比較の狂ったフェミ彼女
フェミニストの間違った比較をテーマにしたnote記事を最近よく書いている。また同じテーマでnote記事を書くのだが、今回はwebメディアで採用され、yahoo!ニュースに転載された以下の記事を取り上げる。
相変わらずのことだが、フェミニストは男尊女卑を言い募らんがためにデタラメを吹聴することに対して罪悪感を感じないらしい。そんな嘆息交じりの感想しか出てこないのは、当該記事が「男尊女卑社会」の結論ありきで、異なる類型の犯罪・同じ類型の犯罪の異なる被害規模の犯罪・検察の求刑と確定判決の量刑・異なる国での判決結果とを比較して「男尊女卑」と言い募るからである。
詐欺罪と強制わいせつ罪
立件された被害額1億5000万円の詐欺と立件された被害額700万円の詐欺
検察の求刑と裁判の確定判決
日本の法廷での詐欺の量刑とイスラエルの法廷での詐欺の量刑
「男女での罰の重さの違い」をテーマに取り上げ、日本の司法における男尊女卑を示す事例として「“頂き女子りりちゃん”懲役13年求刑」を挙げたとき、上記の1.-4.の比較が比較として成り立っていないことが理解できるだろうか。このとき注意事項として繰り返すが、あくまでも記事のテーマは「男女での罰の重さの違い」である。「詐欺に比べて性犯罪の量刑が軽い」というテーマの記事ではないのだ。
したがって、「男女での罰の重さ」の比較をするならば、同じ犯罪類型での男女の量刑を比較をしなければならない。同様に、被害規模や悪質性の違いによる量刑の違いを比較しているのではないのだから、同程度の被害規模や悪質性の詐欺に対する男女の量刑を比較しなければならない。更には、求刑段階での詐欺の量刑と確定判決における詐欺の量刑の違いを比較しているのではないのだから、求刑段階における男女の詐欺の量刑を比較するか、確定判決における男女の詐欺の量刑を比較するかで統一する必要がある。また、異なる国の法廷での詐欺の扱いの比較をしているのではないのだから、同じ国の法廷での男女の量刑を比較しなければならない。
「男女での罰の重さ」の比較をするにあたって、「犯罪者の性別」以外の要因が量刑の差異の決定的要因となっている事例を挙げることは、デタラメという他ない。そして、当該記事はそんなデタラメな比較を行う記事なのだ。
では、実際にフェミニストのデタラメっぷりの様子を記事から確認していこう。「頂き女子りりちゃん事件裁判」に対するライターであるさかい氏の認識が表されている記事の冒頭をまず引用する。記事全文においてさかい氏の認識は下の引用箇所で太字で強調した内容から一歩も離れていないことは抑えておいて欲しい。
さて、大抵のフェミニストは「いまの社会は男尊女卑社会である」という確証バイアスを保有する。そして、さかい氏もまた例に漏れずバイアス持ちという訳だ。記事を読めば、「日本社会が男尊女卑社会だから、女性犯罪者の渡邊真衣被告に対する求刑が重いのだ」というフェミニズム物語がさかい氏の思考に存在し、その物語を補強するような事例を掻き集めているのがありありと窺える。つまり、キチンと「男女での罰の重さの違い」を比較しようと考えて事例を収集しているわけではないのだ。比較対象として不都合な事例を例示して「男は優遇されていて女は冷遇されている」という感情的反応を引き出そうとしているに過ぎない。このことを確認してみよう。
記事において最初に例示されるものが「男性の性犯罪の確定判決の量刑」である。
挙げた事例に関して太字で強調した自覚があるならば比較対象として別の事例を提示すべきである。犯罪類型が異なるのであれば量刑もまた異なる。「性犯罪が詐欺罪と比較して軽すぎる」という「詐欺と性犯罪の比較」であるならば、76歳の性犯罪者の事件と頂き女子りりちゃん事件を比較する意義が無いではない。しかし、当該記事のテーマは「男女での罰の重さの違い」なのだ。異なる犯罪類型の量刑の差異の妥当性は記事のテーマではない。
また重要ではないが、この比較は別の観点でも不適切な比較である。基本的に検察の求刑の7割から8割程度になる確定判決の量刑に関して、求刑と判決の量刑の両者を比較するのは不適切だ。同一の犯罪であってさえ、大抵の場合に求刑の方が罰が重い。したがって、件の性犯罪事件を比較対象として取り上げるのであれば、頂き女子りりちゃん事件の罰の重さとして記事で取り上げた求刑の重さに合わせて、確定判決として出た懲役2年ではなく検察が求刑した懲役3年6か月を比較の対象とすべきである。
