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2022.6.18 なぜ、大帝国は欧州に滅ぼされたか?

15世紀頃、イタリアの都市国家は劣勢を強いられていました…。
オスマン・トルコ、フランス、スペインなど、巨大な領土を統治する君主国に囲まれていました…。

なぜ劣勢になったのか?

その原因の一つは、戦争に大砲が使われるようになったことです。
この技術革新のおかげで、それまで使われてきた中世の城壁を簡単に攻略することができるようになったのです。
各国は、この大砲を量産し、軍備を増強していったのです。
しかし、イタリアの都市国家は、この開発競争に出遅れました。
なぜか?

イタリアは、大砲を造るための大量の金属が手に入らなかったからです…。
当時は、まだ陸上輸送が発達しておらず、大砲の製造は鉱山の近くで行われていました。
しかし、イタリアの場合、地理的に原料産地は遠い場所にありました。
そのため、大砲という高コストの新兵器を導入できる大国が台頭する中、イタリアは大砲を製造できず、小さな都市国家は弱体化していきました…。

「このままでは我が国が滅びてしまう」
地理的な要因で大砲という攻撃力を増強できなかったイタリアの諸国…。

そこで彼らは、『守り』を固めるしかありませんでした。
国歌の危機が、防衛力強化に国を駆り立てたのです。
これは世界的に、とても大きなターニングポイントとなります…。

まず、イタリア都市国家の王様は、配下の建築家や工兵に新たな城を造らせました。
新たな大砲の威力に抵抗するため、城壁は低く、分厚くなりました。
また、砲弾によって砕け散らないように、土と煉瓦を含む多くの材料が使われました。
さらに、色んな方向から掩護えんご射撃ができるように死角を無くすため、数学的に計算し尽くした結果、下のような多面体を組み合わせた構造物が出来上がりました…。

星型要塞 イタリア パルマノーヴァ

これらの築城には、資材だけでなく数学、工学、土木学、芸術学と言った学問など、様々な知識や技術がフルで動員されました。
こうして15世紀末、イタリア人たちは、下記的な『築城術』を開発したのです。
この要塞ができたことで、大規模な野戦軍に対しても、抵抗し続けられるようになりました。
大量の大砲を浴びせられても、城を守れるようになったのです。
「国を守らなければならない」
そうしたイタリア人たちの想いが実を結んだ瞬間でした…。
この『築城術』は非常に優秀だと評判になり、その後ヨーロッパ各地に伝わっていきました。

シカゴ大学のマクニール歴史学名誉教授はこう言います。
「これがヨーロッパの歴史において、決定的な役割を果たした」

西ヨーロッパでは、この『築城術』を使った要塞を構えたことで、争いによる損害が減っていきました。
ヨーロッパが今も小国が多く存在するのは、この『イタリア式築城術』が、小さな共同体や国家を守ってくれたからなのです…。

そして、各国では戦力が温存されるようになり、着実に力を蓄えていくことになったのです。
これが、重要な違いを生むことになります。
この後、詳しくお話します…。


ムガール帝国、モスクワ大公国、オスマン帝国…

なぜ、大帝国はヨーロッパに滅ぼされたのか?

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