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ここは、よい街だった。きっとあの頃のわたしは、過去に残してきた自分を思って、胸がチクッとしたんだ。

改札を抜けてエスカレーターを降りていくと、不思議な既視感に襲われた。
知っている。わたし、ここ知っている。

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当時大学生のわたしはお金がなくて、この地まで高速バスを乗り継いでやってきた。新宿での接続がギリギリで走って高速バスに乗ったから、髪の毛はボサボサだし、当然スッピン眼鏡だった。
駅についてすぐ、駅ビルの2階にある化粧室へ駆け込んだ。ボサボサの髪の毛も、コンセント付きの化粧台のおかげでコテを使って真っ直ぐにすることができた。

駅ビルの外では友達の彼氏が荷物の見張り番をしていてくれて、みんなで地方鉄道に乗り換えた。

この日のわたしは、どうしようもないくらい緊張していた。大学に入るまで同じ大学の友達以外の「きこえない友達」をもったことがなかったわたしが、2泊3日「きこえない」大学生が全国から集う場に参加することになっていたのだ。

手話は読み取れるだろうか。慣れてない相手の手話は読み取れないと思う。
ろう学校とか通ったことないしな。もう、グループとかできちゃってるんじゃないかな。

案の定、この2泊3日はわたしにとって楽しい思い出にはならなかった。
予想通りもうグループが出来上がっていたし、みんなの手話がはやくて読み取れない。会ったことはなくても、ほぼみんな「友達の友達」の世界。
今ならある程度手話を読み取れるようになったし、「友達の友達」みたいな関係は増えた。「音のない世界の住人」は、社会全体で考えると少数派であって。狭い世界だ。

狭い世界で粗相をしてしまうのではないだろうか。
それに、みんなが楽しそうに話している中で、手話を読み取れないなんて恥ずかしくて言えない。

そんなことを考えると、もう、はやく帰りたくて仕方がなかった。

やっと終わった最終日。
同じ大学から参加したメンバーと足早に会場から去って長野駅に戻ってきた。
この地の思い出全部が悪いものになるのもなんだかイヤで、名物だと言われる蕎麦を食べた。一緒に帰ってくれる友達がいることはとても心強かった。でも、蕎麦の味は覚えていない。

はやくこの地を離れたかったのに、高速バスは満席で。でも、新幹線に乗る余裕もなかったわたし達は、地元にもあるファミレスで時間を潰した。馴染みの味が出てきて、どこかほっとするわたしがいた。

せっかく新しい世界を知ろうとしたのに、怖気付いて疲労感ばかりが増して帰ってきただけの旅だったような気がする。

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そんな苦い思い出のあるこの地に、社会人になって、新幹線を使ってやってきた。あのときのわたしはバスと地方鉄道の乗り場、それと駅ビルくらいしか見ていなかったけれど、改めて見てみると、日差しがキラキラと入ってくるスタイリッシュな駅舎がそこにはあった。

あのときと変わらず
駅ビルの2階にはコンセント付きの化粧室があって
駅ビルの目の前には地方鉄道の乗り場があって
ロータリーにはあのときの蕎麦屋があった。

後味が悪くてなんとなく避けていたこの地だけれども、来てみると不思議な懐かしさがこみ上げてきた。
きっとあのときの後味の悪さは、この地のせいではなくて。
過去に残してきた「音の世界にいるわたし」がそれでも「完全にきこえるようにはならないわたし」であることを認めつつ、「音のない世界」にも溶け込めず行き場を失ってしまった気持ちのやりようのなさだったのかもしれない。

だからこそ、5年経っても相変わらずコミュニケーションで悩んでいる今、この地に戻ってきてある種の「懐かしさ」を感じたのかもしれない。
今度は、「音の世界の住人」とどう一緒に仕事をしていくのか、っていう悩みだけれども。

5年経ってこの地を見てみると、駅舎はスタイリッシュだし、自然が豊か。昔からの街並みを残しつつ、街としての機能は備えていて。もしかしたらわたし、この街が好きかもしれない。
そんなことを思いながら、駅前でアイスを頬張った。寒い寒い言いながら食べたけど、心はじわっとあったかくなる。そんな不思議なアイスだった。







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