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2023.1.24  明治天皇と靴

久しぶりに革靴を履いたら脹脛ふくらはぎが筋肉痛。


ベッドに横になったら足がつった。



一日の大半をパソコンの前に座って過ごしているので、明らかに運動不足。



自分の足に合わない靴を履くと靴擦れを起こしたり、外反母趾になったり、時には頭痛や耳鳴りを催すことがある。



ハイヒールを履くことの多い現代の女性は、靴に悩まされています。



実は、文明開化の華やかな鹿鳴館時代、ダンスパーティーに参加していた貴婦人たちも、履き慣れない靴には苦しんでいました。

それでも、雪駄や草履から革靴への履き替えは、西洋化への象徴となりました。

着物と洋服

令和の日本では、着物を着て通勤している人はまず見かけません。

私服を取り入れている会社もありますが、ほとんどがスーツを着ています。

服装が自由な会社に勤務していても、着物を羽織ろうとはしません。

単純に洋服の方が便利だからです。

明治に入り、欧米列強の文化が日本に押し寄せ、日本人の生活様式も西洋化していきました。

その大きな先駆けは日本の軍隊です。

軍服もフランス陸軍を見習い、革で作られた軍靴を履くようになります。

鹿鳴館の女性が、西洋の靴に悪戦苦闘したように、軍に徴兵された男性も軍靴に苦慮していました。

散髪と髷

時代は大きく変わろうとしていましたが、人間は直ぐに変化に対応できるものではありません。

明治天皇ですら散髪をすることに抵抗を示していました。

なぜなら、まげを結うことは、東アジアでは文明人の象徴と考えられていたからです。

髪を結わない人間は、夷狄の人=野蛮人だという時代精神が長らく続いていました。

また、身分の高い人間は、顔に白粉おしろいを塗り、歯にお歯黒をしていました。

1870(明治3)年になり、明治天皇が皇族と華族に対して、お歯黒を禁じられます。

しかし、それでも明治天皇は、髷だけは切り落とすことを躊躇っていました。

そのため、足下の靴から西洋化を取り入れていったのです。

ちなみに、明治天皇が御断髪なされたのは、1873(明治6)年になっての事でした。

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