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「短編小説」追憶の残り火3「春めく日に」#春めく#あの記事の後日談






渋谷 美希が杉浦 和也に宛てた手紙



杉浦 和也様

一雨ごとに春めいて参りましたね。
お元気でいらっしゃいますでしょうか。
杉浦様、いえ和也先輩と呼ばせてください。突然、お手紙を差し上げるご無礼をどうぞお許しください。
私のことを覚えていらっしゃいますでしょうか?
もう二十数年前、先輩が高校三年生の時に絵のモデルをさせて頂いた渋谷 美希です。

あの文化祭の日、私は自分が描かれた絵の前でずっと和也先輩がいらしてくださるのを待っていました。
いいえ、勘違いなさらないでください。恨み辛みをお伝えするつもりで、この手紙を書いている訳ではありません。
待っている間さえ私は楽しかったのですから。

和也先輩が盲腸で入院していた事を知ったのは、先輩の家の梅の花が咲いていた時季でした。卒業していく美術部の先輩が忘れ物を部室に取りに来た時に、ふと話題に上って知ったのです。
そんな事情があった事も知らないで、勝手に失恋したと思っていた自分を責めました。
ええ、私は和也先輩を入学した当初からずっと好きだったのです。いい歳をして今更、初恋話しをしても始まりませんよね。
勇気を出して先輩の家を訪ねたのは、その日のうちでした。待つばかりだった恋に終止符を打とう、今度こそ先輩に自分から打ち明けよう…そう決心したのです。
先輩の家の庭で梅の花が綺麗に咲き誇り、芳しい香りが私を包みました。その時、私は縁側で楽しそうに談笑する先輩と結子先輩の姿を見てしまったのです。
今度こそ本当に失恋したのだと悟りました。私が鈍感で結子先輩の想いに気付かずに随分と酷いことをしてしまったのかもしれないと言うことも。当初は、そんな自分自身を責めました。
あれから私は高校を卒業して東京の美大に入学しました。それからその大学で出逢った現在の夫と結婚致しました。和也先輩が結子先輩とご結婚されたのも、風の噂で存じております。

和也先輩、私事で凝縮ですが、先日の健康診断で私の身体に癌が見つかりました。今、病室からこの手紙をしたためています。雨が上がったばかりで、窓から見える咲いたばかりの桜の花が水滴で輝いて、とても綺麗です。

たった一つ、私の願いを聞いては頂けないでしょうか。二十数年もの間、音沙汰がなかった女が突然何を言い出したのかとお思いでしょうね。
もし、もし、まだ私の高校生のあの絵をお持ちでしたら、一度で構いません。もう一度だけ見せて頂く訳にはいきませんか。人生の春だったあの頃の自分を胸に刻んで旅立ちたいのです。
いいえ、生きる気力にしたいのかもしれません。
私の最初で最後の願いを聞き届けて頂くわけにはいきませんか。


和也先輩の末永いお幸せを心から祈っています。


              高杉 美希(旧姓 渋谷)



三年前、編集部宛に送られてきた美希からの手紙を読んで、僕が戸惑いながら病院へ向かったのは、一週間後のことだった。春風が強い日で、僕にも僕が抱えていたキャンパスにも桜の花びらが散り際を知らせるように舞い降りた。

コンコンとドアをノックすると
「どうぞ」
小さな声の返事が返ってきた。
美希は個室に一人で、ベッドをリクライニングさせて座っていた。
「持って来たよ。君の絵」
「先輩……」
そう言ったきり彼女は顔を隠すようにうな垂れた。
「私、私…」
風呂敷を解いて、高校生だった美希の絵を両手に抱えて見せた。
「懐かしいです…」
顔を上げた美希は力なく微笑むと溢れてくる涙をぬぐおうともせずにじっと自分の絵を見つめ続けた。

「おばさんになっちゃったでしょ、私。それにこんな姿だし…本当はお会いしたくなかったんです。でも…」
頭に巻かれた小花柄のターバンにそっと手をやる。
「綺麗だよ、ちっとも変わってない」

美しい…
僕は不謹慎にもその姿を心から美しいと感じた。
共に歩むことは出来なかったけど、僕はこの人を好きになって良かった。
「この絵は置いていくよ、君にプレゼントしたい」
「いいえ」
美希は幼子が拗ねるように首を何度も横に振った。

「先輩が持っていてください。あの時の私を忘れないないように」
「うん?」
「私は今、十分にこの目に、ううん心に焼き付けましたから」

痩せてしまった顔の中で大きな瞳だけが、強い意志をもって僕を説得した。

「好きだった」
自然に口をついて出た言葉に自分でも驚いた。
「えっ…」
「僕も好きだった」

それから面会時間が終わるまで、何を語るわけでもなく僕達は寄り添って散っていく桜を眺めていた。
帰り際に美希を抱きしめて、その唇を奪った。
ふんわりと温かい懐かしい匂いがした気がした。
ただそれだけだ。


あれ以来、美希とは連絡を取っていない。
元気になって何処かで生きてさえ居てくれたらいい。
残り火が完全に消えたのを確かめて、僕はゆっくりと妻の結子が煎れたお茶を飲むために歩き出した。





山根あきらさんの企画に参加させて頂きましたm(__)m
続き物で申し訳ありませんm(__)m

虎吉さんの企画に参加させて頂きました。
これでこの記事は完結とします。
よろしくお願いしますm(__)m

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