見出し画像

2021.9.20 皇室を守った男と破滅に追い込んだ男

皆さんはこの歴史上の偉人であるこの銅像が、誰だか分かるでしょうか?

英雄と謳われる楠木正成くすのきまさしげと並んで、たった2つだけ立つ皇居内の銅像の1つになっており、戦前に発行された旧10円札で、50年間も肖像画として使われていました。
そして、戦前の歴史教科書にはこの人物が必ず登場し、聖徳太子のように日本人ならば誰もが知っており、この人物の偉業を称えて、彼の名を冠した地名が今でも日本各地に残っています。

しかし、何か不都合なことでもあるのか、戦後の教科書ではこの人物の名前すら出てきません…。

戦後GHQの教育改革によって、その存在自体が歴史の闇へと葬り去られてしまいました…。

この男がいなければ、2600年続いた皇室の伝統は、平和で豊かな共同体を築いた日本は存在せず、まるで中国のように、絶えず王朝が入れ替わる権力と腐敗の政治に支配されていたかもしれません…。

戦前までは歴史の英雄として崇められていたこの男は、一体どんな人物なのか。
今回は、その歴史を紐解いてこの人物を紹介していきたいと思います。

= * = * = * = *=

西暦769(神護景雲じんごけいうん3)年、皇室は存続の危機に瀕していた。

一人の僧侶が、万世一系の皇室を乗っ取ろうと企んでいたのだ。男の名は道鏡。

この男は、時の女帝である称徳天皇と愛人関係になることで、政治の内側に入り込むことに成功。

称徳天皇の後ろ盾を得て、道鏡は出世の階段を瞬く間に駆け上がっていく。

全く政治経験がないにもかかわらず、64歳にして『太政大臣禅師だじょうだいじんぜんじ』という現在の総理大臣のような役職に就き、65歳のときには、称徳天皇の力により、仏教界の頂点である『法王』の位にも就任。

まさにズブズブの関係であった称徳天皇と道鏡は、日本の政治を腐敗させていった。

そして、皇室を最大の危機に陥れる事件が、遂に起きた…。

日本の最高権力を欲しいままにしていた道鏡は、いつしかある野望を抱くようになっていた。

「天皇になりたい」

本来、天皇というのは、皇室の血を引く者しかなれない。民間人であった道鏡が天皇になるというのは、当然あり得ないこと。

しかし、この野望を予想だにしない方法で叶えようとしていた…。

西暦769(神護景雲じんごけいうん3)年5月、宇佐八幡宮において、このような神様からのお告げ、いわゆる御神託が出された。

<道鏡を皇位に就かせたならば天下は泰平である>

宮中は揺れた。そんなことが有り得るのか?万世一系の天皇が、ここで途絶えるのか?

この時代において、御神託は絶大な影響力を持つ。前代未聞の大事件だった。

実は、この御神託は真っ赤な嘘だった。

天皇になる野望を抱いた道鏡は、大宰府の長官であった自分の弟と共謀し、御神託を捏造させていた。

しかし、そんなことはつゆ知らず、皇統はここで終わるのだと誰もが思った。

神社からのお告げには、天皇でさえも逆らうことはできない。
この御神託に異議を申し立てる者は、誰一人としていなかった…。

唯一人の男を除いて…。

まもなく、一人の男が都を発った。
事の真相を確かめるため、あの神託が出された宇佐八幡宮へと向かっていた。

皇統を守らなければならないという使命感が、男を駆り立てた。
しかし、その足を引き返そうかと、男は何度も葛藤していた。

なぜなら、もし道鏡の嘘を暴くことになれば、道鏡や彼の支援者たちから反感を買うことは間違いないからだ。

処刑になることは免れないだろうし、もしかしたら道中で暗殺されるかもしれない…。
迷いは続く。

それでも、男は自分の正義を信じて、宇佐八幡宮へと足を進めていった。

10日ばかり歩いた後、しんと静まり返った森を抜けた先に宇佐八幡宮はあった。
男は身を洗い、髪をとき、社殿へと向かう。

拝殿前にて立礼をし、重厚な荒削りの階段をゆっくり上り、男は巫女に案内されて奥の本殿へと進んだ。

そして、静かに御神託を授けられた…。
御神託は、このような内容だった。

<我が国は開闢かいびゃくよりこの方、君臣のは定まれり。臣をって君とすることは有り得ぬ。天津日嗣あまつひつぎには必ず皇儲こうちょを立てよ。無道の人はすみやかに除け。》

