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満員電車に乗ることは自分を家畜並みに値踏みすることなので「倫理的」に間違っている?

私は飲食店の行列に並ぶのが嫌いだ。大嫌いだ。「たかが食べもの」のために何十分も待たされることにとても我慢できない。食うために列を成している奴らの卑しい顔を見ていることにも我慢ならない。

でも世の中を見渡すと、待つのが平気な人が結構多いようなのだ。それも百円の回転寿司とかにね。ああ貧乏人は嫌ですね。貧すれば鈍するとはこのことだ。私自身が貧乏だから同族嫌悪が半端ないのかも知れん。もう死にたくなる。人類なんか滅びろ。太陽はいますぐ重力崩壊しろ。

別に同族を馬鹿にするわけじゃないけど、腹減ってなんか食いたいなら別の空いてる店行けよと思う。並ぶに値する店なのかそこは。そもそも並ぶに値数する店なんかあるのかよ。並んで待つのが趣味だとかそんな特殊な性癖があるなら別だけど。じっさい食べ物なんかどこ行っても実はたいして変わらないだろう。まして手前らの下等の舌に何が味わえるってんだ。

飲食店に限らず、そもそも行列というものに私は耐えられない。それはほとんど肉感的嫌悪といっていい。人はなぜわざわざ馬鹿面下げて並ぶのだろう。皮肉ぬきに私は疑問である。ソ連じゃあるまいし。マスク行列もプレステ5行列もアホの大行列にしか見えなかった。どんな商品もどうせいずれ世の中に広く行き渡るよ。なぜそう焦るのか知りたい。平均的俗人、あるいはハイデガー的なダス・マンを演じるにも程がある。

けっきょく並ぶ奴はアホばかりなのだ。行列に値するものなどこの世にありえないことをその年齢で知らない点で、彼彼女は既にアホの殿堂入り確定なのだ。とりあえず頭冷やせよ。いや本当。オモチャなんかで行列してる暇あったらこの世の残酷さと人生の虚しさを嘆くことにもっと情的エネルギーを費やせよ、と「義憤」に駆られるのです。意識を有して存在していることのこのどうしようもない息苦しさを群衆に紛れることで誤魔化さないでくれ。もっと苦渋と怨念で満ちた顔で生きてくれ。放っとけ? はい、おっしゃっる通りです。ただの個人的見解ですから。ただどうしても書いておきたかったのです。生きてる限りあの醜い行列を視界に入れたくないので。

このまえ数少ない大学時代の友人とテキーラを飲んでいると、珍しく乱酔した挙句にくだを巻き始め、なぜか唐突に満員電車に乗る人間を猛烈に罵りだした。彼は去年まで「大都会」に住んでいて、満員電車に乗って毎朝通勤していたらしい。その彼いわく、満員電車は人間の乗り物ではない。あんな不潔で非人道的な乗り物に乗る奴は「自分は家畜並み」と宣言しているようなものだ。人間はいかなるときも「尊厳」を捨ててはならない。瘦せ我慢でも傲岸不遜でもいいから「自分」の威厳を維持し続けなければならない。倫理の根本は「まともな自尊心」である。「まともな自尊心」を持たない人間はついに誰のうちにも尊厳を認められないだろう。したがって人間としての尊厳をあんな糞みたいな満員電車のなかで捨てるのは「倫理的」に誤りだと、およそそんなふうなことをまくし立てたのだ。

傍から聞けば「暴言」なのだろうけど、実際に「非人間的」な満員電車に音を上げた彼がいうのだから、実感としては確かなのだろうね。行列嫌いの私はそもそも満員電車など眼中にさえなかった。大都会での生活もしてないのであれは映像でしか見たことがなかった、というのが本当だ(あれに乗るためにお金を払う人がいることが信じられなかった)。私は朝っぱらからあの人間密度のなか「運搬」されると考えただけで、失神かつ失禁しそうになる。そうでなくたって朝は低血糖で不愉快きわまるというのに。

そもそも同じ場所への定刻出勤を続けながら給料を貰う生活そのものに自分は強い抵抗を感じるのだが、と私はそのとき漏らしたはずだが、それについては友人は何とも思わないらしい。いやはや「勤労者」というものは相当に鈍感で批判精神に乏しい生き物なのだなとそのとき痛感した。起きたいときに起き寝たいときに寝るのが人間的尊厳の眼目と信じる私には、とても理解しがたい。お前もまた自分を家畜並みに値踏みしているのではないか、と言いかけたが止した。その日の酒やツマミはぜんぶ彼が買ってきたものだったから怒らせても面倒だ。とはいえしょせん他人のことだから、どうでもいいのだけど。これは痴人の世迷言として聞き流してください。人生いろいろ、男もいろいろ、痴人もいろいろ、家畜もいろいろ、ということです。酒飲んでマスかいて寝ます。

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