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相手の価値観に合わせてみたら、なにを感じるだろう 【映像制作会社focalnaut代表 辻卓馬さん(1/3) 】

映像制作会社focalnaut代表の辻卓馬さん。カナダ映画祭ワールドプレミアはじめさまざまな賞を受賞した、短編映画『BAKEMONO』では、プロダクションマネジャー、脚本、助監督を務めています。
そんな辻さんが大切にしているのが、「本当に伝えたいこと」を探求して、それを伝えるための映像を作ること。
この想いのタネは、大学時代のフィリピンでのカルチャーショックにあったそう。一見、関係のないように見える、フィリピンでの経験と現在の映像作品。
そのつながりを紐とくべく、インタビューさせていただきました!

フィリピンに行ってなかったら、
映像の世界にはいなかった

-辻さんは、大学時代にフィリピンに行かれていたのですよね。そこで感じたことが、今されていることと、なにかつながっているのかなと想像していて。そのあたりが気になって、今日は来ました。

たぶん関係してますね。行ってなかったら、映像やってなかったと思います。

-ぜひその話を伺いたいです。

わかりました(笑)そもそも大学はスペイン語学科にはいったんです。内申点で推薦とれましたし、スペイン語圏の中南米を股に掛ける商社マンになろうと思って。でも、いまいち言語の専攻ってピンとこなくて、やんちゃな方に行っちゃったんですよね。

-やんちゃな方に(笑)

そうこうしてたら、3年生になって、就職活動っていうものがはじまって。ちょうどリクナビがはじまった時代で、就職氷河期でもあったんですけど。みんなが一斉にリクルートスーツを着て、一斉にパソコンに向かってエントリーしてるのを見て、違和感を感じたんです。

ちょうどそのときに、1つ上の先輩が、フィリピンの学校建設ボランティアに参加したっていう話を聞いて。
「辻、すごく面白かったよ」って。それで3年生の夏に、自分もそのボランティアに、2週間、行ってみることにしたんです。

(ボランティア仲間たちと)

-いやになった頃にちょうど。

そうそう、みんながわらわらっと就職活動をしているの見て、「なんじゃ、これ?」と思ってたのもあって、参加してみたんですね(笑)
それが最初でしたね、フィリピンに行ったのは。

-マニラですか?

マニラから……けっこう北の方の田舎の村でしたね。「ここ入るの?」っていう道をはいっていくと集落がある、みたいなところで。
熱帯雨林で、舗装されてない砂利道を、ジープニーっていう現地のバスに揺られて。「どこに連れていかれるんだろう?」って思いました。

-なるほど、行ってみてどうでしたか?

向こうの生活が、話には聞いていたけど、実際行くとけっこう衝撃でしてね。虫が多いとか、ものすごく暑いとか、トイレに便座がないとか。それこそカルチャーショックですよね。
湿気もすごくて。ホームステイ先で、「バスタオル、乾いたわよ」って渡されると、じめっとしてて。これがここの「乾いてる」かぁと。

あとは、ホームステイ先の家。貧しいは貧しいんですよね。日本と比べると。でも、テレビとかスピーカーとかすごく高級そうなのがあって。お金のかけるところが、ここなのかというのは、へぇって思いましたね。

(ステイ先の家)

-ホームステイ先に着いて、まずいろいろ感じたわけですね。

そう。で、活動が学校の建設だったので、毎日に工事現場に行ってたわけです。まぁ僕らができることなんて知れてるんですけど、コンクリート混ぜたりなんかして。

Jesusという名前の大工さん

-現地の人と一緒に?

現地の大工さんと一緒に過ごしていました。で、当時タバコ吸ってたので、休憩時間は、その人たちと、お互い拙い英語でやりとりしていて。
そのなかで、仲良くなった大工さんの一人が、「Jesus」って書いて、へスースっていう名前の人だったんです。

-なんだかすごい名前ですね。

ね。気のいいおじちゃんで。「タバコ交換しようよ」とか「ライター交換しよう」とか言って、仲良くなって。

その人は、子どもが6人いて、今度7人目が生まれるってことで。
「金はない。モノはお金かかるけど、子どもつくるのはタダなんだよね。No money, but I’m happy.」って言ったんです。それがわりと衝撃で。

-その発想はあまりないですね。

生まれるのはタダだけど、その後、食費とかお金はかかるわけじゃないですか。それを肌ではわかってはいるけど、他にやることがないから子どもは増えていくみたいで。
そういうことを楽しそうに話すのがすごく印象的で、最初にひっかかったところです。「大工も日雇いなんだ。これが終わったら違う仕事探すんだ」っていうのも、笑顔でしゃべってて。

-笑顔でっていうのは、苦労を見せないような?

苦労はしてたと思いますよ。でも、冗談みたいなかんじでしゃべるんですよね。
この人とは、日本に帰ってからも文通をするようになるんです。で、ある時「一番下の娘のゴッド・ファザーになって欲しい」っていう手紙がきたんです。

-ゴッド・ファザー?