以前の捏造ねつぞうされた御神託とは、まるで正反対の道鏡を天皇とすることを許さない内容だった。
男は心の中で、御神託の言葉を何度も反芻はんすうした。
これを報告すれば、きっと道鏡の悪事はすぐさま暴かれ、天皇は守られるだろう。

でも、道鏡のことだ、何をしでかすか分からない。
自分を殺すことは十分に有り得るし、最悪の場合、家族まで皆殺しにされる可能性だってある。

それでもこれを報告すべきなのか…。

男は、待ち受ける運命に苦しんだ。
いっそ、奈良の都に到着するまでに自分を殺してくれないだろうかと、錯乱するほどに追い詰められた。

自分の汗でぐっしょりと濡れた衣服を握りしめた。
何かを覚悟したかのように、男は小さく頷いた。

「ただ今、宇佐より戻りました」

西暦769(神護景雲3)年8月半ば、男は内裏だいりに参上していた。
顔を上げると、そこには左大臣、右大臣、大納言、中納言など、政治の中枢を動かす人物が勢揃いしていた。

一番段の高い席には称徳天皇、その一段下には道鏡が偉そうに座っている。

道鏡と目が合った。
しばらくのにらみ合いが続き、男は口を開いた。

「これが宇佐八幡宮から正式に貰い受けた御神託です」

男が御神託の書かれた巻物を差し出すと、その場はどよめいた。
そこには、道鏡を天皇にしてはならないと書いてあったからだ。
目線は道鏡一人に注がれていく。

道鏡の顔がどんどん引きつり、鼻息は荒くなっていく。
そして、
「こんなものは偽物だ!」
と道鏡は叫んだ。

収拾がつかなくなり、騒然とした状態でその場は解散された…。

同年9月、男はそれまで天皇に尽くして得られた名前を剥奪され、強制改名の刑により別部穢麻呂わけべのきたなまろという辱めを受けるような名前に改名。
さらに脚の腱を切られた上に、都から最も遠く離れた大隅国おおすみのくに(鹿児島県東部)へ流罪になった。
男とその家族の命が守られたことは、不幸中の幸いだった。

この報告以来、都では反道鏡の声が起こり始めた。そして、この事件の僅か1年後、道鏡は都から追放されることとなった。

そのすぐ後、男は大隅国からまた都に戻され、平安京遷都の責任者を任されるまでに大出世し、日本人ならば彼の名前を知らない人はいないほど、時代を超えて尊敬される存在となった。


こうして皇室の危機は除かれ、この時からさらに1250年、78代にわたって皇統は引き継がれ、現在126代目の 今上天皇陛下が、今も日本の中心として即位されています。

この男が決死の覚悟で守ったものは、私たちの足元で今も生きています。

しかし、現在の歴史教科書では教えられない、戦後GHQが葬り去ってしまったこの英雄の名は…

和気清麻呂わけのきよまろ

戦後、和気清麻呂という人物は、日本人にすっかり忘れ去られてしまいましたが、戦前には誰もが知る偉大な日本人として尊敬を集めていました。

事実、皇居内にたった2つしかない銅像のうち、楠木正成と並んで和気清麻呂の銅像が建てられていますし、明治初年の『検定教科書』から昭和の『国定教科書』に及ぶ何十種類もの教科書において、<つねに清麻呂のやうな心がけを>と日本人の鑑として描かれています。

そして、このような尊敬の形が最もよく表れているのは神社です。

現在の日本を形作った偉人、日本を守るために戦った英雄は、単にその功績を称えるだけでなく、神として神社におまつりするという文化が日本にはあります。

例えば、大化の改新を起こし、蘇我氏の権力暴走から天皇を守った藤原鎌足ふじわらのかまたりも武士道の先駆者として知られ、後醍醐天皇ごだいごてんのうに忠義を捧げた楠木正成や、100年以上続いた戦乱の世を収め、平和な社会の基礎を築いた徳川家康も皆、神様として神社に祀られています。

