「 K i - K i の言葉の魔法 」№36「 見栄を張らない 」
「 K i - K i の言葉の魔法 」
No. 3 6
「 見栄を張らない 」
いつも、ちょっと、
頑張り過ぎちゃう。
今、やらなければ ならない事が、
一杯あって…
やりたい事は、
どんどん、後回しになる。
だけど、
やりたい事を、
やらないでいると、
やらなければならない事も、
疎かになって…
気持ちばかりが、焦って…
なんだか、空回り。
そんな時が、ある。
だから…
出来ない時は、
出来ないと、
素直に、言おう。
有りのまま…
キャパの無い自分を、
素直に、人前で、
認めてみよう。
見栄を、張らなければ、
人生は、
もっと楽しくて、素晴らしい。
背伸びしなくて、大丈夫。
そのままで。
2 0 1 6 . 1 2 . 1 9 .
No. 3 6 「見栄を張らない」
(エッセイ付き)より。
2 0 1 8 . 6 . 1 2 .
2 0 1 9 . 2 . 6 .
2 0 1 9 . 8 . 7 .
2 0 2 0 . 2 . 4 .
................K i - K i (咲羅 希季)...........
🌸古い投稿詩を少し手直しを加えながら、番号順に再投稿しています。
🍀個人に宛てて書く事は、一切ありません。
幼い頃、「出来ない」と言えなかった。
「出来ない事がある」と叱られた。
どんなに頑張って、勉強しても、
家事をしても、褒められた事は なかった。
だから、「出来ないと愛されない」
そう思いながら、大人になった。
結婚しても、旦那様に父を投影して、
「出来る自分になる」のに、必死だった。
2016.2月、色々あって心身を壊して。
退院後も、クローゼットから出られなくなった。
酷く怖いとクローゼットに隠れる、子供の頃の癖が出てしまった。
いい大人が、おかしな行動をしていると、
分かっていても、怖くてクローゼットの中に、入らずにいられなかった。
なんにも出来なくなった私に、家族は怒るどころか、とても優しかった。
旦那様は、いつも黙って寄り添ってくれた。
頼れば頼るほど、優しくなった。
「出来る妻」にならないと愛されない。
そう思って、何でも頼らずに、自分でやってきた。必死になっていた。
だけど、そんな事は、何も求められてはいなかったんだ。
「あなたが居なくても、私は生きていけますよ。そんな風に、言われているようだった。」
旦那様が、そう言ったんだ。
「君は、一人じゃ、何も出来ない」は、叱っていたんじゃなくて「俺が居ないとダメでしょ」っていう、叫びだったんだ、と思った。
思えば、出会った頃は、どんくさくて、ビビリで泣き虫だった私。
変わったのは、私なんだ。
亭主関白に仕立て上げたのは、勝手に父を投影していた、私だったんだ、と思った。
子供の頃から何でも自分でやって、
中学を卒業と共に働いて、自力で2つの学校を併学して、家にお金入れて、家事もこなして。
学生でありながら、二十歳で、自力で飲食店を出して、経営しながら就職もして。
22歳で2軒目のお店を出して、経済的にも家を援助して。
どんなに頑張っても、こんなに頑張っても、父は私を認めてはくれなかった。
父は、そんな事は、何も求めてはいなかったのかも知れない。
大正生まれの父は、プライドが高くて「俺が居ないと、生きて行けないんだ」っていう、存在意義を求めていただけだったのかも知れないって、思った。
考えれば、可愛げの無い娘だった。何でも自力でやって、頼ったりしない。
「あなたが居なくても、私は生きて行ける」って、そう、見えていたのかも知れないな、って思った。
その反動で、子供達や友人の前、
外での私は、いつでも、ありのままの私だった。
今、旦那様にも、甘えたり頼ったり、ダメな自分で居たり。
ありのままで居れるようになって、外では、もっと、ありのままになった。
ありのままの私は、痛々しい程 いつも一生懸命で。
子供みたいに無邪気で、人が好きで、はしゃいだり、傷付いたり。
好奇心旺盛で、失敗ばっか。直ぐに人を信じて、裏切られて。いつだって必死で、負けず嫌いで。
そんなありのままの私は、どこか、とても滑稽(こっけい)で、みっともなくて。
でも、そんな自分が、
今はわりと好きだ。
ありのままで、いてもいい。
誠実さえ無くさなければ、愛されていい。
誠実でさえ 居れば、大切な人達に、
嫌われる事はない。
いつだって、それだけ、あればいい。
これだけが有るから、それでいい。
今、人生を行き直してる。また、生まれたんだ。
見栄を張らなければ、それだけで、
人生は、もっと楽しくて、素晴らしい。
2016.12。
お父さん。ごめんね。
サポートで頂いた真心は、創作活動費、書籍出版の夢のために貯めて、大切に使わせて頂きます。応援して下さって、ありがとうございます。真心に感謝致します。