少年愛・ショタコンの成因についての一小考

かつて私は、少年愛への「分析」なるものを心底バカバカしいものだと考え、軽蔑していた。

なぜ人はー殊に成人男性はー少年愛者になるのか?等という問いかけは、犬に対して「何故人間に産まれなかったのか?」と責めるのと同じくらいに非生産的で無意味な行為であると感じていた。生まれ持った性指向を変えることなど、出来る筈がないと。

しかしながら様々な言質に触れる中で、この所考えが少しずつ変わってきている。先天的な少年愛者が多数派であるという認識は変わらずとも、その一方で後天的に少年愛を会得した人間も一定数存在するのではないかと捉え始めているのだ。以下の文章はそれらに関する愚考を取り纏めたものである。
尚、自分は男性であり、それ所以18歳以上の男性が少年に惹かれる心理ばかり考えてきたため、残念ながら女性の少年好きに関しては全く考察の範疇外である。その点はご了承頂きたい。

①性指向が固まる思春期前後に男子が多数の環境にいた者
パッと思いつく所では男子校だろうか。本来なら女性に向けられるべき欲の行き先が、たまたま身近な所にいるかわいい男の子へと向かう。彼らは基本ストレートであり、同性への恋愛感情は「機会的同性愛」に近しいと思われる。卒業し斯様な環境を抜け出した場合には、再度性指向はストレートに戻る者が多いであろう。但しこの時期に熱烈に同性男子へ嵌ってしまった者は(所謂『男の娘』チックな扱いを受けるほどかわいらしい男子がいた場合)、女性と少年の両刀使いとなる可能性がある。恐らく成人男性には殆ど無関心である。

②かつて好きだった少年への想いを捨てきれない者
特段女性と触れ合う機会が制限されていなかったにも拘らず、幼少期から少年への趣向を抱く者。本質的には同性愛者であると考える。但し、社会通念上想いが成就する可能性は限りなくゼロに等しい。場合によっては、達せられなかった小中学当時の淡い恋愛感情が執念にも似た愛慕と化す。大人になっても引きずり続け、叶う筈もない「あの頃のあいつ」の幻想を追い求め少年を漁る。本質が同性愛者であるため、合法ショタで妥協できる可能性もある。

③昔の自分が好きな者
所謂「ナルシスト」チックな存在である(精神疾患としての「自己愛性パーソナリティ障害」とは異なる)。彼らは幼い頃から「かわいい」等と賞賛を受けていたかもしれない。しかし成長し背が伸び筋肉が付き、声が低くなるにつれその種の肯定的評価は減っていく。健全な人間なら妥協し大人の男としての自分を受け入れていく、ないしは「かっこよさ」を磨くだろう。しかし、整った顔立ちを維持できるのならば兎も角…身も蓋もない表現をするならばブサイクに成長した場合、特にナルシスト傾向にある者にとっては耐え難いだろう。そして100%に近い賞賛を享受できていた当時に執着し、かつての自分に近しい存在・ショタを愛でる様になるのかもしれない。

④理想的な少年時代を過ごせなかった者
ある意味、③の真逆。少年期から容姿や性格を含め周囲から称賛を受ける機会に恵まれなかった者である。家庭環境に問題があったり、子供の社会集団たる学校に馴染めなかったケースも該当すると考えられる。斯様な者は「失われた過去」を理想のショタに投影するのではないか。「この子みたいにかわいく明るい少年であったなら、自分も幸福な子供時代を過ごせたのに」と。彼らも本質的には自己愛が強い傾向にあろう。

⑤防衛的に自分を少年愛者と思い込む者
前四項にも増して不確実であるが、幼少期に性的虐待を受けた少年は成長して同様の行為に走るケースがあると聞く。物理的刺激で勃起・射精するのは仕方のないことであるが、「快感を得たのは加害者だけでなく自分にも『要素』が備わっていたからだ」と自己防衛的に考え、強迫的に少年に肉欲をぶつけるようになる…とのこと。極めて悍ましい話である。残念ながら、n=2であるが私はこのケースで少年愛者を名乗る方を知っている。勿論トラウマと闘いながらもストレートとして成長する方が大多数であろうが。

⑥性的支配欲の強い者
特に肉体的欲求において「相手を屈従させ、自分の思うがままに支配したい」ものである。やや専門的な話になるが米国精神医学会の定める「B群パーソナリティ障害」、即ち反社会性パーソナリティ障害・自己愛性パーソナリティ障害・境界性パーソナリティ障害の何れかに該当し得る者たちである。サディスティックパーソナリティ障害を併発している例も多いと考えられる。彼らは本質的には少年愛者か疑問である。支配のし易い存在として非力な少年を望むのであり、性的に支配しきれるのであれば成人男性や少女・成人女性に矛先が向かう恐れもある。

⑥を除き、①~⑤に共通するのは「過去に囚われている」点である。少年愛には先天的な要素が大きいという信念に変わりはない。しかし、それと同時に少年時代の自分・周囲への執着がショタコンを形作る要因となっていることを否定はできない。

拙稿をお読み頂き、少年愛の成因について何かしら教示頂ける方がいらっしゃれば望外の喜びである。

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