そして、和気清麻呂もその一人です。

岡山県和気郡和気町には、彼を神として祀る『和気神社』があります。もちろんこの地名も、和気清麻呂という名前が由来しています。

また、清麻呂が流罪になった先の大隅国にも彼を祀る和氣神社(鹿児島県霧島市)が建てられています。

そして、京都御所のすぐ隣には、護王神社という神社が建てられていますが、その御祭神も和気清麻呂です。
今も神社には、尊敬された人物の功績やその記憶がしっかりと残っています。

たとえ文献資料に残されていなくとも、英雄たちが神社でどのように祀られているかを見ていくと、当時の日本人が彼らをどのように評価していたのか、自ずと浮かび上がっていきます。

しかし、戦後GHQは、神道こそが日本の強さの根源にあるとして、日本人と神道との繋がりを断ち切ろうとしました。

このような思惑から出されたのが『神道指令』です。
神道や神社は徹底的に日本から排除されていきました。

<学校と神社のあいだの距離>
という教科書の文例は、『神社』という言葉を『郵便局』に置き換えられました。

<一人の少年が村の神社の前に住んでいた>
という文例は、間接的に神道に触れるところがあるという理由で削除されました。

もちろん、神武天皇を始め、皇統にまつわる歴史や伊勢神宮などの神社の歴史は、例外なく削除されました。

そしてこれらの変更は、生徒たち自ら筆を持って、真っ黒な墨で塗りつぶさなければなりませんでした。
こうした徹底的な改革の結果、日本の教科書からは神社にまつわる歴史は全て消され、それどころか『神社』という言葉すらほとんど登場しない始末。

登場するとすれば『靖国神社問題』など、日本を貶めるような表現しかないのが実情です。

しかし、ここまでのことをさせたGHQの宗教課長だったウィリアム・バンスは、神道や宗教に関する知識を全く持っていませんでした。

単に戦勝国だからという理由で、日本の神道も宗教も全然知らない人間によってこれまでの日本の歩み、日本人の歩みを教えてもらえなくなってしまいました。

先人たちが何を大切にし、何を必死に守ってきたのか、どんな思いで歴史を繋いできたのか、私たちはその歴史を受け継いでいるはずなのに、どこか遠い世界の話のように感じてしまう。

敗戦から76年、日本の歴史、私たちの歴史は、既に多くの日本人の記憶から消えつつあります。
このままで良いのでしょうか。

学者や教科書、そしてお寺でさえ、ある時代を境に主張が180度変わってしまうことがあります。
でも、神社だけはそうではありません。

神社における人物への評価、歴史に対する評価は変わることなく今に伝わっています。

神社から歴史を紐解いていき、ありのままの日本の姿を蘇らせていくことで、2600年も絶えず日本国を繋いできた先人たちを知ることができ、私たちは本当の意味で、心から日本を愛することができると思います。