さて、さかい氏は詐欺での事例も比較対象として挙げている。
しかし、立件された被害額が1億5000万円の頂き女子りりちゃん事件の比較対象としてさかい氏が挙げた以下の立件された被害額は700万円だ。これだけの立件された被害額に差異があれば比較対象として適格性に少々疑問がある。何といっても、立件された被害額に20倍以上の差があるからだ。そのことを記事の該当箇所から確認しよう。
立件された被害額と共に問題なのが犯罪の悪質性と社会への影響である。そしてそれは検察の求刑に大きく関係する。さかい氏の記事では触れられていない、頂き女子りりちゃん事件の悪質性に関して、それが分かる別の記事を挙げよう。
上の二つの記事にある通り、渡邊被告は、詐欺マニュアルを販売し、その詐欺マニュアルに従って詐欺を実行した別の女性犯罪者も出現している(後述)。そして、りりちゃんこと渡邊真衣被告の悪質さと社会的影響について、検察は強く非難している。つまり、これらの要素を勘案しないと渡邊被告の量刑については判断できないのだ。立件された被害額と犯行の悪質性を捨象して量刑の大小を比較するのはオカシイのだ。
また、比較の問題だけでなく悪質な印象操作をさかい氏が行っている問題もある。すなわち、さかい氏は比較対象である男性犯罪者の結婚詐欺において「立件された被害額」と「立件できていないも含めた被害総額」を分けて提示し、「この詐欺師で騙された分は立件された分だけではないのだ!」という表現を行う。一方で、頂き女子りりちゃん事件においては、以下のように立件できた分をあたかも「立件できていないも含めた被害総額」であるかのような表現でさかい氏は言い表すのだ。
そのアンフェアな印象操作を実際に確認しよう。
さかい氏の記事では上記のように、頂きりりちゃん事件において被害総額なのか立件できた分なのか曖昧にしている一方、男性詐欺師の事件では立件できた分と被害総額を明確に区別できるような表現をしている。しかし、頂き女子りりちゃん事件では、立件できた分が1億5000万円なのであって、立件できていない被害総額は3億円にも上るのだ。このことを以下の別の記事から確認しよう。
各記事の日付を確認すれば理解できると思うが、去年の段階で頂き女子りりちゃん事件の被害総額が3億円に及んでいることは、本人の供述から判明している。したがって、さかい氏が記事を書いた時点において、被害の総額は立件できた分の1億5000万円だけでなく3億円にもなっていることは、既知の事柄であるのだ。
男性犯罪者による結婚詐欺事件において「700万円というのは立件分のみの金額で、6年間で10人以上の女性が、合計1億円に上る被害に遭ったと見られています」と表現するのであれば、頂き女子りりちゃん事件の被害額の表現についても同様に「1億5000万円というのは立件分のみの金額で、渡邊被告が接触した少なくとも数十人の男性は、合計3億円に上る被害に遭ったと見られています」と表現するべきである。
もちろん、検察が公判に耐えるだけの証拠が揃っていると判断したものが1億5000万円分であり、確定判決が出ていないため「約1億5000万円を騙し取ったとされる」と表現すること自体は間違いではない。しかし、頂き女子りりちゃん事件については立件できていない被害総額には一切触れない一方で、男性犯罪者による結婚詐欺事件については立件できていない被害総額を強調する表現をするのは、ミスリードさせようとする意図があるとしか思えない。
しばしばフェミニストが使うこの手のアンフェアな表現は、頂き女子りりちゃんの倫理観である相手を騙してもなんら良心の咎めを感じない最低最悪な倫理観と同根の倫理観が、フェミニストの倫理観であることの表れであるだろう。
さかい氏が挙げた男性犯罪者による結婚詐欺事件と立件できた金額で同等なロマンス詐欺は、それこそ「頂き女子りりちゃん」が作成したマニュアル、及び頂き女子りりちゃんこと渡邊被告から指導を受けつつ詐欺事件を起こした家田美空被告の事件がある。既に判決も出ているため、比較がしやすいだろう。
立件できた金額において男性犯罪者の結婚詐欺事件では被害額700万円である一方、女性犯罪者である家田被告の事件では被害額1065万円であり、立件できた分で比較すれば男性犯罪者の被害額は女性犯罪者である家田被告の被害額の2/3である。
