自転車で訪ねる式内社、140字の古社巡礼
「延喜式」に掲載されている式内社をタイヤの太いFATBIKEという自転車で訪ねています🚲 2020年1月より140文字で巡拝記を書き始めました。 ・2020年12月6日〜(note版) ・2019年7月23日〜2020年12月5日(HatenaBlog版) ・〜2019年7月22日(livedoorBlog版)
舟津神社の背後、サンドーム福井を眺める王山の頂に所狭しと並ぶ方形周溝墓や小円墳。被葬者たちの墓所と景色のよさは関係がありそう。麓に鎮座する舟津神社を下宮、合祀さ…
電車で読んだ山本周五郎の小説に「府中」と呼ばれたころの武生が登場。ペダルを漕いで神社へ向かう途中、並び建つ寺院に沿った河濯川はまるで堀割り。もしかして「府中」時…
鳥居も名号碑もないその神社の名は「酒列」と書いて「サカツラ」と読む。隣家の女性にあいさつし呼んで下さったご主人に教えを請うた。建物は新しいが神社自体は平安時代か…
離れた場所から見ると、前方の田んぼに写る森はまるで小島みたい。入口には「總社大神宮」とともに「天御布須麻神社」「長岡神社」「八幡神社」の三社の社名刻む社号碑が立…
兄子神社の論社とされる神社は日野川以東二社、以西一社。「西」の越前市安戸町の神社は東の二社と比べ遠く越前海岸まで10km。また唯一「兄子」を名乗る。民家脇の石段で後…
今立郡・鵜甘神社からペダル漕いで十分、ほぼ北側の丹生郡・麻気神社に到着。神社の位置関係に疑念を持つも、Wikipediaを見たら平安時代、丹生郡から日野川以東が分立し今…
境内に入ると鳥居と拝殿の間に小さな登り口。登ってみると頂きには奥宮と思われる社が鎮座するもひどく朽ちている。一方、眺めはよく「越前富士」と呼ばれる日野山と武生の…
「神社覈録」に「兄子は世古と訓べし」とあるように、社名「兄子」は「セコ」とも読むらしい。そのため今庄町瀬戸の白山神社が論社とされたようだが、現地名は「セト」。鳥…
地図では分かりにくいが、幟を立てる背の高いポールのおかげで神社の場所は遠くからでもすぐ分かる。鳥居の向こうは森閑としていて、石段を上がり境内に入ると聞こえるのは…
上味見川を渡り背の高い杉木立ちの森へ。山ひとつ越えれば越前大野という山間の地に阿弥陀如来坐像はじめ仏像神像等文化財多数。中世、当地を支配した伊自良氏が高い文化を…
神社に向かおうと真名川にかかる橋を渡るが激しい雪でホワイトアウトに近い状態。神社は山と集落の境に位置しスギの木立ちに葉を落としたケヤキが混じる。かつて荒島岳の四…
杉木立ちのなかを境内へ。前夜の積雪に追い討ちをかけるように大粒の雪が降ってきた。石垣上、拝殿の雪よけ幕は大雪を予想したみたい。教育委員会の説明に境内は元春日山城…
参拝を済ませ境内を歩いていると、茂みからキジが慌てた様子で逃げていった。その後も鳴き声は近くに聞こえていたので遠くへは行ってないみたい。境内からはどの方向を向い…
大野城の南、山の麓に鎮座する清瀧神社へ。雪を被った拝殿と奥に上がり本殿を参る。大野郡九座中、唯一、社名に郡名が入る國生大野神社は一体どこ? 横に並ぶ境内社を見て…
晴天にも関わらず社叢の木々で陽光阻まれ薄暗い境内。鳥居をくぐり雪を踏み越えて正面の拝殿へ。名号碑は春日神社だが拝殿の扁額には「不動明王」の文字。神仏習合の名残だ…
広々とした田んぼの向こう端の山の麓に神社は鎮座する。背後の山とは明らかに異なる社叢の木々。その奥の冠雪した山並みは雨とともに霞のなかへ。境内に近づくと不思議なこ…
2024年5月12日 20:07
舟津神社の背後、サンドーム福井を眺める王山の頂に所狭しと並ぶ方形周溝墓や小円墳。被葬者たちの墓所と景色のよさは関係がありそう。麓に鎮座する舟津神社を下宮、合祀された大山御板神社を上宮と呼んだというが、所属郡が違う社同士を合祀とは。写真は福井県越前市。
2024年5月10日 09:48
電車で読んだ山本周五郎の小説に「府中」と呼ばれたころの武生が登場。ペダルを漕いで神社へ向かう途中、並び建つ寺院に沿った河濯川はまるで堀割り。もしかして「府中」時代の面影? 市街地に鎮座。四月半ばの境内はサクラが見事。入口鳥居横は満開で見ごろを迎えていた。写真は福井県越前市。
2024年5月9日 11:15
鳥居も名号碑もないその神社の名は「酒列」と書いて「サカツラ」と読む。隣家の女性にあいさつし呼んで下さったご主人に教えを請うた。建物は新しいが神社自体は平安時代からあるとか...なぜ麻気神社の論社かといえば「麻気」をマキと読み牧町にある神社だから、という理由。写真は福井県越前市。
2024年4月28日 08:22
