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2023.4.16 零戦の名前の意味

今回は、『皇紀』について、ご紹介したいと思います。

『皇紀』とは、日本の紀元を指す言葉です。

『古事記』や『日本書紀』に登場する神武天皇即位の年を元年として起算したものですが、現在は『西暦』が使われています。

しかし、なぜ、現代の日本は自国の『皇紀』ではなく、キリストの誕生年を元年として数える『西暦』を使用するのでしょうか?

本記事では、このことについて少し書きていこうと思います。


昭和15年に、皇紀2600年の盛大な紀元節が行われたことを、戦前を知っている方々は思い起こすことがあるでしょう。

そして、零戦飛行機のゼロは、2600年のゼロです。

今年は皇紀2683年にあたりますが戦後、西暦に比べて、この皇紀が完全に無視されるようになりました。

皇紀元年は、西暦を660年遡る西暦紀元前660年にあたるわけですが、その意味を誰も再検討しないのは残念なことです。

西暦2023年という年代が日本にも行き渡ってしまい、令和5年という元号も二次的に使われるようになりました。

しかし、西暦元年とはキリストが生まれたと称する年代であり、人口の1%もキリスト教徒がいない日本で、まるでこの西暦が絶対であるかのように信じさせられています。

これは、ある意味では、国家にとって偽善的な事態であると言わなくてはなりません。

グローバリズムを支持する学界の人たちは、このような皇暦を探査することは、ナショナリズムの動きだと言って忌避するのでしょう。

戦後の多くの歴史家は、こういう日本の歴史を否定することが科学的だと述べ、ただ無視しているのです。

しかし、それは日本の歴史的事実を忘れさせようとする戦後の左翼による文化戦略から生まれていることを理解していません。

また、西暦を使わせることで、世界をキリスト教化するという西洋人の支配欲に従ってしまったことになります。

そんな状態に陥っても、まだキリスト教徒が1%以内しかいない頑固な日本人には、それに相応しい皇暦があるのです。

神武天皇の即位の年を紀元節として祖先が提起した以上、そこには意味があり、その意義を正すことは歴史家としては当然のことでしょう。

だからこそ、明治以後の日本人の偽善を上塗りさせてはならないのです。

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