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カーネーションの白、カサブランカの香り-祖母とのお別れ記録-

3月12日 7:36

祖母が亡くなった。

朝6時頃、父からの電話で起きる。
病院から「祖母の状態が良くない。病院に来てください」と連絡があったという。
20分後、父からまた電話があり、祖母の耳に携帯電話を当ててもらって、最後に話しかける。

7:47。母のLINEで祖母が亡くなったことを知る。
すぐ支度をして、キャリーを抱えて喪服を買いに行く。
喪服が思ったより高いことに驚き、東京で購入することを断念して、品川駅へ向かう。

一刻でも早く、地元愛知に帰りたくて、
予約していたよりも1本前の新幹線に、改札前で予約を取り直す。

お通夜とお葬式を執り行い、火葬場まで見届けた時間は怒涛で、祖母の周りの人々、それぞれの想いが詰まった大事な時間だった。

東京に戻ってきて4日目。
悲しみに打ちひしがれている訳ではないけれど、
この気持ちを言葉にして、昇華しないと、
前を向ききれない気がしたので、記してみよう。

いま、私は非常に穏やかな気持ちでいる。

祖母は2度の脳梗塞を患い、病院で約10か月寝たきりの生活をしていた。
言葉を発することが難しく、意識もある時と朦朧としているときがある。身体を動かすことも難しく、手が意識に反して痙攣しているのを見るのはつらかった。

しかも、コロナ禍だったので幾度となく面会は禁止され、私はこの10か月で2回しか会いに行けなかった。
同じ地元で暮らしている父母妹でさえ、4回しか会えなかった。

辛かっただろう。
「家族と一緒にいることが1番の幸せ」といつも話してくれた祖母にとって、病院は孤独だっただろう。
おしゃべり好きで世話好きな人柄だから、自分の意思を言葉にできないことはもどかしく、悔しかっただろう。

別のnoteにこのときの気持ちを記録したが、
家族にとってもまるで地獄のようだったと覚えている。

そんな苦しみから開放された祖母を想う

「病気はもう治りましたよ」と亡くなった後、主治医の先生がそう声をかけてくれたという。

この10か月があったからこそ、お通夜もお葬式も火葬場でも家族は落ち着いた気持ちで迎えられたんだと思う。祖母が帰ってきたと思えるんだと思う。

お通夜のとき、親族控室で綺麗に化粧をしてもらった祖母と一緒に一夜共に過ごす。
家族と携帯の写真フォルダを見返して、祖母との思い出を語る。他愛もない話が出来るようになって良かったなとしみじみ思った。

祖母の友人たちが親族控室まで来て、祖母との思い出話をしてくれる。
そこで初めて知る祖母のコミュニティ。
いつも友人に家族の話をしてくれていたこと。
だから、友人の方は私たちの顔は知らないけれど、名前は何度も聞いたから知っていた。

祖母にはこうやって話を聞いてくれる人がいたこと。
祖母にはこうやって泣いてくれる人がたくさんいること。温かい気持ちがじわーと広がった。嬉しかったな。

一生、忘れない景色

祖母の棺に参列者全員でお花を入れていく。
好きだった飴やCCレモン、あんぱんも入れる。
好物のところてんはさすがに入れられないから、葬儀会館のスタッフが写真を用意してくれた。
家族との写真も周りを囲むように貼りまくった。

棺に入りきらないくらい溢れるお花に囲まれる祖母の頬に手を当て、頭をなでる。
じっくりゆっくり最後のお別れをすることができた。

あの、カーネーションの白さとカサブランカの濃厚な香りは一生忘れないだろう。

ばあば、ありがとう。大好きだよ。
お疲れさま。ゆっくり休んでね。

※写真はお葬式の翌日に妹と食べたメロンソーダとミックスサンド。
 祖母とよく行った喫茶店だった。


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