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大学で教育学・心理学・考古学を学んだ私がその知識の鮮明さに驚いた本『症例A』


『症例A』多島斗志之 角川文庫


前書き

この本を手に取ったのは、大学の終わりごろだったと思います。私は教育学専攻でしたが、卒業後の進路として臨床心理士も視野にいれていたため、心理学はほとんどすべての講義を受けていました。

また、ゼミは考古学。その両方の内容が混ざり合い、編み込まれて、本当に現実にこの医師が、この患者が、この心理士が存在しそうな感覚になりました。

小説を手に取ったはずなのに、まるで心理学と考古学の文献資料を読んでレポートに備えている時のような、不思議な感覚に包まれたものです。

あれから十数年。著者のことを調べると、消息不明になっているようです。失明を理由に「もう書けない」と家族にこぼしていたそうで、メモを残し、今もまだ見つかっていません。

もっともっと多島氏の素晴らしい作品を読みたかった。そう思うと同時に、魂のこもった本書の衝撃。物書きをしている自分自身の性。色々な気持ちがないまぜになります。

あらすじ

『症例A』より

精神科医の榊は美貌の十七歳の少女・亜左美を患者として持つことになった。亜左美は敏感に周囲の人間関係を読み取り、治療スタッフの心理をズタズタに振りまわす。榊は「境界例」との疑いを強め、厳しい姿勢で対処しようと決めた。しかし、女性臨床心理士である広瀬は「解離性同一性障害(DID)」の可能性を指摘し、榊と対立する。

一歩先も見えない暗闇の中、広瀬を通して衝撃の事実が知らされる…。正常と異常の境界とは、<治す>ということとはどういうことなのか?七年の歳月をかけて、かつてない繊細さで描きだす、魂たちのささやき。

私がホラーやサスペンス作品に求めているものとは何か?!

主人公は最初、精神科医の榊という男性医師です。精神科医ですが、現場では臨床心理士や看護師などとチームを組んで働きます。

また、発売日は2003年1月23日。

主人公が医師ということで、日々の診察などの様子が細かに描写されますが、病名が当時の病名で、精神分裂病(現在の統合失調症)、DID(解離性同一性障害・多重人格)、境界例(現在のBPD/境界性人格障害)と書かれています。

また、症状が細かく医師の診察のカルテとして書かれていたり、精神科医を目指す人がどのようなことを学ぶのか。精神分析医との違いや、精神科医と精神分析医のまるで文系・理系の言い争いのような軋轢。

当時、それぞれの症状や疾患に対して、処方されていた薬はどうで当時の治療法はこんな感じでとか、入院病棟ではどんな患者がいてとか、一回の診察ではどんな様子を見ているのかとか。加えて、医師同士の診療方針の違いとなど。著者がまるで精神医療の現場で働いたことがあるような、詳しさなんです。

私は心理職でも医療職でもありませんが、臨床心理士(当時)も進路の視野に入れていた私は、大学で受けられる心理学の講義はすべて受講していました。(おかげで卒業寸前までバタバタしましたが…)

その知識から、これらの内容が事実であり、実際に榊という医師が存在をしたら、そして「A」という少女が患者で、榊医師の診察を受けていたら、きっとこんな風な診察になったのではないかと思えるのです。

現実と地続き。そして、その世界に招待されたことすら、読者が気づかないという巧妙で緻密。これが少なくとも私がホラーやサスペンスを読むとき、感動をしてしまう要素だと気づかされました。

さらに、途中から「考古学」の要素が出てきます。

精神科医の話なのにと思う方には少しネタバレ。榊は入院病棟もある大きな病院へ赴任してきて、亜左美と出会います。受け持ち患者は当然一人ではありません。

ある日、担当の統合失調症がかなり進行し、ほとんど呼びかけに反応を示さない患者が、患者仲間から借りた自筆の原稿用紙を「返さねば」と話します。

それは、事実であれば、現在の法律では罪に当たる内容であり、榊が赴任するすぐ前に病院の敷地内で死亡した前任医師とも関わりがあるのではないかと、榊は疑いを深めていきます。

ちょうどその頃、博物館の学芸員を名乗る女性から榊へ電話が入り、受け持ち患者の話を聞きたいとのこと。

様々な要素が結びつき、榊の過去(ある患者に対する後悔)を抉り出し、新たな決断を下す。

私は「うつ」と診断されて数年が経ちますが、3人の医師が主治医になりました。

いずれもタイプは異なり、臨床心理士を軽視し、明確に医師との関係を「上下」としている人、チームの一員として敬意を持っている人、それぞれでした。

目に見えない「心」。そして「脳」というものを扱う精神科医・心理職のぶつかり合いは、まるで西洋医学を中心にしている医師と東洋医学を主軸に漢方などを処方する医師の相違を見ているかの様です。

また、当時は(今でも?)懐疑的で、解明の進んでいなかった「DID(解離性同一性障害)」をメインテーマに据えた作品であることもまた、私をワクワクさせた要因だと思います。

何より、膨大な量の「参考資料・参考文献」の数々。そこに列挙されている本のいくつかは、やはり講義で教授から読むように勧められたものもありました。

私は今、Webライターをしていますが、現段階では趣味程度の感じで物語作品を書いています。
何かの知識や専門外の内容を調べて、それらからイメージをしたものから言葉を紡いで一つの物語として編み上げる時、多島氏のこの方法というか、感性は、意識してしまっていることの1つです。

かなり古い本ですが、世界的な名著ほど古くはないので(笑)。是非、お手に取って読まれてみてください。

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