GHQに抹消されてしまった数多くの日本の記憶を取り戻し、先人たちから受け継がれてきた歴史のバトンをまた次の世代に託していかなければなりません。

今回は和気清麻呂を題材に、日本に対して誇りを持ち、自分自身にも誇りを持つことができる日本人を増やしていきたい、そのような思いで書き綴りました。

〔編集後記①〕

初詣、七五三、厄払い…。

私たち日本人は、事ある毎に神社を訪れ、必死に神様にお願いをしたり、言葉通り“神頼み”をしたりします。

でも、「神社って何?」
「神社では何が祀られてる?」
「神様って何?」と聞かれると、意外に答えられない方は少なくないはずです。

神社は何を祀るのか?という観点から、
「神社とは何か」を考えてみましょう。

当てはまらない例外もありますが、神社で祀られるものは大きく3つの分類に分けられます。

1つずつ見ていきましょう。

①日本神話の神様

1つ目は、神話に登場する神様です。

これは比較的、想像しやすいかもしれません。

例えば、伊勢神宮では日本神話の最高神の天照大神あまてらすおおみかみがお祀りされています。

出雲大社には、国譲り神話に登場する神様の大国主神おおくにぬしのかみがお祀りされています。

他にも、イザナギ、イザナミ、スサノオなど、神話に登場する神様が祀られる神社は日本全国にたくさんあります。

②自然

2つ目は、自然です。

例えば、山、岩、滝など、自然に存在するものをそのままお祀りする神社です。

神道では、あらゆるところに八百万の神が宿っていると考えますが、

まさにその考え方が表れているといえるでしょう。

例えば、日本最古の神社と言われる奈良県の大神神社おおみわじんじゃでは、神社の奥にそびえる『三輪山』がお祀りする対象となっています。

あとは伊勢神宮の近くにある夫婦岩めおといわは、『岩』がお祀りされています。

③歴史上の人物

人物が神様として祀られている?
どういうこと?と思われたかもしれません。

でも、例えば日光東照宮。

ここは徳川家康を神様として、お祀りしている神社ですよね。

後は、日露戦争を勝利に導いた陸軍大将の乃木将軍も、東京の乃木神社で祀られています。

他にも、名将と謳われる楠木正成公は、神戸の湊川神社で祀られています。

全国にある『〇〇天満宮』は、全て菅原道真をお祀りする神社です。

こうして見てみると、実在した人物を神様として祀る神社は、意外にたくさんあることが分かります。

歴史上の人物が神社でお祀りされるということは、それだけ先人たちが、その人物のことを後世に伝えようとしたということです。

神社で祀られている人物から日本の歴史を捉え直すということには、大変な意義があります。

実際に人物を祀る神社から歴史を読み解いていくと、教科書の歴史では教わらない、まるで異なる日本の姿が浮き彫りとなってくるようです。

〔編集後記②〕神道指令の3つのウソ

1945年12月15日。

終戦から4ヶ月が経った日本で、GHQより『神道指令』が出されました。

一般的に神道指令とは、日本を戦争に向かわせた『国家神道』を取り除くために、政教分離をさせた政策と理解されています。

しかし、史料をたどっていくと、それとは全く異なる事実が浮かび上がってきました…。

その真実を分かりやすく解説します。

真実① 元々、神道は無害だと結論していた

アメリカでは国務省において、国家的に日本の神道を研究していました。

そこで導かれた結論は、「本来の神道は平和的なもので占領政策には無害である」というものでした。

しかし、この結論を度外視してGHQは神道指令を出したのです。

真実② 国家神道は存在しない

GHQは、諸悪の根源=『国家神道』だと断定したわけですが、そもそも『国家神道』という言葉は、戦前には全く存在しませんでした。

アメリカで、“State Shinto” という言葉で神道と軍国主義を混同した考え方が広まり、戦後になってこの概念が逆輸入する形で入ってきたようです。

実際にはない考え方が勝手に広まり、それを解体するために神道指令が出されたのです。

真実③ 神道指令は“素人”が作った

神道指令は、もちろんGHQによって作られたのですが、具体的にはウィリアム・バンスという一人の男によって起草されました。

この男は本編でも紹介したように、GHQの宗教課長を務めていた人物です。

“宗教課長”なんて、さぞ宗教に精通しているのかと思いきや、バンスは宗教にも神道にも全くの素人でした。

彼は元々、大学改革をするつもりで日本に渡ってきたにも関わらず、宗教の専門家がいないということで急遽、宗教課長のポストに就任したそうです。

それにより、国務省の方針も無視して、『国家神道』というものがあると
勝手に勘違いをして、日本が古来より守ってきた神道と日本人の結びつきが
弱められてしまったのです。

その結果…、初詣、七五三、厄払いなど神社参りの慣習はあっても、その意味を説明できる日本人は、ほとんどいなくなってしまいました。

戦前の教科書には必ず書かれていた『神武天皇』の名前は削除され、代わりに『卑弥呼』の名前がなぜか登場するようになりました。

こんなことで日本の歴史が書き換えられてしまうのは、あまりに虚しいことではないでしょうか。

あまりにずさんな神道指令によって、無残にも消されてしまった日本の歴史…。

真実の歴史をまだ知らない日本人に知ってほしい。

ありのままの日本を知り、日本を守り継いできた先人たちを知り、日本に誇りを持つことのできる人が一人でも多く増えてほしいと思います。

今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?