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何もしなくても価値ある自分

よく

前向きでポジティブな言葉として

語られている事なのだけれど



人生の時間には限りがあるから

一日も無駄にしてはいけない

今が一番若いのだから・・・という

フレーズがあるけれど


私自身も

若いころは

その様な言葉に自分を重ねながら

日々過ごしていたと思うの


でも

年を重ね

人生の代謝も緩やかになって

心身の変化などを体験するうちに


その強いポジティブシンキングが

心の負担になってゆくのを感じる事が

幾度もあって

今は

新たな価値観で

過ごすようになったの


確かに

人生の時間は

限られたものではあるけれど


何もしない日があってもよいし


何もしていないように映る日も

心身を休め充電していると思うの


そんな時間が

長い人生には絶対的に

必要な時間だと

思っているの

若いころは

何もしない事に

不必要に

持つ必要のない

罪悪感のようなものを感じていて

忙しくしている事が

充実している事だと

思い込んでいたのだけれど


よーく考えてみると

そのほとんどが

思い出せないような

予定ばかりで

それほど印象には残らない事で

予定を埋めていた

だけだったんじゃないかなって

感じているの


心身のご機嫌に

寄り添い過ごすようになってからは

無理をしなくなって

予定表を埋める事もなくなって


本当に心惹かれた時間だけが

今の私の人生に

光を与えてくれているの


社会の中では

生産性や効率的な事が

求められているけれど

個人の人生を見つめる時には

損得や意味があるかどうかなど

考える必要はなく


ただ

ただ

楽しいとか

面白いという

心の動きを大切に

過ごしていたいなって

思っているの


自分らしくなればなるほど


自分に繋がる人や環境なども

大きく変わって


孤独を感じたり


時には

自分は間違った選択をしているのかな?

など

不安になったりもしたのだけれど


こんな風に

慣れ親しんだ

自分の周りが変化してゆく事が

怖くて

いつも周りに合わせてばかりで

自分を大事にできていなかったのかなって

思うの


不思議なもので

開いたスペースにはちゃんと

また

新たなご縁や出来事が

運ばれてくるものだと思うの



自分らしくいる事は

誰からも好意的に思われない事も

多々あるけれど


本当の姿でいなければ

心から繋がるご縁は

できないと思うの


過去の自分は

人に愛されたいと

少し無理をしすぎてしまったから


周りにも偽りの自分を

本当の私だと

誤解をさせてしまっていたと思うの


自分を知れば知るほど

私はたぶん

横並びの関係を

上手に整えられないタイプなんじゃないかなって

感じるようになったの


そんな自分を責めるのではなく

そういう個性を

自分が秘めている事を受け止めて


どんな個性を持っていても

幸せに過ごせる方法を

私がわたしのために

考えてあげればいいんじゃないかなって

考えているの


今までの歩みで学習した事にこだわらず

想像もしなかった

楽しく幸せに過ごせている世界線が

クロスする日を楽しみに

無理せず

自分らしく過ごせる練習をしなくっちゃ(笑)













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