そういえば娘だったわー!と泣けた話
娘(6歳)が久しぶりに熱を出した。
保育園に入園したての頃は良く熱を出していたけど、年中年長になってからは、ほんとに医者に行かなくなっていた。
だから油断していた。その日の夜から、娘は熱と咳で、寝込んでしまったのだ。
少し良くなってきた3日目、私が仕事に行っている間、数年ぶりに母に娘をみてもらうことになった。
夫は出張中。でも、コロナが蔓延してからは、仕事と持病のある母に頼ることは出来ないと思っていた。
それでもせめて、このワンオペを愚痴のようにラインに流すと、「何かあったら(娘)ちゃんみるから言って」との返事が帰ってきたのだった。
ああ、コロナの時代は終わったのだ。
そして、母の仕事が一段落したに違いない。
タイミングって素晴らしい。
食欲が復活した娘は、もうその日には熱も下がって元気になっていた。私は急いで職場に行った。が、どうも喉が痛い。
やばいやばいよと、内心思いながら、仕事をしていると、休みだったはずの優しい同僚が現れて、変わるから帰っていいよと言ってくれた。
ありがとう。このお礼は、いつか必ず!!
で、家に帰ったら、母が娘と楽しそうにお昼ごはんを食べていた。
娘は、すっかりばあばが大好きになり、30分に一回は「いっしょに暮らそう」と口説いていた。
ありがたい、と思ったら、眠くなってきた。
ソファに、横になるが、娘はばあばと遊ぶのに夢中で来ない。
ウトウト。
「ちょっと布団で寝てきていい?」
と聞く私。
「良いよ」とあっさり言う母。
布団に潜り込みながら、気づく。
あ、今、めちゃくちゃ気が緩んでる。
安心して涙が出るほどに。
なんでだろう。熱出て何も考えずに布団の中でひたすら寝るのって、高校生いや中学生かって感じだ。
「母」
という体調崩せない役割から、薄くて硬い殻を脱いで、
「娘」
に、戻ったみたいだ。
娘と遊んでくれるばあばであり、私を心配してくれる母の存在に安心したのだ。。
それだけ毎日、薄くて硬い「母」という殻と、仕事する人という殻の中で、気負って熱出さないように張り詰めて頑張っていたんだなぁ。頼れない。と思っていたんだなぁ。
布団の中で、こっそり泣いた。
そして、寝て起きたら、4時間くらいたっていた。
私が寝たいだけ、寝かせてくれた母。
ピンチのときは絶対わかってくれる母。
あー、私はそういえば娘だったんだなぁ。
臨床発達心理士の先生が、育児の講座でちょうど言ってたっけ。
「しつけの前に、安心できる存在があることが大事」
その人がいるから、安心して大海へ漕ぎ出せるという存在になること。何よりもまず大切なこと。
ああ、こういうことか、と、実感した。
ありがとう。
おかげでまた、頑張れそうです。
#やさしさに救われて
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