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あらいぴろよの「母が『女』とわかったら、虐待連鎖ようやく抜けた」感想


※ネタバレ注意

一言でいうと、「虐待の連鎖を繰り返してしまいそうな主人公の気づき」です。

被虐待児だったぴろよが、親になり、虐待父も亡くなった。でも過去の虐待の記憶がフラッシュバックして苦しむ。我が子は絶対に幸せにしたいのに、追い詰められ虐待を連鎖させてしまいそうになる。。

その中で母親が、なぜDV夫である虐待父と離婚しなかったのかについての気づきが、なんだかんだ母親も父が好きだったから。子どもよりも自分の恋愛を取っていたから、というもの。
大人になりきれないまま親になってしまった。

毎回のことですがあらいぴろよさんの著書はどれも重たい、、重たい内容なんだけど、キャラ付けや絵柄でスラスラ読めるようになってるのが良いですね。

持論なんですが、虐待されてきた人が繰り返してしまうのは、子育ての基準が歪んでしまうから、の他に「虐待した親に自分を投影して、我が子に暴力を振るうことで小さな頃の自分を救っている」側面があるのかなーと思っています。

自分は虐待親だから、殴られてるのは自分じゃなかった。だって今殴っているのは自分で、殴られてるのは子どもなんだから。そうやって自分の中の子ども(インナーチャイルド的な存在)を慰めているのかも。

一方で、自分がされたかったことを他人にする人っていますよね。親が共働きで淋しかったから、自分が親になったら専業主婦になりたい。子どもに淋しい思いをさせたくない。
または、辛い思いをしてきたから、他人にはそう思わせたくない。

虐待の連鎖を止めて、自分が与えられなかったものを与えられるようになることでも、昔の自分(インナーチャイルド)を助けられるのではないかな。

辛い気持ちのまま生きてきた人は心が荒んでしまいがちだけど、それを乗り越えて他人に与えるのは、結局自分のためでもあるんですよね。

「情けは人の為ならず」って感じです。

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