調べてみたら「名付け親」みたいな意味が出てきて、気軽に受けちゃったんですよね。
そしたら、1ヶ月後に「ゴッド・ファザー、元気か? お前のゴッド・チャイルドは元気だぞ。でもお金がないんだ。助けてくれないか?」という手紙がきて。
新手のたかりかと思って、「お金を送るのは難しい」って返事したんです。

-その後はどうなったんですか?

でもやっぱり気になって、まわりの人に相談したら、そもそも「ゴッド・ファザーはゴッド・チャイルドを養わないといけない」っていうことだったということがわかって。

本当に申し訳ないことをしたと思いました。「意味もわからず、ゴッド・ファザーになるなんて言って、申し訳ない。今は自分も学生で稼いでいない身だから、難しい。ごめんなさい」って送ったんですけど、そこからは音信不通になりましたね。

彼は敬虔なカトリックだったし、すごく申し訳なくて。フィリピンが、ずっと気になる存在になったきっかけの一つです。

(写真中央がへスースさん)

案外、向こうの人と合わせてみると、
なにか感じることがあるのかな

-帰国後はどうしたんですか?

国際開発(貧困削減を含む活動の総称)の大学院への進学を決めました。フィリピンで見てきたものがあって、それにつながる仕事をできないかなと思って。

-そのときの問題意識はどんなところにあったんでしょう?

日本と比べて、経済レベルが異常に低いし、フィリピンのなかでも貧富の差がすごくあるというところですね。

へスースのこと以外でも、その2週間の間に会った人が、強盗に殺されたとか、病気で亡くなったっていう話を、帰ってきてから聞いたのもあって、日本とは状況が違うなというのを感じていたので。

生活レベルの向上とか貧困解決が、研究テーマになるのかなと思っていました。ならなかったんですけどね(笑)

-ならなかったんですね(笑)フィリピンには、大学院に入ってからも行かれたんですか?

3回行きました。フィールドワークで。スモーキーマウンテンというゴミ山のスラム街で、現地の人にインタビューしたりしました。
月給とか生活手段とか、なにをしているとき幸せですかとか。今思うとしょうもないこと聞いたなと思うんですけど。
その時は、経済レベルというより、宗教的なところでショックを受けました。

-宗教というと?

教会で神父さんとしゃべったときに、「あなたはどの神を信じているんですか?」と聞かれて。そのとは「無神論者です」と答えたんです。

でも「なにか信じているものはあるでしょ」って言われて、「あぁ、それなら、昔悪いことしたら、母親に神様が見てるよって言われたときの神なら、僕は信じてる」って答えたら、「なにはともあれ、God bless you」って言われたんですよね。

-「なにはともあれ、God bless you」ですか。

そう。そのあとに、貧しい地区に行ってインタビューをしたときも、同じ質問をされて。
インタビューが終わって、おばちゃんに「ありがとうございました」って言って去ったら、そのおばちゃんが走って駆け寄ってきて。「あなたは何教?」って聞かれたんです。

「えーと……仏教です」って言ったら、「あー、ブッダ! こういうやつね」って、きらきらってジェスチャーされて、「あ、そうです。それです」とか言ったりして(笑)

(当時のおばちゃんの「きらきら」を再現する辻さん)

-きらきら(笑)そんなイメージなんですね。

そう(笑)で、そのおばちゃんにも「ともあれ、God bless you」って言われたときに、「あ、ここでは宗教が大事なんだな」って思ったんです。
それから向こうの価値観に合わせようと思いました。

それまでは、日本人的な価値を維持するのが大事だと思ってたんです。それを見失ったら、いかんかなと思って。

でも、案外、向こうの人と話を合わせてみると、なにか感じることがあるのかなというのを、そこらへんから学びはじめました。

-なるほど、合わせる。

「God bless you」って、日本語ではあまりないと思うんですけど。「お大事に」とか「お疲れ様」とか「ありがとう」とかに近いのかな。
ともかく宗教が、日本とフィリピンで、密着度が全然違う。それを無視しちゃいかんのだなというのに、そこで気付きました。

あ、そうだ、今思い出したんですけど、その前がありました。

—その前?

フィリピンにいく1年くらい前、アメリカのサンディエゴに語学留学に行っていたんです。そこで同じクラスに、40超えたイケイケのイタリア人の女性がいて。
ディスカッションの授業で「君はどこでモラルを学んだの?」って言われたんですよね。「モラル=道徳?」って脳内変換して、「それなら学校で学んだ」って言ったら、「そうじゃなくて、神から教えてもらうモラルよ!」って、イタリア訛りの英語でたたみかけられて。
「神からのモラルなんて知らない。俺がモラルを教わったのは両親だ」って僕も言い返して、口論になったんですよね。

そのときのことを思い出して、神父さんやインタビューしたおばちゃんと話すときは、一歩ひいてみたんです。

「そんな神いないよ」って言ってたら、向こうの価値観全否定ですよね。あぶねぇと思って。

(つづく)

フィリピンで「相手の価値観に合わせてみる」ことを、するようになった辻さん。
次回はフィリピンから帰国したあと、今のお仕事である映像をはじめたきっかけについて伺います。

現地の人とうまく通じ合えない、帰国後に日本の人に現地で感じたことを共有できない……などカルチャーショックにありがちな、「伝わらない」という悩みを乗り越えるヒントになりそうなお話です!


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