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「映画感想」シンゴジラ―1.0

初めて「ゴジラ」を憎んだ。

私が物心がついた頃、ゴジラは既に日本映画の人気者であったと記憶している。そして現代、ゴジラはハリウッドを巻き込み世界中を魅了する怪獣に育った。
しかし、私の記憶する好きだったゴジラは、こんな化け物ではなかった筈だ。時として人間の味方をしてくれる、地球を救ってくれる怪獣、それが私の好きだったゴジラだ。

「シンゴジラー1.0」は、そんな私の甘っちょろいロマン(これをロマンと表現して良いのか?と思うが)など、木っ端微塵に打ち砕いてあまりある化け物だった。
まぁ元々、ゴジラは恐竜だ。深海で眠っていた恐竜の生き残りが放射能で進化したモノだと考えれば、爬虫類ほどの知能しか持ち合わせていない生物だ。

知能が劣る生き物に優しさや正義、情などの持ち合わせを求めた私が、どうかしていたのだろう。

それほどまでに今回の「シンゴジラー1.0」は、スケールの大きな残酷さを秘めている。と言うよりも、主役はゴジラではないのだと思う。
巨大恐竜の周りをちょこちょこと生きている人間共が、主役なのだ。蟻を殺す、いや邪魔だから振りはらうかのようにシンゴジラは人間達を殺していく。

「殺す」

などと言う感情は持っていないのだろう。
目の前の邪魔なハエを叩き潰すように人間が死んでいく。その様子が残酷であればあるほど、私達人間の小ささ、愚かさが浮き彫りにされる。

何故、眠っていたゴジラは蘇ったのか?!

私達、愚かで弱い人間が自然環境を破壊したからだろう。でも、それでもゴジラよ、お前の悲しみは分からないが、人間にも生きている背景があるんだ。家族になろうとしてなりきれなかった特攻隊員の生き残り敷島浩一(神木隆之介)とヒロイン大石典子(浜辺美波)の細やかな幸せをもぶち壊した。

この主役の神木隆之介が、素晴らしくいい。
特攻隊員の生き残りとしての演技、目の前で愛する人が、吹っ飛んで行った後の喪失感。
あぁ、君は若くして本当は全てを知っているのではないか?これは本当に演技なのか?
と思う。

日本に上陸し、銀座を破壊していくゴジラ。
誰かが、倒さなければ日本は壊滅してしまう。
そんな中へ招集されたのが、戦争で生き残った兵士達だ。
やっとの思いで生きて帰って来たのに

「まだ闘わなければならないのか、この国のために?!」

『シンゴジラー1.0』では日本と言う国にも焦点を当てている。
情報操作や隠ぺいが得意な国だと佐々木蔵之介のセリフに二度、三度と出てくる。誤った日本の悪しき歴史。
それでも元兵士達は立ち上がる。お国の為ではない。自分の愛する家族を守る為に。
誰かが、やらなければならないのなら、俺達がやるしかない。

「シンゴジラー1.0」は、ただの怪獣映画ではない、ヒューマンドラマだ。

ラスト間近、神木隆之介が戦闘機に乗り込んだ時に「にやり」と不敵な笑みを浮かべたような気がした。あの「笑み」が何を語っているのかは、観た人それぞれに違うだろう。
私は「これで、やっと俺のせいで散っていった人々への仇が取れる」という思いでは、なかったのか?と感じた。抱えてきた長い間の後悔を払拭する為に一人孤独に敷島(神木隆之介)は、ゴジラへ向かって飛行していく。

安藤サクラが、相変わらず上手い!監督が映画の中で「人間」を生かすのが上手いのかもしれない。

「シンゴジラー1.0」は、何度も観たくなる最高傑作だ。もうこれ以上のゴジラは描けないかもしれない。





いつきさんの賑やかし帯、使わせて頂きました〜♡
ありがとうございますm(__)m


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