離れた場所から見ると、前方の田んぼに写る森はまるで小島みたい。入口には「總社大神宮」とともに「天御布須麻神社」「長岡神社」「八幡神社」の三社の社名刻む社号碑が立つ。一ノ鳥居から二ノ鳥居の間の空間は運動場のような広さだ。その奥には総社の名に恥じない巨大な森。写真は福井県越前町。
2024年4月26日 10:36
兄子神社の論社とされる神社は日野川以東二社、以西一社。「西」の越前市安戸町の神社は東の二社と比べ遠く越前海岸まで10km。また唯一「兄子」を名乗る。民家脇の石段で後背の丘へ上がると石垣上の狛犬と木造拝殿がたたずむ境内に出た。聞こえる音は川の流れと鳥のさえずり。写真は福井県越前市。
2024年4月20日 10:34
今立郡・鵜甘神社からペダル漕いで十分、ほぼ北側の丹生郡・麻気神社に到着。神社の位置関係に疑念を持つも、Wikipediaを見たら平安時代、丹生郡から日野川以東が分立し今立郡となったという。確かに両社とも日野川から近い。流路変更などで郡域が変わった可能性もありだな。写真は福井県南越前町。
2024年4月19日 11:20
境内に入ると鳥居と拝殿の間に小さな登り口。登ってみると頂きには奥宮と思われる社が鎮座するもひどく朽ちている。一方、眺めはよく「越前富士」と呼ばれる日野山と武生の町並みを一望。雨夜神社の論社というが、社号碑は岡太神社で鳥居の扁額は白山神社という不思議な神社。写真は福井県越前市。
2024年4月18日 10:44
「神社覈録」に「兄子は世古と訓べし」とあるように、社名「兄子」は「セコ」とも読むらしい。そのため今庄町瀬戸の白山神社が論社とされたようだが、現地名は「セト」。鳥居くぐると拝殿奥、丘の頂きに奥宮のような社。そこへ至る石段に隣接して墓地。越前の生きた神仏習合。写真は福井県南越前町。
2024年4月17日 11:21
地図では分かりにくいが、幟を立てる背の高いポールのおかげで神社の場所は遠くからでもすぐ分かる。鳥居の向こうは森閑としていて、石段を上がり境内に入ると聞こえるのは鳥のさえずりと足羽川の流れ。樺八幡社同様論社だが由緒書なく、八幡神社ということ以外は分からず残念。写真は福井県福井市。
2024年4月14日 16:19
上味見川を渡り背の高い杉木立ちの森へ。山ひとつ越えれば越前大野という山間の地に阿弥陀如来坐像はじめ仏像神像等文化財多数。中世、当地を支配した伊自良氏が高い文化を育んだと略記にある。樹間を抜ける風がとても心地よい。帰路、国道のスノーシェルター上にカモシカ目撃。写真は福井県福井市。
2024年4月12日 10:14
神社に向かおうと真名川にかかる橋を渡るが激しい雪でホワイトアウトに近い状態。神社は山と集落の境に位置しスギの木立ちに葉を落としたケヤキが混じる。かつて荒島岳の四合目に鎮座していたそうだ。初めて経験する奥越の大雪。登拝なんてとんでもない、麓の神社でよかった。写真は福井県大野市。
2024年4月11日 11:15
杉木立ちのなかを境内へ。前夜の積雪に追い討ちをかけるように大粒の雪が降ってきた。石垣上、拝殿の雪よけ幕は大雪を予想したみたい。教育委員会の説明に境内は元春日山城址。大野郡には社名に「磐座」を冠する神社が三座あるも実際に磐座を目にすることはなかったなぁ。写真は福井県大野市。
2024年4月6日 18:19
参拝を済ませ境内を歩いていると、茂みからキジが慌てた様子で逃げていった。その後も鳴き声は近くに聞こえていたので遠くへは行ってないみたい。境内からはどの方向を向いても雪をいただいた山並み。大野らしい風景だ。隅っこには三、四、五、六斗の重石が並ぶ。力石か。写真は福井県大野市。
2024年4月5日 09:32
大野城の南、山の麓に鎮座する清瀧神社へ。雪を被った拝殿と奥に上がり本殿を参る。大野郡九座中、唯一、社名に郡名が入る國生大野神社は一体どこ? 横に並ぶ境内社を見ていくがそこに名前はない。ようやく見つけたのは由緒のなか。合祀社に「式内国生大野神社」の文字。写真は福井県大野市。
2024年4月4日 13:19
晴天にも関わらず社叢の木々で陽光阻まれ薄暗い境内。鳥居をくぐり雪を踏み越えて正面の拝殿へ。名号碑は春日神社だが拝殿の扁額には「不動明王」の文字。神仏習合の名残だろうか。四方を山が囲む奥越ならではかもしれない。本殿左手には盛り土or磐座上に鎮座する不思議な祠。写真は福井県大野市。
2024年3月31日 16:52
広々とした田んぼの向こう端の山の麓に神社は鎮座する。背後の山とは明らかに異なる社叢の木々。その奥の冠雪した山並みは雨とともに霞のなかへ。境内に近づくと不思議なことに名号碑、常夜灯、狛犬にはブルーシートが被せてある。雪害対策? ちなみに大野市は特別豪雪地帯。写真は福井県大野市。