パンの話

小麦粉を練って焼いたパンだと思ってくれたひと、ごめん。
今回はそのパンの話じゃない。

ギリシャ神話の神に『パン』がいる。
パーンとか、アイギパーンとも言われたりしていて、これは黄道十二星座の山羊座のモチーフとなった神だ。
パンは羊飼いと羊の群れを監視するヤギ頭の神だそうで、意訳して『牧神』とも称されている。
ちなみに私は山羊座だ。

山羊座に関連するギリシャ神話では、神々の宴会中に突如現れた怪物テュポンから皆が動物に変身して逃げ出したうち、恐慌のあまり上半身はヤギ、下半身は魚という中途半端な格好になってしまったパンが、ゼウスによって星座にされたのだという。
山羊座のイラストで、ヤギと魚のハーフ&ハーフのような生き物が描かれるのはこのためである。
「神々が宴会をしていると、怪物テュポンが現れました」のくだりで始まる星座系ギリシャ神話はいくつかあり、その中のひとつには魚座があるが、あちらは逃げる際にはぐれないように尾をリボンで結んだ親子の魚(神)の姿だというのだから、山羊座にももう少し何か格好いいエピソードがあればよかったのに、と思わないこともない。

さて、この牧神パンに名前を由来しているものに『パンの会』がある。
これは日本の明治時代末期に行われた、青年文芸・美術家の懇談会の名前だ。
パンは牧神であると同時に、享楽の神ともされている。
日本にもフランスのカフェのように、芸術家が集まって芸術を語り合う場が必要であると、隅田川をパリのセーヌに見立てて河畔の料理店に集まって宴を開いた。
反自然主義、耽美的傾向の新しい芸術運動の場となって、1908年末から約5年ほど続いたそうである。
酒好きが集まったどんちゃん騒ぎになることもあったようで、社会主義的な集まりと誤解した刑事が何人も様子を見に来たとかいうエピソードもあるから面白い。
このパンの会には、私の敬愛する詩人・北原白秋も初期から参加していた。


パンは「全て」を意味する接頭語Pan(汎)の語源となったともいわれているが、このPanを冠しているのがPansexualパンセクシャル、全性愛だ。
略してパンセクと言われることもある。
日常的に使われる語ではないので簡単に解説を入れると、好きになるにあたって相手の性別・性的指向は条件ではない、というセクシャリティだ。
「全て」という語を入れて言い換えると、全ての性別・性的指向を好きになる、ということになる。

ちなみに全性愛と書くと「誰のことも好きになる、今そこですれ違った見知らぬ誰かでも」という微妙な誤解を招きそうなのだが、そうではないことはここに明記しておく。
好きになる条件に性別が含まれないというだけであって、惚れっぽいとか性的に奔放とかいう意味は持っていない。
また、ちょっと似ていてわりと聞くことも多いバイセクシャル(両性愛)と何が違うかというと、バイセクシャルは男性もしくは女性が好きになるという意味を持っている。
このとき、性別は好きになる条件に含まれているし、男性女性以外の性別は対象ではない(男性と女性に限られている)。

なんで牧神パンの話に絡めてパンセクシャルの話を出してきたのかというと、だって言葉が繋がっていたんです、としか言いようがないので、ひとまずそう弁明しておく。
ただ、この場で一度はパンセクシャルの話をしておこうとは思っていた。

なぜなら自分がそうだから。

私は今、女性の恋人がいる。
その前には男性と交際していた時期もあった。
過去の恋人は男性だから好きになったわけではないし、今の恋人も女性だから好きになったわけではない。
そして私には女性の友人もいるし、男性の友人知人もいないわけではない。
その友人たちはlikeの意味では好きだが、loveの意味で好きなのは今の恋人だけだ。

もし、私の恋人が「私は実は女ではなくて男なんです」と言ったところで、好きでなくなるということはない。
「男でも女でもなくて、自分の性別がわからないんです」だったとしても関係ない。
だって私は"相手の性別"を好きになったわけではない。
そのひとだから、好きになった。

セクシャリティは押し付けるものではないから、誰しもが同じであれとは思わない。
異性じゃないと好きになれないひとも、同性じゃないと好きになれないひとも、いてもいい。
ただ、カテゴライズするなら私はパンセクシャルになるのだろうなと、それだけの話だ。

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