ただし、立件できたものは700万円だが被害総額が1億円以上になる男性犯罪者による結婚詐欺と、立件できた金額1065万円と被害総額が同じであるだろう女性犯罪者によるロマンス詐欺を"同じ"と見るのは難しい。また、犯罪者の年齢などに相当の差異があるため、更生可能性に関して同列に並べることが困難だ。
それでも男性犯罪者が懲役5年6ヵ月の実刑、女性犯罪者である家田被告は懲役3年執行猶予5年との判決結果からみて、到底、司法が犯罪者に与える罰に関して男尊女卑があるとは感じられない。
更に言えば、女性犯罪者である家田被告の裁判での発言から彼女の更生可能性についても少々疑問である。そのことに関しては、以下の記事を見て頂きたい。
この最後の家田被告の発言からは「私が捕まったのは運が悪かっただけ。カネを出した『おぢ』は自業自得だし、女の子の方がずっとツラい」と彼女が考えているようにしか感じられない。つまり、反省など全くしてないだろうと思われるのだ。正確に言えば「捕まらないように上手くできなかったこと」は反省しているかもしれないが、「犯罪を犯したこと」については反省していないだろう。それゆえ、"更生可能性"が考慮されたと思われる執行猶予は必要だったのか門外漢から見るとイマイチ納得いかない気分になる。ただ、司法の量刑の相場についての私の印象はあくまでも素人見解に過ぎないことを断っておこう。
最後に、記事における物凄くしょうもない比較である、Netflixの『Tinder詐欺師: 恋愛は大金を生む』というドキュメンタリー映画に登場する男性詐欺師に対するイスラエルの法廷での求刑と、頂き女子りりちゃん事件の日本の法廷での求刑の比較に関し、そのバカバカしさを示そう。
上記の事例が比較対象として挙げられたことに唖然とする。男女の犯罪者が別々の二つの国の法廷で裁かれたとき、そのの量刑の比較で「男女での罰の重さの違い」を比較できると考えるところがビックリである。この比較のバカバカしさは、ロマンス詐欺から離れた方が分かり易いだろう。そこで、以下の二つの記事を読んで「男女での罰の重さの違い」を比較できるかどうか想像して欲しい。
ここで私が「男性だと大麻1kgの密輸なのに判決が死刑である一方で、女性だと覚醒剤35kgの密輸にも関わらず判決は懲役9年罰金400万円でしかないのは、男女の性別の違いで罰の重さが全く違う女尊男卑だ!!」と主張したら、「あんさん、頭おかしいんでっか?」と言われてオシマイだろう。
タンガラジュ・スピアが大麻1kgの密輸で死刑になるのは、タンガラジュ・スピアが男性であるが故でない。シンガポールの法廷で薬物密輸が裁かれたからだ。一方、覚醒剤35kgを密輸した台湾籍の女性が懲役9年罰金400万円で済んだのは、性別が女性であったが故ではなく、日本の法廷で薬物密輸が裁かれたからだ。
当然ながら、タンガラジュ・スピアが日本に大麻1kgの密輸(※密輸しか犯罪を犯していないものとする)して捕まったのなら日本の法廷で死刑判決が出ることはなく、また逆に、台湾籍の女性がシンガポールに覚醒剤35kgを密輸して捕まったのならシンガポールの法廷で死刑判決が出るだろう。
つまり、まったく異なる国家で男女それぞれが同じ犯罪を犯して裁かれたとして、その判決において男女の犯罪者の量刑が異なろうとも、それは犯罪者の性別の違いではなく、それぞれの国の刑法を含めた司法の在り方が異なるからだ。
それは、基本的にどんな犯罪であっても同様である。すなわち、頂き女子りりちゃん事件での渡邊真衣への求刑が懲役13年罰金1200万円であったことと、『Tinder詐欺師: 恋愛は大金を生む』というドキュメンタリー映画の題材になったロマンス詐欺を犯したシモン・ハユットへの求刑が 懲役15ヵ月であったことは、渡邊真衣が女性であったからでもシモン・ハユットが男性であったからでもない。単に、渡邊真衣が日本の法廷で裁かれ、シモン・ハユットがイスラエルの法廷で裁かれたからだ。
なんで、こんな単純なことがフェミニストには理解できないのだろう?
フェミニストの思考能力に関して、普通の成人と同等程度にあるのか本気で疑わしく感じる。
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