なぜ魔法使いステッキを買ったのが大失敗だったか

少し前、100均の可愛い魔法のステッキを買った。
娘の好きな、ハート、ピンク、キラキラの三点セットがついている。
おまけにスイッチを押すと、「きらきらきらーぁん✨」と鳴って、ハートが光る。
当然娘(2歳)は大喜びで、帰ってから何度も「きらきらきらーぁん✨」と鳴らしては嬉しそうにしていた。

それが、なんで大失敗だと思っているのか。
喜んでるんだからいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。
理由を説明するには、まずそれを買うにあたっての経緯から話さなければいけない。

娘が魔法使いに目覚めたのは、しまじろうの映画や、愛すべきEテレからだ。誰が、という特定なキャラではなく、魔法使いや魔女がでてくると食い入るように見ていた。
そして、ほどなくして、娘は魔法を使うようになった。
魔法の言葉はなぜか「ミルミル・エイっ!!」か、「リンガリンガ・ブー!」。どこから来た言葉なのか母はわからない。しまじろうかなとも思うが、娘のテレビタイムは母の家事タイムなので、確認しそびれた。が、「ミルミル・エイっ」はオリジナルであるような気がする。

そして、

その時の彼女の魔法のステッキが、

積み木

だったのだ。

円柱か長方体の上に、立方体を重ねた積み木。色が塗られたシンプルな木の積み木。置いたらこけしの姿かたち。

もちろん、直方体と立方体の積み木は重ねただけでブロックのようにくっつけられる訳ではないので、接続部分を手で押さえながらのぶん回し技となる。
全身で回すような感じになる。

なぜかそれが、彼女の中でそれがスタンダードになり、他の棒系のものには目もくれず、魔法をかけたいときは、その積み木を持ってきて言った。

「ミルミル・エイっ!!」
「リンガリンガ・ブー!!」

カッコいいポーズもなく、ちょっとやりにくそうだなぁと思いつつ、まぁ、それもそれで面白いかと見ていたのだが……。

数週間後、見つけてしまったのだ。
いつも行く100均で。
もともとおもちゃは買うつもりなかったのだが、そのコーナーにへばりついて離れない娘は、これ買う!こっち買う!と、次々と、私にプレゼンしていった。そのうちに、こちらもなにも買わないのもなぁと思えてきて、
うちになくて年齢相応のもの、しかも母もちょっとときめく魔法使いグッズ。娘も好きそう。100均にしては「きらきらきらーぁん✨」と音も鳴るし光るし、クオリティ高い!魔法のステッキが目に入った。
娘の喜ぶ顔見たさに、じゃあこれならどう?と提案し、満場一致で連れて帰ったきらきらきらーぁん✨のステッキ。

その日何度もスイッチを押しては
「きらきらきらーぁん✨」
と光るステッキに夢中の娘。夫は「良いのあったじゃん」と目を細めて娘をみる。
娘、可愛いなぁとほほえましい。そんな風に初日は終わった。

数日後、私は大失敗したことに気づいた。

この日を境に彼女のオリジナル魔法
「ミルミル・エイっ!」

「リンガリンガ・ブー!」

見事に消失してしまったのだ。
あの、こけしフォルムの魔法ステッキも。

それどころか、新しいステッキで魔法をかけようとした瞬間、我にかえってスイッチを探し「きらきらきらーぁん✨」の音と光に目を奪われ、そこで彼女の中の物語が終わった瞬間が何度もあった。

ごっこ遊びは、リアルな方がより楽しい。
そう、疑いもなく思ってたのに。
より可愛い方が盛り上がり、
分かりやすい魔法のステッキが物語を彩ってくれる、そう信じていた。

でも、そんなのはつまらないものだったんだ。

娘は、超主観のなかで最善のステッキを自分で見つけていたのだ。手で押さえていても、こけしでも、彼女にとっては本当の魔法のステッキだったのだ。
それで良かったんだ。
たった二年半くらいの経験と知識を駆使して、自分で考え作り出した、魔法。
それが、良かったんだ。

彼女のオリジナリティを潰してしまったと思った。

「小さい子のおもちゃは、汎用性の高いものがいいですよ」と、私は保育士時代、お母さんたちの前で講義したことがある。
積み木はなんにでもなる。
大人はつい、積み上げて家とかなにか形を作ってしまうが、
実はご飯にもなるし、魔法のステッキにもなる。その子が自由に決めていいし、大人の方も遊び方ががっちり決まったおもちゃに比べて、間違った使い方をしている、と思わなくてすむ。

その子が四角くても、人参だと思えば人参だし、アイスクリームだと思えば、アイスクリームになるのだ。

そこには想像する余白がある。

四角い立方体が、バナナアイスにも、チョコミントにも、からーいアイスにも、時には熱いアイスにもなる。
市販のアイス屋さんができる玩具は楽しいけれど、チョコミントの柄のアイスは決して辛い唐辛子アイスにはならない。

それと同じで「きらきらきらーぁん✨」と、鳴って光るステッキは、「ミルミル・エイっ!」という魔法にならない。
音がやらないからこそ、音を作り出し、光らないからこそ、彼女の想像のなかではもっと光輝いていたかもしれない。

私は、お母さんたちの前で話までしていたのに、見た目のかわいさと、娘がステッキふったら可愛いだろうな、楽しいだろうなというだけで、深く考えずに買ってしまった。

魔法のステッキは、今現在、時々見つけては鳴らしてみるだけの暇潰し玩具になっている。

これは大失敗だ。

物が豊かにあることが、逆に遊びを妨げてしまうことがあるのだ。そこをよく考えないといけないな、反省。

今、彼女は、魔女の宅急便を見てから、長い棒になんでもまたがる。
今日は布団叩きを引っ張り出してきて、またがって歩いていた。
しかも叩く部分が前に来ている。突っ込みどころは満載だ。

でも、きっと最初の魔女だって、ほうきが身近にあったからまたがったのだ。そう思えばあながち間違ってもいない。
叩き部分が前に来てたって、彼女の魔女がそうなら良いのだ。最新モデルだ。

彼女のなかではただの段ボールが家になり、ソファーは空を飛び、パパの筒上の健康グッズが望遠鏡になり、覗いてカーテンの模様(花)の星を数える。
それは決して不自由なのではなくて。むしろ自由。

彼女の物語は、彼女が作ればいい。
彼女を、今までのセオリーに合わせるように導くのではなく、
彼女が新しい物語を作っていくのを大切にできる親にならなければなぁ。

これから先も、きっと同じようなことが形を変えてあるだろうなぁ。
無自覚に彼女の想像力をつまないように大反省。先回りせず、彼女が本当に必要だと思ったときに、手をさしのべたり買ってあげられたりするような、そんな大人でいたいなぁと思った。

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