お金とことばの公平さ
あるとき ふと、お金のなかにすっぽり入って、そこから外をみているような気持ちになりました。
はじめての気持ち。
そして、〈お金って、公平。ものさしみたい。客観そのもの。〉って、思ったのです。
だから、便利なんだ。
みんなが使うんだね。
「なにか」と「なにか」を交換できる。
ものやサービスが、AをはなれてBに移る。
そのとき、BからAに還っていく「べつのなにか=お金」がある。めあて、はかり、ものさし。
そんなはたらきをする〈お金〉。
すごい発明品!(それとも "システム" ?)
そりゃ、流行るよね~
みんな、たよるよね。
これまでは、お金を
・誰がもつのか
・多いか少ないか
・あるとか、ないとか、のこすとか
・払うほう? 受けとるほう?
そんなふうにしか感じたことがなかったんです。
だけど、公平性・客観性・・ そう!
お金のもっている(役割)(性質)みたいなものに、 気がつくことができた 💡
なんだか、ふんにゃりと 力が抜けたみたい。
お金に関する こわさや意気込みが、すこーし緩やかになりました。
* * *
そしてね、今朝。
ことばも。。もしかして、そうなんじゃない??
って思ったのです。
人生も、体験もちがう誰かとだれかの気持ちを
むすんだり、はなしたり。
ほんのすこーし 感情をゆるめ、やりとりをする。
伝えあうための、
移しあうための
〈客観できる、公平な、符号みたいな〉もの。
ほんとうは、移動するはずのないもの。
たとえば、気持ちや 情報(できごと)が
Aを はなれ Bへ 伝わる…。
Bが またなにかを Aへと 送る…。
○ □ △
⊂ ∝ ヾ * ≫
Aも、Bも それぞれの想いはちがっても
発せられ、届けられたということ自体が、ふたりの間の空気や想いを すこーしずつ、変えていくような。。。
たがいをむすびつけたり、
ほっとゆるめたりしてくれる。
そんなことが可能になる。
それが、ことば。
ときに 表情、しぐさ
なのかな。と。