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長髄彦とパレスチナ

日本書紀「神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)(神武天皇)」によれば、「饒速日(にぎはやひ)のいるところに行って都を定めよう」と決めた。

和歌山から奈良を攻めた神武たちの敵は国見丘(伊勢)にいた八十梟師(やそたける)。磯城邑(しきのむら、三輪山麓西部)にいた磯城八十梟師、葛城邑(かつらぎむら、葛城山)にいた赤銅(あかがね)八十梟師。神武たちは、この三つのムラの八十羽のフクロウ。彼らを殺戮し征服した。
そして四番目が長髄彦だ。神武の兄、五瀬命(いつせのみこと)に怪我を負わせ、その傷がもとで亡くなった兄の敵討ちと長髄彦との戦いで彼らを殺戮し制圧した。

それでもまだ奈良には神武には敵がいた。層富県(そほのあがた、奈良市東南部)の新城戸畔(にいぎとべ)、和珥(わに、天理市和珥)の居勢祝(こせほふり)、臍見(ほそみ、天理市長柄)の猪祝(いのほふり)。この三箇所の民を「土蜘蛛(つちぐも)」と大和朝廷は名付けた。この三箇所以外の高尾張邑(たかおわりのむら、葛城山の八十梟師と残党か?)も「土蜘蛛(つちぐも)」で、背が低く、手足が長い侏儒(ひきひと、元々背が低い人々)に似ている、と。
「土蜘蛛」は蝦夷(えみし)、熊襲(くまそ)と同じく、大和朝廷に対しして不服従の先住民に対する蔑称である。
長髄彦も「脛(すね)の長い変なヤツ」と身体の特異を指した蔑称のあだ名であろう。

長髄彦のムラ人を殺し、奈良を占領した神武は言う。
「我、東(ひがしのかた)の征(う)ちしより茲(ここ)に六年(むとせ)なり。頼(かがふ)るに皇天(あまつかみ)の威(みいきほひ)を以(も)ちて、凶徒就戮(あたころ)されぬ。辺土未だ清(しづま)らず、余妖尚(よえうなほ)し梗(こは)しと雖(いふと)も、中洲之地(うちつつち)に復風塵無(またふうぢんな)し」
(辺境の地はまだ鎮静しておらず、残る賊徒もなお頑強ではあるけれども、中央の大和国はもはや風塵も立たないほど平静である)
それで奈良の樫原に宮殿を建てたんだ、と言っている。

イスラエルの独立宣言を見てみよう。
まず出だしに、
בארץ-ישראל קם העם היהודי
(イスラエルの地は、ユダヤ民族の誕生の地であった。)
これが、彼らがイスラエルに移住して国を建設していい理由だ。たとえば、私が今は日本に住んでいても2000年前に祖先が住んでいた言い伝えがあれば、そこに行って住んでも良い、ということだ。移住をするのはいい、しかし今日そこに住んでいる人の家を壊して自分の家を建てていいのだろうか?

さらに独立宣言は続く。ヘブライ語の原文は省略するが、
「1897年、ユダヤ国家の父であるテオドル・ヘルツォルの呼びかけに答えて(第一回シオニスト)会議が開かれ、ユダヤ民族がこの地に民族の復興をする権利を宣言した。この権利は1917年11月2日、バルフォア宣言で承認され、国際連盟の委任統治として許可された。特別にイスラエルの地とユダヤ民族と歴史的に結びつけられる民族の間において、民族的郷土を新たに創立するユダヤ民族に権利と力を与えた。」

パレスチナはB.C.1020にユダヤ王政を建てた。しかしその前にもさまざまな種族の人々が暮らしていた。以降、紀元前には、アッシリア(シリア)、バビロニア(ペルシャ)、ギリシャ、ハスモン(ユダヤ)、ローマと王権は変わり、A.D.(紀元後)もペルシャ、ウマイア(メッカ)、十字軍(ヨーロッパ)、マムルーク(エジプト)、オスマン(トルコ)と王朝を変遷する。そしてイギリスが統治をしたのが、1919年。
さまざまな人々の移住があった。しかし、「以前統治していたのだから国を建国していい」と言ったのはユダヤ人のシオニストたち。その理由を考えてみるのもいいことだ。ヨーロッパで、その居づらさゆえに、彼らの一部の人々がシオニストとなる理由があった。
パレスチナ人とは、このように歴史を経てさまざまな人が行き交い、移り住み、共に暮らしている全ての人々を指す。
そして1948年5月14日、イスラエルが建国され、多くのパレスチナ人が家を壊され、追い出され、殺された日だ。だからイスラエル独立記念日を「ナクバの日(大惨事の日)」とパレスチナ人は呼ぶ。

大和朝廷の日本の建国は、ある一つの部族の征服によってなされたものだ。それを誇りに思うイスラエル人のような日本人もいるだろう。しかし、ここまで多くの奈良に住む人々がことごとく殺された日を祝う気持ちになれない日本人もいる。

大和の国で生まれた猿楽、のちの能には「土蜘蛛」「葛城」の作品がある。作者は未詳。さすがだ。この世の中がどうもうまくいかないのは、恨みを持った人、無念な思いで死んだ人が何かメッセージを私たちに伝えたいのだろうと思い、その人をさ庭(霊を降ろす斎場)に呼ぶ。その人が乗り移って語るのが能の原点だ。
 大和朝廷に滅ぼされた奈良の人々が現れること。それが彼らの霊を慰める儀礼ともなる。能が物語るシテ(主役)に耳を傾ける。それは日本の建国記念日が「ナクバの日」であった人々の声に耳を傾けること。滅ぼされた奈良の人々と今のパレスチナの人々は、同じ苦しみの中にいる。


■ハイパー能「長髄彦(ながすねひこ)」2024公演概要
●主催:桜樹座
●日時:2月11日(日・祝)「建国記念日」17:30開場18:00開演
●会場:七針
●場所:東京都中央区新川2丁目7−1 地下 オリエンタルビル
●料金:前売り3,000円、当日3,500円

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