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【社寺002】観心寺

今回の旅はここ、南海電鉄難波駅からはじまる。

南海電鉄難波駅。阪急梅田もそうだがこの“ターミナル駅”感がたまらなく好きだ。

ここから南海電鉄高野線、特急「こうや」に乗って26分、河内長野駅につく。

これに乗らなくても急行に乗れれば31分で目的地には着く。所要時間は4分しか変わらない。
私は「4分という時間」を買ったのではなく「特急こうやに乗ったという経験」を買ったのだ。

そこからさらにバスを乗り継いで10分弱だろうか、本日の目的地に到着である。

観心寺山門

高野山真言宗遺跡本山、檜尾山観心寺である。

開創は701年の役小角にまでさかのぼるものの、「観心寺」との名称を得たのは808年に空海が北斗七星を勧請してからであるそうである。

*勧請とは、本来仏教用語で、仏がこの世にとどまって衆生を救済してくれることを請願することであるが、これが転じて神仏などを他所から招いて祭ることを意味するようになった。ここでは後者の意味である。*

北斗七星を祀る寺院というのは珍しく、日本ではここ観心寺が唯一である。

境内には北斗七星にちなんだ七つの「星塚」がある

ただ、観心寺といえば、何といっても本尊の如意輪観音像であろう。
本像は典型的な密教像といわれ、弘仁・貞観期の文化を代表する仏像彫刻である。

弘仁・貞観文化についてはこちらの拙稿を参照されたい。

観心寺の如意輪観音像は(伝承としては)空海が「自ら刻んだ」ものとされ、様式も9世紀のものであることから国宝(第五号)に指定されている。

如意輪観音像は観心寺の本尊であり、年に2日、4月17日・18日(日付固定)の開帳時のみ公開される。その際は朝から整理券が配布され、一定の人数ごとの入れ替え制で、ご住職の法話と拝観がセットになっている。

本尊を安置する金堂。1334年再建とされ、折衷様の代表として受験日本史にも登場する。

さて、個人的なおすすめとしては、本尊はもちろんだが、霊宝館に足を運んでいただきたい。ここは拝観料のみ(追加料金なし)で入場できる。

霊宝館は平安時代の仏像彫刻の宝庫で、その多様さから観心寺の繁栄ぶりもうかがうことができるのだが、そのなかに、本尊如意輪観音像の「試作品」とされた木像彫刻がある。

実際は「平安時代後期」とされているが、像高約60センチのこの「試作品」は、本尊が年に2日のみ公開されるのに対して年間を通してみることができ、また「試作品」ならではの素朴さも感じることができる。さらに(霊宝館に展示されている仏像彫刻全体に言えるが)至近距離で(正面からのみだが)細部まで見ることができる。

私が観心寺に足を運ぶときは、必ずこの「試作」の如意輪観音に会いに行く。管見の限りではネット上では写真を見ることができなかったので(そりゃそうか)、本尊と合わせてこちらもご覧いただきたい。

観心寺といえば、楠木正成、南朝ゆかりの寺院としても知られている。

「大楠公」、楠木正成のことである

楠木正成については観心寺の中院が菩提寺であったとか、8歳から15歳まで学んだなどとされ、さらに後醍醐天皇の命を受けて金堂の再建の奉行として尽力したことが観心寺の公式HPに記されている。また境内には首塚もある。

楠木正成の首塚から少し戻ると、そこからさらに長い石段が始まっている。
後醍醐天皇の子である後村上天皇の陵墓につづく石段だ。

後村上天皇檜尾稜へつづく石段

観心寺は本尊開帳の時こそ大混雑するが、その他の平日にいけば比較的落ち着いて境内をまわることができる。

平安仏の魅力に触れたい方、南朝関係者の足跡をたどりたい方、山岳寺院のなかで自然に触れてリフレッシュした方はぜひ足を運んでほしい。

五大にみな響きあり、十界に言語を具す、
六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり。

空海『声字実相義』

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