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見習い魔女の家庭菜園

スペインの港町に引っ越して来て、まず初めに魔女修行に選んだ1つが「家庭菜園」だった。私にとって家庭菜園は、祖父母との思い出そのものである。

東北の「ど」が付くほどの田舎で育った私はいつも新鮮な野菜とお米を食べる事ができた。母方の実家が農家だったので、常に旬の野菜とお米が供給されていたからである。

祖父母は、徒歩10分の距離に住んでいた。

日本の実家の風景

私には、「おじいちゃん」と呼べる人は母方の祖父1人だけで、父方の方は私が生まれた頃には既に他界していた。

このおじいちゃんは、余計な事は一切話さない。一見、実直で真面目に見えるが、お酒が入ると歌って踊ってしまう人だった。
毎日、その日採れた野菜や山菜を持って夕方4時頃になるとやって来る。
私が日本酒1杯とおつまみを出すとごろんと横になって相撲を見はじめる。そして相撲が終わると帰って行くのだ。これが祖父の日課だった。

おじいちゃんとは正反対に、良くしゃべり、良く笑い、よく食べ、「私バカよねー、おバカさんよねー」とよくこのフレーズをくり返し歌っていたおばあちゃん。戦時中に生まれ、ろくな教育も受けられない中で育ったそうで、「字」が読めなかった。もちろん書くことも出来なかった。
サボテンを「シャボテン」と呼び、こよなく愛していて、おばあちゃん家の縁側にはでっかいのから小さいのまで、沢山の種類のサボテンの鉢がずらりと並んでいた。何より植物と会話が出来る特殊能力の持ち主だった。

おじいちゃんが、畑を耕し、土を盛り、真っ直ぐな畝を作る。寸分の狂いもなく、等間隔で場所を決め、2人で苗を植え付けていく。
おばあちゃんが、そこに生えてくる雑草を黙々ととり、野菜と会話をしながら肥料や水を与えるタイミングを見計らう。2人の絶妙なコンビネーションによって作られていた。

彼らの作業をたまに手伝ったりしたこともあるが、自分で1から作るのは初めてだった。

荒れ地だった畑

いつも私の後を付いてきては、一緒にやりたがる夫も巻き込んだ。

初心者の私達は、町から使用していない畑の一角を借り、耕すところから始めることにした。当時は町の職員が定期的に畑に来て、野菜づくりを教えてくれたり、肥料や野菜の苗まで無料で提供してくれたので、初心者だった私達はラッキーだった。とはいえ、畑を耕すのは重労働だった。

まずは、草むしりからスタートした畑作り。ご近所さんが草を刈ったり、機械で耕したりと手伝ってくれたが、普段から運動不足だった私達にはキツかった。翌日には、全身が筋肉痛になり2人ともロボットのような怪しい動きをする日が2日ほど続いた。

草を除去した後も、堆肥を入れ、土をならしていく。次から次と出てくる石を拾っては避けていく。
いよいよ畝作りまできても、なかなか上手く土を盛ることができない。盛った所から崩れていく。この作業を先に上手くこなし始めたのは夫だった。割りと上手に畝を作ってくれた。

近所の猫

この猫さん、私が畑仕事をしていると、ふらふらとやって来るのだ。悪戦苦闘する私の近くにやってきては、ごろんと横になって、伸びをくり返しながら右へ左へとストレッチ。ついには気持ちよさそうに寝始めるのだ。人の気も知らないで、いい気なもんだ。

1年目の畑

「草むしりを始めると、最後まで止められなくてねー」と言っていた、おばあちゃんの気持ちも分かった。草むしりの最中は、鳥の鳴き声がBGMになり、雑念を忘れ集中できるのである。この時間がとても好きだ。そして、終わった後に振り返り、雑草がなくなった畝を見ると、気持ちがとてもスッキリするのだ。達成感のような気持ちで心が満たされていくのである。

1年目で収穫した野菜

奮闘しながらも、収穫にこぎつけた1年目。
採れたての野菜は、味が濃くて、香りも強い。ほんのり土の香りもする。

スーパーの野菜は、たいてい熟する前に収穫され、きれいに洗われて出荷される。配送や店での陳列期間を考えるとどうしてもそうせざるを得ないのだ。家庭菜園は、野菜の形も揃っていなくて良いし、洗わない方が日持ちする野菜が多い。何より一番美味しいタイミングで食べられる事こそ最大のメリットだと思う。

都会育ちの夫が、初めて収穫した人参を食べた時、目をまんまるにして「美味しい」と言った。その先は、もう何も言わなくても顔を見れば分かる。

夫は野菜の好き嫌いが激しかった。食べられる野菜を片手で数える事が出来た。しかし、夫は変わった。家庭菜園を通して、作ることの大変さ、そして採れたての美味しさを知り、今では何より収穫を楽しみにして待つまでになった。夫の食育が成功したのである。

日本野菜がなかなか手に入らないからと、気軽に始めた家庭菜園だったが、夫の食育の他にも副産物を得ることができた。

都心で暮らす家族や友人へお裾分けをしたら、とても喜んでくれた。お金を払うから野菜を作ってくれないかとまで言われた。それだけ、スーパーで売っている野菜とは全く味が異なるのである。

私達の野菜を待ってくれている人達が出来た。

食べきれない野菜をお裾分けした事から始まったご近所づきあいもある。

当初の目的だった日本の野菜も手に入るようになった。そして、いつからか「私達の野菜を待ってくれている人たちの為に作る」に目的が変わっていた。

田舎の風景

まだまだ種を植えても発芽しなかったり、途中で病気にやられてしまったり、先に虫に食べられてしまったり、なかなか上手くいくことばかりではない。だが、祖父母が私達にしてくれていたように、美味しいと言ってくれる人がいる限り、家庭菜園の修行は続くのである。

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