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「佐藤さん、私を忘れないで下さい」を読む

私がいつも使っている(紙の)ノートには、太宰治の書簡が新たに発見されたとの、新聞記事の切り抜きが挟んである。

1,2年前のいつだったろうか、その新聞記事を読んだときも「ああ、太宰の手紙があらたに見つかったのね」と普通程度の感慨からか、生来よりの浅慮からか感慨もなく、まあそれでもと、切り抜いてノートに挟んでおいただけのものだ。
先日、日本近代文学館で開催されている太宰治生誕110年展を見学し、また猪瀬直樹「ピカレスク」を読んで、いままでの作品オンリーではなくて、太宰治という特異な作家自身にも興味を覚えたことから、今回、その切り抜きを改めて読んだ次第である。

記事を要約すると・・・当時太宰は佐藤春夫に、次回の芥川賞を私にと、懇願していたのは知られている。そして佐藤に確約されたかのように書いた太宰に対して、佐藤は直接的に懇願要求された手紙が来たと、太宰からの手紙の一部を引用して、一文を書いている(「芥川賞」、改造)。ところが当の手紙の所在が不明だったことから、太宰から要求されたという引用文は、実は佐藤の作ったフィクションではないか、という説もあった。今回発見された3通の書簡の中に4メートルに及ぶ巻紙に書かれた手紙があり、太宰の芥川賞の直接的要求が記されていて、佐藤春夫の書いた引用は事実であった、とのこと。

記事の半ばであわててググってみると、書簡は和歌山県にある佐藤春夫記念館にある(らしい)との情報で、私は「おいおいそこまで行かなきゃ見れんのかーい」と意気消沈。ところが記事は最後まで読むものだ。そこには

太宰書簡の全文は、昨年10月に出版された辻本雄一監修・河野龍也編著「佐藤春夫読本」(勉誠出版)に掲載されている。

おう、そうだ、と手をポンと叩き、私は早速、町の市立図書館に行ってみた。そうして「佐藤春夫読本」を借り、ついでに平凡社刊「別冊太陽、太宰治」も借りて帰宅し、開いてみた。「佐藤春夫読本」の巻頭に「新資料」としてその書簡が、しかもカラーで載せられていたのだ。
無断転載はできないのだろうから、その一部だけを引用しよう。

「いまにいたって、どのやうな手紙をさしあげても、なるやうにしかならないのだと存じ、あきらめてじつとして居りましたが、どうにも苦しく不安でなりませぬゆえ・・・」
「芥川賞は、この一年、私を引きずり廻し、私の生活のほとんど全部を覆ってしまひました・・・」
「第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます。私はきつと佳い作家に成れます。御恩は忘却いたしませぬ・・・」
「こんどの芥川賞も、私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中に・・・」
「佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。いまは、いのちをおまかせ申しあげます・・・」

太宰が巻紙に毛筆で書いたこの書簡を、私もまた一字一句、まさに舐めるがごとく、指先プルプル震わせがら読み進めたのだ。太宰治の、あまりに人間的な、素直な、切なくて苦しい様が、眼前に現れてくるようだ。「ピカレスク」を読んだ後の私には、このころの太宰の苦衷が痛いほどわかるだけに、読んでいながらも、私までもがなんだか苦しく切なくなってくる。
ありていに言うと、私にとって太宰は「余りに素直すぎる」なのである。彼の持っている世界観に対して、ただただ実直なだけだったのではないか、そう思う。
そして私がこうして老爺になっても、手紙を読んだり作品を再読したり、また展示物を見たりと、太宰治の謦咳に接する事ができて、嬉しくてたまらないというのが今の実感だ。おっと、それと筑摩書房さん!私のように、きわめてまじめな(笑)、太宰治全集所有者限定でよいので、後世になって発見された書簡や草稿などを、全集増補版として刊行していただきたい。頼んます。
「筑摩さん、私を忘れないで下さい。読者を見殺しにしないで下さい。」とな。