられない試練は与えないから」と。

この方はアメリカ出身で、キリスト教系の人だった。

この言葉に少し救われた。

ただ、この試練は始まりにすぎなかった。父も母も、私もそれぞれの立場で、耐えて踏ん張っていく日々が始まった。

【さくらの独り言】

4年後の今、医師の言葉の通り、良いことがあるという時期に差し掛かっているような気がする。長い長い試練だった。

人生、幸せも不幸もみんな同じ量だという言葉を聞いたことがある。

ただ、その現れ方の量やタイミングが、

人によって違うから、不平等だと感じやすいのかな。あまり、不幸という言葉は好きじゃないから、試練という言葉に置き換る。

私の場合は、とっても難しい試練が長期間与えられたような感じ。この4年間でいろんな感情を通過したし、いろんな涙も流したし、やけくそになった期間もあるし、どうにもならない現実に胸をかきむしる思いをたくさんした。

でも、世界に目を向けると、私よりも大変な人もたくさんいるし、いろんな人生があって、どうってことないやと思える時もある。

ちょっと何が言いたいのか、自分でもよく分からないけど、人生って

なんか凄いなと思うし、生きてるだけで凄いことなんだなと思う。

生きてるだけで、幸せだなという境地です・・・(笑)


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